outani_a
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きょうはギャンブル(初めて入ったインドカレー屋で中辛もしくは2辛を頼む)に負けた。胃の粘膜が遺憾の意を表明している。

もともとそれなりに食うほうだけど、生理前の食欲の異常さはいまだに自分でもヒく。これだけは四十路を過ぎても衰えない。しかし内臓は確実に老いているので、食えば食っただけダメージを受けてぐったりしている。腹減った。今も減ってる。仕事が終わらない。腹減った。明日は嫌いな通院日だ。遠いのだ。いやだなー。

先日仕事で六本木に行ったので、ちゃっと日比谷線に乗って外務省前でやっていたガザ虐殺抗議スタンディングに参加してきた。手ぶらで行ったがプラカードをたくさん持ってて配っている人がいたのでお借りした。脳汁の具合が相変わらず悪くて声はろくに出せなかったが、手持ちで一番派手な真っ赤なコートを着ていった。浮いてた。鬱だが常に格好だけ派手なので、こういうとき役に立てると嬉しい。

物心つく前から反原発運動や地元の開発反対運動などのデモに行きまくっているが(由緒正しいアナキストのおうち出身)、シュプレヒコール(今はチャントっていうんだっけ)って、もっと届く言葉が使えないかなと毎度考えてしまう。強い言葉を使えばそれで誰かに届くのか? しかし市民運動の多くが大人しく丁寧にお願いしてる場合じゃないのももちろんそうだ。でもなー。というのを、どこの現場でも思ってしまう。じゃあお前がなんか正解の言葉を考えて主体的に叫べよって話だが。すんまそん。

トーンポリシングはよくない、と思うが、言葉を選ぶ余裕のある立場のやつ(ここ重要)は、できるだけそれを吟味し作戦を練りシミュレートして選んだほうがいいんでないのか、と何事においても思う。誰かに届けるためにやっているのなら。これは自分にもひっかぶってくる話だけど、パンチのある言葉、キツい言葉を他人に対して使っていると、どんどんそれに酔っぱらって気持ちよくなっていってしまうから。人間は、どんないい人でも、他人を罵倒したり叱りつけたりすると気持ちよくなるようにできてしまっている。おれはその快感を遠ざける努力をしたい。最近とてもそう感じている。

にしても六本木、最近試写とか打合せとか取材で行く機会が妙に多いのですが、ランチ2000円↑or日高屋富士そばみたいな選択肢しかなくて昼間うろちょろするのが辛いぜ。おもしれー街。