なんとなく初めてみた

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 最近、X(旧Twitter)のTLによく流れてくるので、どんなものなのかと思って初めてみた。特に誰に見せるでもない、自分のペースで書き散らせるところがよい感じがする。あと色味が石みたいで好き。

 これを書いていると、数年前までBloggerで短文を書いていたことをなんとなく思い出す。まだ自分のページは残っているし、なんならブクマからいつでも飛べるようになっているけど、あの場所で何かを書くことはもう無いのでは……と思う。消してないXの旧アカウントにリンクが貼ってあるから、検索するとヒットしてちょっと恥ずかしいし。でも、レイアウトや色を選んで自分の好きなようにカスタマイズするのは楽しかったな〜と思うので、いつか自分のサイトのようなものを作ってみたい。どの国の人が何人、何時くらいに閲覧したとかがグラフでわかるところも好きだったので、そういうのがわかるといいな。

 以前使っていたBloggerの自分のページにはもう書かないかも……ということの理由について、「検索するとヒットしてしまうから恥ずかしい」の他に、「あの記事を書いていた頃の自分ではなくなってしまった」がある。過去の自分と今の自分は地続きなものであるはずなのに、こんなに断絶を感じるのは何故だろう。当時は、TumblrやBloggerのようなX以外の場所に自分のページを作って、そこに短文や小説、エッセイをアップするのが大人のお洒落な嗜みに見えていた。中学生〜高校生の頃の自分はそれに憧れて始めた訳だけど、何をどう書いたら良いのか分からなくて、何を言いたいのかよく分からない文章を時々書いてはアップしていた記憶がある。読み返してみると今でも良いシチュエーションだと思うものはあるけど、やっぱりウヒョ〜!!!とすごく恥ずかしくなってしまう。この文章も何年かしたらウヒョ〜!!!となる読み物になるんだろうな。

 過去の自分との断絶を感じると書いたけど、特に中学生〜高校生の自分と大学生の自分との間には大きな違いがある感じがする。厳密に言えば、中学生〜大学3年生の自分と、それ以降の自分。前者は人生の中で精神がかなり暗黒面に落ちている自分で、後者は割と元気に過ごせている自分なので、そりゃ違うよと言われればそれまでだけど、こんなに別物感がするのか〜と不思議に思っている。大学3年生の後期には色々あって、流行病にかかってホテルに10日間1人で缶詰になったり、10年くらい一緒にいた犬が突然亡くなったり、自分が専攻している日本画でとうとう自分の作風的なものを見つけて教授陣から「なんでかわかんないけど良いね」「楽になったね」とコメントされたり……数々の大きな出来事を経験したから一皮剥けたのかも。割と元気になったとはいえ、おそらく人生で一番ハッピーだったであろう幼稚園生くらいの自分とはそれはそれでまた別物に思えるので、今の自分も未来の自分から「別物に思える……」とか言われそう。

 大学院を受ける際に志望書や研究報告書などの作文を数枚提出しなければいけならず、入試でも小論文を書かなければならなかったので、書き振りについて先生に相談したら「一文が長すぎ。『という』を使いすぎ」と言われたのを思い出した。たしかに……書いていてわかる……。この文章はそういったところを修正済みなので、そこまで同じ文言を多用してはいないはず。一文が長すぎなのは許してください……。気づいたら10ツイート分になっちゃった。でも、なんか無限に書けちゃう気がしてくるね! 気が向いた時にまた書いてみたいです。