わたしについて

oy3mn3i
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自分の自己愛の強さは以前から理解していたつもりだったのに、それが爆裂していることを自覚した。

父が死んだのを聞いたときに思ったのは「まさか」と「たくさんのうちのひとつになった」だった。声を上げて泣いたけれど感情は空っぽだった。頭の中が冷えていて、わたしが薄情なのか、自己防衛のために感情が麻痺しているのかもと自分で理由付けをした。当時大学で心理学を専攻していたので学校の先生に話を聞いてもらったけれど予め自分の中で想定していた言葉ばかりだった。父が亡くなったあと数年は父のことを思い出してさみしくなって泣くことはあった。

大好きなひとたちがいて、その人たちが死んだときのことを考えてみたけれど、また空っぽなんじゃないかと思う。「しんだらだめ」って言ったけど言ったあとに違和感があって、大好きなひとがしにたいなら止めたいと思わないかも、かもじゃない思っていない。今までにまだ起こったことがないからこういうことが言えるだけかもしれない。しにたいって言っているのも本当に思っているのか言いたいだけなのかわからないけれどそれはわたしには確かめようがないからどちらでもよくて、ただ言葉に対しての答えはある。

大好きなひとが死んだ時のさみしいかなしいはあると思うけれど現状が変化することへの不安や恐れの方が大きい可能性を考えた。どこまで自分のことが大切なのか、そんなのだったらすごく嫌だな。

大好きなひとたちの"いいところ"にいたいんです。必要とされてそれで自分が安心する。頭の中に浮かぶひとりでありたくて割合を占めていればいるほどうれしい。愛されたい。自分が大好き。