向坂くじら「いなくなくならなくならないで」

oyatsu_busoku
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大学生の時子は内定式の帰り、高校の時に死んだはずの親友・朝日から電話があり、会うことになる。会うと朝日は昔よりは少し大きくなっているし昔のように話せるしお金も多少は持っている。ただ帰る家はないらしく、それを聞くとつい一人暮らしの部屋に招いてしまい、そのまま朝日と暮らすことになる…

という始まりのこの作品、読み返すと最初から時子にとっては不穏なものがいくつかあった

相手に向ける好意とそれから導かれる行動の最大量は人によって違っていて、自分や第三者から見たその量は、その人たちからは最大のようには見えないが、当事者としては最大に近いのかもしれない

と、思うことがたまにある。私個人としてはどちらかというといろいろやってあげたいくて結構がんばるタイプなので「自分はこんなにやってあげてるのに!」思考に陥りがちなのだが、それは一旦冷静になって考えなければならないことを年を経て知った。

作品終盤で時子の友人の水谷がいうこと、私もそう思う。でもそれは第三者が言うことでしかなくて、当事者たちはその時々に好きなようにしたらいいし、それがどういう未来に向かおうが、他人からどう見られようが、覚悟もしくは不安を持って時を重ねて行くしかないのにそれは突然終わるかもしれない。

いなくなってほしいでもいなくならないでほしい、どうしていいかわからない