社会はトンネルではない

oyutsuka
·

脱獄を企むもの、優しく言葉をかけてもらうことを待つもの、痛みを露骨に現すもの、涙を流すもの、笑って明日の支度をするもの、苦渋を舐めてもいつかの幸せに備えるもの。すべての人間に等しく幸せは訪れていく。美味しいご飯屋さんを知る、新しい趣味を見つける、デビルマンの話をする、もう少し準備したいと思った会議が延期になる、新しい鞄にぴったりのマフラーを見つける、冬の木漏れ日が柔らかいことを知る。

社会が暗澹たるもので、暗闇、どこへ行っても救いなどないと想像しているひとにはぜひ話したいが、社会はトンネルではない。そして、抜けることもない。ぴったりと外気として皮膚と擦れあい、窒素や酸素のようにそこにある。ただ「ある」だけなのだ。社会から解放されるということは空気からの脱出を意味する。そうすると、、。私だって社会なんていうものは最低だ、絶対に行きたくない、どうして連れて行くんだと散々ジタバタした。意外にも来てみると全くそんなことはなかった。理不尽さ、可笑しさと薄ら寒さと、とんでもない愉しみを内包したラッキーボックス。

大学の頃、卒業したら死が待ち構えていると思っていた。26まで生きてると思わなかった。実際は全くそんなことなくて。ここまで健やかにいた。とても嬉しい。喜ばしい。

明るいですねと言われることがあるが、全くそんなことはない。

むしろペシミストで頭でっかち、かなり冷笑的なところがあるし、人見知りでにこやかでもない。こうして書いていても信じられないくらい社会向いてない感じがすると思う。でも普通にやっている。まあワンストップ納税申請ギリギリまで引きずったり、携帯電話破壊して年三回なくしたり、頭から坂道ですっ転んだり、酔って知らない人について行ったりしているけれど、無事に生きている。後半らへんは日本の治安に感謝しなければならない側面は大いにあるけれど。でも生きてるからね。そんな悲観する必要もないよ。環境が合っていれば幸せで生きていけますよ、というのと、自分の価値なんてものはほとんど出身に帰依しない、自分の行いだけで生まれるというのは、本当にその通りだ。やっぱり社会はトンネルではない。常に可能性が生まれてて サイコーなのだ。