かつて、祈り会で先輩クリスチャンが「。。。満たして下さい」と祈り求め続けていた。
あとで、寄り添って聴くと…。
長年教会生活を送っていても、「何か自分自身に常に物足りなさを覚えてしまい、。。。満たして下さい」と祈り続けていると言う。
そして、お互い率直にこれまでの信仰生活を振り返りながら話をしました。
お互い人一倍聖書を読んだと自負していた時があり、皆勤で祈り会にも参加した。聖会にも参加した。…。
そこで、お互いが、あくまでも自分の努力や熱心で神の祝福を勝ち取ろうとしていたことに気づき、
心を変えて、
これまでの自分を主に全て明け渡しすことが、勝利の生活なのだと気づいた。
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自分自身で行いによって踏ん張っているうちは、主に依り頼むと言う気持ちが薄らいでいる。
まだ、主に全幅の信頼を置いてないから、人間的に「行い」を果たそうとす。
そんな中でお互いが、神からの祝福は、すべて恵みによって与えられるものだと気づきました🙌
もちろん、示されたみことばは、
エペソ人への手紙 2章8~9節
"この恵みのゆえに、あなたがたは信仰によって救われたのです。
それはあなたがたから出たことではなく、神の賜物です。
行いによるのではありません。
だれも誇ることのないためです。"
(聖書 新改訳2017)
アーメン🙏
そして、この他にヨハネ15:4〜5のみことばに一致しました。
ヨハネの福音書 15章4~5節
"わたしにとどまりなさい。
わたしもあなたがたの中にとどまります。
枝がぶどうの木にとどまっていなければ、
自分では実を結ぶことができないのと同じように、
あなたがたもわたしにとどまっていなければ、実を結ぶことはできません。
わたしはぶどうの木、あなたがたは枝です。
人がわたしにとどまり、
わたしもその人にとどまっているなら、
その人は多くの実を結びます。
わたしを離れては、
あなたがたは何もすることができないのです。"
(聖書 新改訳2017)