Ⅰコリント4章17節
"そのために、私はあなたがたのところにテモテを送りました。
テモテは、私が愛する、主にあって忠実な子です。
彼は、あらゆるところのあらゆる教会で私が教えているとおりに、
キリスト・イエスにある私の生き方を、
あなたがたに思い起こさせてくれるでしょう。"
(聖書 新改訳2017)
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ここの箇所で思うのは、
テモテは異邦人への使徒パウロ(ロマ11:13)の生活振りをつぶさに見習っていたのですね。
そしてパウロもそれを認めるほどであった。
だから、愛弟子テモテを見る者(コリント教会)は、パウロの生活振りを思い出すだろうと語っています。
(テモテもまたパウロの霊の子で、教えと行動とが一致している神の器だから、そのテモテから学びなさいというのですね)
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私たちは、イエス・キリストが私たちの「罪」の身代わりとなって死んで下さった。そして墓に葬られ、三日の後に復活されたことを信じて救われ、クリスチャンとされました。
ほんとうに、神の一方的な絶大な恵みですね❣️
でも、しばらくするとキリストの愛から離れ去っていく人も少なくないです😭
(理由は…多々あるかと思います)
でも、最大の理由は、
「キリストにとどまること」の大切さを忘れてしまったからではないでしょうか?
ある牧師先生の言葉を引用します。
「信仰の真髄は、内住のキリスト、すなわちキリストにある生活である」と…。
そして、このキリストにある生活こそ、初代教会で教えられていたキリスト者の信仰生活ではないでしょうか。
終末の教会時代に必要なキリスト者は、口先だけでキリストに従う人(自称クリスチャン)ではなく
パウロや、テモテのような全生涯をキリストに見習い、仕える真実な奉仕者なんですね!
それには、救いの確信となる「キリストにとどまる」=キリストにある生活が大切なんですね🙌