5月30日
鳥公園の読書会。1回目の今日は『ヴェニスの商人の資本論』。経済を学ぶというのはどういうことなのか。物欲というのは、人と同じものがいいという安心感と、人と違うものがいいという欲求があって、どちらも社会的な欲望なのだという。その二つの欲望を満たす商品によって貨幣が流通する。資本主義を批判的に捉えたり、それに代わる構想を提示する言論や物語は幾多あれど、そこにはもう真新しい期待感もなく、結局まだまだ資本主義は続いていくじゃないかという憂鬱がセットになっているようにも感じる。そのうえで何を考えていくのか。何かを欲しいと思ったときに、資本主義経済によって結びついた社会的な欲望によるものなのか、私自身が本当に心から欲しいと思ったものなのか、ということは意識的にならないといけないなと思う。
5月29日
今日はアテネフランセで特集「映画の授業」のワイズマン『Blind』を観た。3〜4歳の男の子が、滑り台に何度も登って何度も降りる。生徒の問題行動について指導方法を教師たちが話し合う。高校生の教室では「アメリカの市民として自分の子供に何を教えるか」というテーマの話し合い。ダンスパーティーでみんな楽しそうに踊り狂っている。ワイズマンの映画を観ると、人というのはこんなにも考える生き物だったと思う。
5月27日
河野咲子さんのうかろにRADIO番外編「第7回ゲンロンSF新人賞最終候補作をみんなで読む」を聴きながら帰る。河野さんは知識も語彙も豊富で感性も鋭くて、それらの働きを妨げるような自意識とか社会規範みたいなものが抑制されていて聴きやすい。オープンでストレートな喋りは部外者でも聴きやすくてラジオ向きだと思う。読書会もそうだけど小説についてのお喋りというのは、個人的な嗜好性から、技法、主題などの創作の話、関連作品やメタ評価など、さまざまな話題に渡って言葉が交わされていくので面白い。たとえば映画について喋るときってこういうふうになるかな。
5月26日
何の予定もなく、予定を決める気力もない日曜の朝などは、美味しいパン屋のパンでも食べて胃袋を満たさなければ永遠に起き上がることができないだろうと思い、昨日買ったTシャツにマウンテンジャケットを羽織り、原付に乗って国道6号線に繰り出した。日本橋のオシャレなパン屋のパンはたいしたことなかったが、アメリカーノというやたらと清涼感のある飲み物を啜りながらゴミ拾いをするファミリーなどを窓越しに眺めた。調子づいて東京都美術館に足を伸ばしデ・キリコ展をみる。暖色の鮮やかな色づかいとくっきりした陰影、板敷の床、四角い小窓、のっぺりとした空、聳え立つ塔、繰り返されるモチーフを見ていると、なぜか心が落ち着いた。古代美術ほど厳しくないし、シュルレアリスムほどあからさまではなくて、その中間とも言い難いけれど、どの作品にも何故か「優しい」という印象を持った。ギリシャの空、フィレンツェの広場、秋の午後の光、ニーチェ、ビスケット、三角定規。
5月25日
三鷹SCOOLでダダルズ『裂け目BB'』を観劇。物心ついた頃から体のラインがでない服ばかりを選んで(選ばされて)きた人が、お笑いライブに行く途中、高円寺の路上でおじいさんに話しかけられる。詐欺紛いの出会い系アプリのトーク画面を見せられ、若い女のアカウントに自撮り写真を送ろうとしていることに気がついても、それには触れずに写真の送り方を教える。その出来事を思い返して震えながら、興奮とも恐れとも怒りとも恥ともつかない感情が再生される。身勝手な男の性欲を助長してきた社会、本来の自由な選択肢を狭められ、服の好みでさえ無意識に抑圧されてきてしまった女は、その道端での邂逅が、日々カラカラと回し続けているビンゴに置き換えれば、「赤玉が出た」瞬間だったと言い放つ。その可笑しみと憐れみ、痛快さと煮え切らなさ。誰だって頭の中に常に回転させているビンゴのようなものがあって、ふとした瞬間に「赤玉が出た」りすることがあるのだろう。だけどそれに多くの人は気がつくことができない。三鷹から吉祥寺まで歩いて人の多さに辟易したあと、高円寺のセカンドストリートに寄ってTシャツとマウンテンジャケットを買った。
5月24日
会社の近くにある串焼き屋さんにまた行った。カウンターで定員さんの目まぐるしい働きっぷりを見ながら気持ち良く酔うと、NHKのニュースで流れていた普段は見ないメジャーリーグのハイライトがなぜかすごく面白く見えた。すらりとしたラテン系の選手がしなやかなダイビングヘッドで二塁から三塁への盗塁を決めてさっと地面から跳ね上がり、真っ白いユニフォームに大胆に土がついてうれしい。次の映像では松井裕樹投手がその選手を三振で抑えた。
5月23日
松屋は不味くないのだけど、食べ始めてからふと、これは本当にご飯なのだろうか、という気持ちになる瞬間がある。ベローチェで1時間だけ勉強した。広いベローチェには広いベローチェ好きが集まっているという安心感がある。窓を開けて寝たらとても気持ち良く眠れて気持ちよく起きられた。最近は朝、ブックオフなどで買った適当なクラシックのCDを流している。
5月22日
魚の定食を食べて帰った。メルカリで買った『キミは珍獣と暮らせるか?』が届いていたので読み始めた。一方の価値観を落として一方を上げるというような語り口ではなくて、市場原理も野性本能も等価に扱い、目の前の動物に向き合う。動物を飼うということが人身売買と何が違うのかという後ろめたさをないものとはせず、動物と暮らすということ、人間と暮らすということ。
5月21日
日記というのは生活に紐付いているところが多い。どんな料理を作ったとか、どんな買い物をしたかとか、わかりやすく日記っぽくておもしろい。男の日記はつまらないという僕の仮説は、生活への眼差しという点に関係している。野望とか競争とか男的なフレームワークが、生活とか繰り返しとか日記的なフレームワークに合致しないという点。5月生まれの人の明るさに助けられるという話をマッチングアプリで知り合った人に言ったら同意された。5月誕生日のあなたに祝福あれ。
5月20日
ぜんぜん日記を更新できていない。最近。めちゃくちゃ持論だけれど、5月生まれの人には特有の明るさ、というか軽さ、というか屈託のなさ、いや、こころの広さみたいなものがあると思う。邪気のない笑顔。この人5月生まれかもしれないと思うとだいたい5月生まれだったりする。いま読んでる日記本の作者・葉山莉子さんも5月生まれっぽいと思ったらそうで、Spotifyのポッドキャスト「夢遊東京」の千代田さんも5月生まれ、滝沢カレンも5月生まれだ。そして3月生まれは、特有の陰鬱さみたいなものがあって、5月生まれのからりとした社交性に助けられがちだ。
5月4日
予告されていたとおり、午前中から母が訪ねてくる。今日は予定がないのでともに部屋の片付けをする。衣替えというのが家事の中でもっとも苦手かもしれない。どの服をどこへ仕舞うのか、どのような畳み方をすればいいのか、防虫剤って効果があるのか、どのような洗濯方法で、干し方で、、、。ぶつぶつ言いながら室内を歩き回っていると案外疲れる。これは家事のOJT。ひさしぶりに綺麗になった部屋を目の当たりにして気分がよく、ダイソーで観葉植物を買った。