ずっと夢の中にいたらしい
気がついたら誰かの家にいて、体を包み込むほど大きなソファーの上で目が覚めた
ここは一体どこなのか尋ねようとして周囲を見渡すと、見知らぬ外国人の家族連れがいた
何やらご両親と娘さん、息子さんの4人家族らしく、ここは彼らのご自宅なのだそうだ
さらに話を伺うと、自分はどうやらアメリカのフロリダ州へホームステイの為にやってきていたらしく、このご家族がホストファミリーとのことだった
...
事情は分かったので、とにかく寝起きで自分の口が臭いのを何とかしようと思い、「洗面所をお借りします」とだけお父さんに伝えて洗面所へ向かった
洗面所にはご家族の人数分の歯ブラシ、そして歯磨き粉が何種類もあり、どうしたら良いか迷った
もちろん部外者である自分の歯ブラシはないのだが、「これで良いや」とおもむろにお父さんの歯ブラシを手に取った
しかしよく見ると、それはお風呂場を洗う時に使う大きめのタワシ付きブラシだった
「こんなもんで歯が磨けるかよ……」
と歯ブラシを選び直そうとしたその時、
「私もお邪魔していいかしら?」
という台詞と共にグレタ・トゥンベリ(本人)が洗面所に現れた
状況から判断して、どうやらホストファミリーの娘さんがグレタであるらしいことが分かってきた
「日本ではどの歯磨き粉を使ってたの?」
目を輝かせながら顔面ドアップで聞いてくるグレタ
顔を近づけられて何故か満更でもないような気持ちになりつつ、
「でも近くで見ると肌荒れがすごいな……」とか思っていると、近くにあった「GUM」のラベル付きボトルが目に留まった
咄嗟にそれを手に取り、
「GUMデンタルリンスかな……(笑)」
と拙い英語で答えてみた
しかしグレタはそれを華麗にスルーしつつ、こちらが持っていたお掃除ブラシを指差し、こう返してきた
「それお父さんの歯ブラシでしょ?アメリカではトールサイズって言うの」
いや言わないよ……
内心そう思って何か言い返そうと思ったが、そこで突如として意識が薄ぼんやりし始めた
頭がぐわんぐわんしたかと思うと、次の瞬間にはもう目の前から洗面所もグレタも消えていて、何も見えなくなっていた
薄れゆく意識の中で時間の流れだけがみるみる加速し、そして加速する時間の中で自分は更に意識を失っていった
...
ここは非現実の世界なので、意識を失っている間も記憶のようなものが流れ込んでくる
グレタファミリー(仮称)と共に過ごした楽しげな日々が走馬灯のように流れていくのを、どこか他人事のように眺めている自分がいた
コストコみたいな郊外型モールのバカでかいカゴに日用品を放り込んでいる場面、
ファミリー総出でガレージに出て洗車したりホースで水遊びしたりする場面、
車でハイウェイを飛ばしながらテレビとラジオを爆音で流して盛り上がる場面、
これらひと夏の思い出が次々と脳裏に浮かんでは消え、時間の流れが極限まで加速していく
やがてそれは何らかの終着点に達し、ピタリと止まったのだった
...
暫くすると、また意識がハッキリとしてきた
どうやらさっきとは別の場所に漂着したらしいことだけはすぐに分かった
辺りは夕闇に包まれておりほぼ真っ暗、場所は家のちょっと外……ガレージ近くにいるらしい
周囲の物音に耳をすますと、フロリダなのに松虫が鳴いていて、まもなく来る秋の訪れを伝えてくれている気がした
一人でしばらく居ようかと思っていたが、何やらあるらしく「ほら、行くわよ」とお母さんが声をかけに来てくれた
自分はそれに従い、後に続いて歩き出した
グレタハウス(仮称)の中に戻り、先ほどまでは存在しなかったはずのらせん階段を上って行くと、最上階の4階に辿り着いた
グレタ家(トゥンベリ家?)のご自宅は豪邸というほど広くはないのだが、アメリカ的には平均と言えるサイズで、何より特徴的なのがその「高さ」だった
というのも、最上階がガラス張りのドーム天井付きプラネタリウムになっており、その為に周囲の家より数段「高い」のだ
周囲に遮るものがない為、見晴らしがすこぶる良いはずだが……今は夜だからかカーテンを閉めており、空の様子は窺えなかった
すると不意に、グレタのご両親が何やらにっこりしながら「プレゼントだよ」と言い、カーテンを一斉に開け始めた
そろそろ夏休みも終わりだし、最後の日に自宅のプラネタリウムから満天の星空を一緒に見よう、という粋な計らいをしてくれたのだ
...
さて、何やら今日はNASAが国際宇宙ステーションにドッキングするロケットの打ち上げを予定しており、その発射が間も無く行われるらしい
もし予定通りならこのプラネタリウムからも見えるはずだよ、とご両親が教えて下さった
……しかし、所詮ここは非現実の世界
時空が歪んでいるせいか、それから程なくして奇妙な景色が見えるようになってきた
空高く浮かび、決して至近距離で見えないはずの宇宙ステーションが、何故かプラネタリウムドームに触れそうな程すぐ近くを飛び回っている
気がつけば、星を砂のように散りばめた夜の海が、グレタハウスの周囲に広がっていた
今やここは一面の暗黒世界……はるか雲の上だった
そして、星と闇とが奏でる幻想的なハーモニーに浸りながら、こう言った
「ここで過ごした日々は忘れない……ありがとうグレタとアンディ、そしてありがとう、お父さんとお母さん……」
お別れの時がすぐそこまで来ていることを、最早その場にいる全員が実感しつつあった
話を切り出すことで何かが終わってしまうような気がして、みな会話をすることもなく、ただ時間だけが過ぎていった
...
それからどれほどの時間が経っただろう
静寂を切り裂くように、傍にいるグレタが呟いた
「ね、綺麗でしょ」
やはり近くで見ると肌荒れがすごかった