芯とこだわりという2つの言葉を自分の中で分けることにした。
要するに辞書的な定義ではなく、私の思想としてまた一つ重要にしたいポイントが見つかってその差を言葉にするとこうなったということである。
よく「芯が通っている人が好き」みたいな話を聞く。
それを聞くたびに芯がある人はこだわりも強くて大変そうだと思ってきた。
まあどこからが芯でどこからがこだわりなのかは極めて曖昧で難しい。
例えばイチローのインタビューなんか見ていると、彼は芯もこだわりも非常にある。
私がその映像を見たときの感想としては、彼の芯の部分は尊敬しているが、こだわりはなんだかなーと思っている。
こだわりは無い方が良い。
それは世界を狭めることになるし、他人との関わりを難しくする。
一方、全部をなあなあで生きてしまうと何も生産できない、ポジティブな力を生み出すことが難しくなる。
だから芯が必要なわけである。
ビジュアル的なイメージだと、身体の肩からお尻までが芯で四肢がこだわりである。
体幹部分はきちっと固まっている方がよいが、四肢は外界の動きに柔軟に対応できた方がよい。
世間では体幹としか言わないが、あれは具体的には大腰筋と腸骨筋を指していると言って差し支えないだろう。
同じように芯として持つべき部分もそう多くはないはずで、自分が守りたいと思っている多くはこだわりなんじゃないかと疑っている。
一般の平均がどうかわからないが私はこだわりが強い自覚があるので、どうにかもっと柔軟な大人になりたいと思っている。