たまに哲学っぽいことを考えることがある
そのときによく出てくる問の一つに「なんのために生きているのか?」かがある
私は答えがしっかり出ているわけではないが、この前「幸せになるために生きている」と答えるのは違うなと思った
具体的に言うと、宗教を盲目的に信じたり、現代にはびこっている概念をそのまま受け入れた方が人間はおそらく幸せなんだろうが、それが自分の目指すところではない
例えば天動説の時代に地動説に気がついて唱えて教会に処分された人は歴史上存在するはずだが、この人は幸せになるために生きていたとは言えないだろう
「幸せ」という言葉をちゃんと定義していないのでここから厳密な議論を進めることは不可能だが、この人生が直接的に人の役に立ったり、笑ったりすることとは違うのはわかる
自分で正しいと思うことを考えて、そこに苦難があったとしても立ち向かう覚悟で人生を過ごしていたはずだ
私はそういう生き方を尊敬する
幸せを目指すことはすごく良いことだが、人生をそれで全部説明しようとするのは単純化しすぎなんだなと思った