一年が経った。小学校生活も高学年と呼ばれる5年生になった。この時の担任が、その後の私の人生を大きく狂わせることになる。50代後半か60代か、小学生の児童私にとってはおばあさんと呼ぶほど年が離れたベテラン先生。4年のときは友達との事がきっかけで学校に行くのが辛く、給食も喉を通らず、時の担任はそれを知っており給食のことも特別に強制された記憶はない気がする。ところが、事態の経緯を何も知らなかったのか5年の担任は給食を食べない私に公開処刑のような拷問を課した。昼休みに教室に一人で残させて、食べさせる。給食をどれだけ食べたのかクラスメートが全員見てる中で、お盆ごと先生のところに持って行かせ、「あんた、何食った?!」と折檻された。好き嫌いや、少食ではなく、全く食べない少年に「これはなにかの精神疾患かも知れない」との認識すら持たなかったのだろうか。このような人間の心理について無知な人間が人格形成に最も大きな影響を及ぼす小学校の教師をしていたことに愕然とする。このころの私は小4の時の友達との関係のことなどではなく、単に給食そのものが怖くなっていた。何をされようが言われようが食べられないものは食べられない。そこでこの教師は残したものは持って帰らなければならないというルールを作った。パンなら分かるが、ご飯だろうが添加物だろうが、液体以外はすべてビニール袋に入れて持って帰るということになった。私は毎日毎日味噌汁やシチュー、カレーなど以外はビニール袋に入れていた。しかも午後の授業がまだ残っているわけだから、食べられなかっ給食を机の中に入れていたり、カバンの中に入れたりして残りの授業を受けた。時には匂うことがあった。小学生の給食時間は、机を並べ変え男子2人女子2人程度にグループを作って向き合って食べる。異性を意識し始める5年生。食べられない男子を女子はどう思うのか、情けなくて、恥ずかしくて、耐えられなかった。それでも食べられない。給食時間が終わりに近づくと私は用意していたビニール袋に次々に給食を入れていった。入れ方はまず、ビニール袋に自分の手を入れ、そのまま食べ物を鷲掴みにしビニール袋を裏返し、そのまま袋の上部を結ぶというやり方だ。これを繰り返した。毎日、毎日。当然、周りからは「〜ちゃんの必殺技!」って、手付きでこの行為を真似されたり、「給食残しの王様です」て言われたり、新しいグループになった時に、女子から「またこれが始まるよ」って言われて手つきを真似されたり、「どうして、そうやって隠し隠しやるの?」って直接言われたり、これほどの拷問を受けながら、よく自殺しなかったと今思う。まあ、自殺する勇気なんか私には1ミリもない。50を過ぎた今でもこの先の人生を考えると死にたいと思うが、やはり自殺する勇気などない。また、学活に友達の良いところを褒め合うという時間があった。その中で、「Aちゃんは最近給食を残さず食べるようになったので偉いと思います」との発言があった。この少女は恐らくただの少食で、体の成長に伴い食べる量が増えただけであり、私のものとは根本的に違う唯の物理的問題でしかないと思うが、この発言に対し「そんなのあたり前のことじゃん」との男子発言。「自分は当たり前のことのできないのか」と思った。このやり取りもはっきりと覚えている。因みにビニールに入れた給食は帰りに竹藪に捨てた。大きな罪の意識に苛まれた。この小学校5年の1年間が人生を歪める決定的なトラウマとなったのは間違いない。今思い出したが、給食のない日、つまり母に作ってもらった弁当を学校に持っていく日は全く緊張もなくおいしく完食していた。これは「お弁当は食べるんだね」というある種、嫌味的な同級生の言葉により記憶している。おそらく残しても大丈夫という安心さがあの言いようのない吐き気を引き起こさなかったのだろう。