余命6ヶ月の見知らぬ男性

旧Twitter現Xでいくつかアカウントを持っている。実名に近い名前でやっている本垢と言うべき最も古いアカウントは消すに消せず、かといって乗っ取られたり勝手に消されるのは嫌で、ときどき古い家の空気を入れ替えるがごとく覗きにいく。

昨日その空気の入れ替えをしにいったら、バンドをやっているときにお世話になった先輩がご友人の死を悼んでらっしゃった。その方は若くしてお亡くなりになったらしく、「〇〇のことを知っている人は少しでも想いを馳せてやってください」とのことだった。〇〇というお名前に聞き覚えがなかったけれど、私が忘れているだけかもしれないと思って、その方のアカウントを探し当てた。

その方は固定ツイートでご病気にかかられた経緯を綴っていらした。読んでみて、やはり存じ上げない方だったけれど、その記録があまりにも壮絶で思わず読んでしまった。

その記録の中に「蓋然性」という言葉が出てきた。恥ずかしながら初めて聞く言葉だったので、意味を調べた。意味を読んでも、もう一つ分からなかったのだけど、その方が書いた「病気の元を取り除く手術を検討しているが、不可である蓋然性が高い」という文章と併せて読むと理解が深まった。

〇〇さんは余命6ヶ月と宣告を受けた、と書いていた。そして6ヶ月よりも少し長く生きて、それから逝かれた。

連れ合いが今年、片方の腎臓の半分程度をとる手術をした。その後今のところ悪い症状などは出ていない。そして月に一度、転移防止のために免疫チェックポイント阻害薬のお世話になっている。その薬の名前を聞いた友達が「小林製薬みたいな名前だ」と言ったのが夫婦で気に入って、色んな人にその話をしている。

この間、生命保険の人とリモートで契約内容の確認をした。契約の文言に「余命一年と診断を受けたら、これこれこんだけの額が支払われます」的なことが書かれてあって、ふと疑問に思った。余命一年と診断された後に、一年以上生きた場合は「話が違う」ってなって金返せ!となるんだろうか?

そう思ったので「率直な疑問なんですけど、余命宣告されて、それでも一年以上生きたらどうなるんですか?」と聞いてみた。保険の人は明るく困ったような様子で、決まった額をお支払いするというだけです。お金返せ、とはなりませんし、決まった額以上をお渡しすることもありません。というようなことを答えてくれた。そのときに理解した。

「なるほど、どっちみち死ぬもんな」

そんな単純なことに今さら思い至るのが、なんだか小さく面白かった。

余命一年と言われて、お金をもらって、なんやかんや長く生きちゃった場合、保険は新しく入るんやろうか。その場合の保険料はなかなか高くなりそうだと思った。なんともはや蓋然性の低い話だ(使い方合ってんのか?)。

@pieko
ぴえーるまるこおにぎりと読みます。◯子の◯は記号の、大きい方の◯です。lit.link/pieeeeerumaruko