
ネタバレあります。
大学の友人にこの本を勧められて、図書館で取り寄せているときに、ちょうど旧Twitter現Xでもフォロイーがおすすめしていてワクワクしながら読んだ。
序盤からぐんぐん物語が動いていって、読み進めるほどページをめくる手が止まらなかった。
それでも一回途中で本を読む手を止めて、スマホのメモ帳を開いて、「突然死んだ時用の遺書」を更新した。やっちゃんが死んでたから、そうしなくちゃって思った。
「突然死んだ時用の遺書」は6年前くらいから書き始めてときどき更新している。連れ合いへのメッセージに「誰と誰に連絡してください」の項目のところに二次創作で出会った友達の名前を追加しておいた。親友に宛てたメッセージは書き始めた当初、大げさに言うと「はいどうも〜!死人で〜す!」みたいなテンションだったのを今回はだいぶしっとりさせるという大幅改変をした。そこで自分が歳を取ったんだなぁと実感した。
書き手として個人的にやっちゃんが死んだのは、どっちが先なんだろうと思った。「赦しを迫ることが暴力」ってことを描きたかったのが先でやっちゃんを殺したのか、やっちゃんが死んでしまうっていうことが先にあってそこを描こうってなったのか。なんとなく前者なんかなぁって気がしているけど、お話の中で人を死なせるとき、そのキャラクターの死をお話のための道具にしすぎないようにしたいなと思った。柘植さんが死んだ時は「まぁそりゃ死ぬよな」ってなったのにやっちゃんが死んでこんなこと思うのは、だいぶ感情移入してるんかもしれん。
というのも。
大学の友人は他にも何冊か本を紹介してくれていて。その中の一冊で、主人公がどうしても好きになれんし文体もあんま好きちゃうなーと思いながら読み進める中で唯一「この人好きやな」っておもてた人が死んで、しかも読み終わってみたらそもそもそれは「犠牲」がテーマの小説で。っていうことがあったのも大きいかもしれない。(この小説他の人にも読んでみてほしいけど、自分が「サイコー!」ってなってない小説を読んでみてって言うことに抵抗があって一人モヤモヤしている)
好きなキャラクターが死ぬのはそのキャラクターが好きな読者にとってストレスかけるってことは改めて自覚しようと思った。というかこれまでキャラクターが死んでショック受けたことがあんまりなかったのかもしれない。漫画とか映像作品だとあんまり気にならなかった。「えっ、なんで?」て感じで死なれるのが苦手なのだろうか。伏線は優しさなのかもしれない。まとまりのない自問自答が今も続いている。
読んでる間、後半はもうわりとずっと泣いてて、読み終わったらこんな感じでめちゃくちゃ考えさせられた。当たり前だけど、現実の自分は死ぬと思ってなかったタイミングで死ぬのは可能な限り避けていこうと思った。
マリーちゃんが好きだったから、いつかあのお店にマリーちゃんがごはん食べに来たらいいなって思う。