2024年が始まって早くも1ヶ月が経った。
1ヶ月。
今年の元日のこと、思い出すとまだちょっと身をこわばらせてしまう。
実家に被害はなかったし、翌々日には予定通りの新幹線に乗って帰ってこられたし、そこからは至って普通の「日常生活」を送っているのだけど。
今まで生きてきた中で1番の揺れを感じた。
怖かった。
軽々しく使ってはいけない言葉だけど、軽くはない気持ちで「死ぬかも」「死にたくない」とも思った。
家族と身を寄せ合った。
夜はリビングにみんなで布団を並べて寝た。
なんか修学旅行みたいじゃんって、そんな時なのにちょっとウキウキしちゃった。
ニュースを見る。
聞き馴染みのある地名、祖母を思い出す訛りで話す方たち。
知らない光景、日常とはかけ離れた生活を余儀なくされている方たちの言葉。
ちぐはぐだ、と思う。
私には何もできないことに落ち込む。
新幹線の中でも自分の無力さに落ち込んだ。
まだまだ余震が続く中で、家族を置いて自分だけが逃げ出すみたいで心苦しくなった。
だけど、ここにいても何もできない自分にできることは今の自分の家に帰ることだとも思った。
故郷はもう、私が今いる場所ではない。
私は、私が今いる場所に帰って、私は私の生活をしなければいけない。
そんなことを思いながら車窓を流れていく景色を眺めた。
どうしても予定通りの新幹線で帰りたかった理由が帝劇に行くためだったこと。相変わらずな娘でごめんなさい。
だけど、ステージの上のアイドルたちの煌めきを見て、ぐらついたままだった心と身体を少し安定させられた気がして、やっぱり私にはこれが必要だと思った。
被災者面をするつもりはないから、ただその日のいち観客として、このエンタメに救われましたの気持ちで拍手を送った。ありがとう。
募金箱。
正直なところ今まではコンビニのレジ横、街頭なんかで募金箱や募金活動をする人たちを見ても、善い人がいるんだなぁぐらいの感覚で、他人事だった。
でも、お金が届いて欲しい人の顔が、使われて欲しい景色が浮かぶようになった途端に、そこに置かれた箱に募金をせずにはいられなくなった。
自分事にならないと動けない人間。情けないね。
劇場ロビーに置かれた募金箱に次々と募金をする人たちを見てじんわり涙が出そうになった。
人間ってのは出来が良いのか悪いのか分からない生き物で、大抵のことは時間が経てば忘れる。
完全には忘れなくても、痛みは和らぐ。
身体にずっと揺れが残っているような感覚も、耳にこびりついて離れなかったけたたましいスマホの警報音も、私の中からはもうすっかり薄れてしまった。
でも、それは多分なんてことない顔をして日常生活を送るためには必要なことで。
だから、感覚や記憶が薄れていってしまうのならせめて文章に残しておこうかなとここまで書いてきたけど、締め方が分からなくなっちゃったな。
私たちは自然には敵わないし、今日もとっても寒い。
だから今日は特段あったかくして寝よう。