お昼過ぎ。実家から帰る湘南新宿線の車内。パートナーからメッセージがあった。体調は快復しているようだが、まだ胃が固形物を受け付けないらしい。やっぱり一緒に新年を迎えるのは難しそうだ。借りている8畳の部屋にはテレビはない。大晦日。ぼっち。テレビなし。季節のイベントを特段大切にする方ではないが、大晦日に誰もいない部屋で一人過ごすのはちょっと寂しい。
何か映画でも観ようかな。手元のiPhoneで公開中の映画を検索する。ちょっと投げやりな気持ちもあった。時間を潰せるなら騒がしくなさそうな映画であれば何でもいいや、とあまり考えなしに作品をチョイスして、映画館の座席を予約した。映画のタイトルは「PERFECT DAYS」ティザーの画像には、布団に入りながら読書灯の明かりを頼りに文庫本を眺めている役所広司。敢えてそれ以上は調べずに家路についた。
借間に帰り、ダウンジャケットを脱いでアウトドア用の椅子に腰掛ける。iPhoneをポケットから取り出して銀行のアプリを立ちあげ、元妻の銀行口座に子供たちの来年分の養育費を振り込む。元妻との取り決め上では支払いは月毎で良いのだが、なぜか毎年この時期になるとに翌年分を一気に振り込むことにしていた。
簡単に着替えて向かった映画館はTOHOシネマズ新宿。歌舞伎町の中心地にある、いまにもビルの上から乗り出してきそうなゴジラがいる映画館だ。エスカレーターで3階のロビーまで上がる。大晦日の夜に映画なんて観る奇特な人は自分だけじゃないかなんて思っていたけど、予想に反してロビーの椅子は全部埋まっており、フロア全体が活気に満ちている。辺りを注意深く見渡すと、日本人よりも中国・韓国・欧米からのツーリストの方が多いんじゃないかというくらいだ。隣の椅子に座っているアジア系の若者はSPYFAMILYの日本語パンフレットを熱心に眺めている。映画に字幕はないはずだけど理解できるのだろうか。
上映開始10分前。もうそろそろ良いタイミングかな。飲み物を買いにフードカウンターの列に並ぶ。大晦日だしな、という理由でプレモルと爽健美茶のドリンク2本の贅沢コース。ドリンクを両手で持って指定された部屋に入る。
映画は最高だった。主人公の平山が目の前の生活を懸命に維持しようとすること。日々の小さなできごとを慈しみ、楽しむこと。また、日々の嫌な出来事や変えられない過去に打ち当たっても、なんとか受け入れて走り抜けていく姿には親しみを覚えると同時に胸を打たれた。また、フィルムカメラ、カセットテープ、エッセイ本、町銭湯、安居酒屋など、私が親しんでいるカルチャーがたくさん出てきたのも心地良かった。
映画館からの帰り道。さほど寒くなかったので歩いて帰ることにした。映画の後半。平山が姪っ子を撮ったフィルムと写真のプリントを写真屋さんから受け取って、自室で袋からプリントを取り出していつものように写りを確認しようとするも、結局一枚だけしか写真を見ずにそのままに畳に横たわるシーンがある。なぜかそのシーンが心に引っかかっていたので、彼が自分が守ってきたルーティンに逆らった理由を歩きながら考える。
歩き始めて少し経った時にiPhone からメッセージを受信したという通知があった。元妻から養育費の振り込みを確認したこと。また、子供たちに会わないのか?という内容だった。メッセージの文面はソフトだったが、私の胃はきゅうっと縮こまる。メッセージに返信をせずに、また少しだけ歩いて信号待ちをしているときに、平山が取った行動がほんの少しだけ分かった、気がした。
彼は姪っ子の写真を目にすることで彼女や、そこから連想されるツラい過去を思い出すのが耐えられなかったのではないか。一方で私はどうだ。子供たちに会うのは楽しいし嬉しい。きっと彼らも同じ気持ちだと願っている。しかし別れの時間が来て、また一人きりになったときの孤独感は一人のままであった時と比較にならないほどに心の皮が捲り上がり、当分の間胃のあたりにできた大きなかさぶたのズクズクとした甘くもしつこい痛みに悩まされることになる。そんなことはごめんだから、もう子供たちには自分から会いには行かないし、彼らを連想する養育費の振込という作業も極力避けてきたのではないか。
映画のラスト。平山が日の出の光に照らされながら車で仕事に向かうシーン。彼は泣き笑いの表情を見せる。車内で流れている音楽はニーナ・シモンのFeeling Good。彼にとって一人で朝、気分に合わせた音楽を掛けながら運転することは抱えきれない、消化しきれない事実を受け止めるための儀式なのかもしれない。 今日から新年。私は平山のような儀式めいたルーティンはないけれど、今年はこれまで目を背けてきたことにも無理なく向き合って楽しく生きていこうと誓う。