「見ていて不愉快なものが増えた」という理由でSNSを離れ、新たなコミュニティに所属することができないまま数年が経った。
平日は死んだような顔で仕事しているだけでほぼ終わってしまうが、休日はYouTube→ゲーム→音楽鑑賞のループで一日好き勝手に過ごせる。"子供部屋おじさん"の特権で家には最低限の金を入れるだけで後は何も言われない。ゲームもレコードもCDも好き放題買ってるし、最近はゲーミングPCやSACDプレイヤーさえ買ってしまった。
「(貯蓄ゼロじゃないとはいえ)貯金はしなくていいのか?」「将来設計は?」「少しは老後のことを……」
正直なところ、全く何も考えていない。
長期的なビジョンで考えれば、これらの消費行動は未来の自分の首を絞めているのかもしれない。生き急ぎ過ぎているのかもしれない。
ただ、いくら自問自答しても、恐ろしいことに、"他にすることがない"という結論に至ってしまうのだ。
私は30代前半だが、多くの人が理想とする人生コースにおいてこの時期は結婚・子育て期であり、このように趣味と道楽に呆けている時間などまずないだろう。ただ幸か不幸か、身の回りにも同世代の世帯持ちがほぼいないため、その実態を実際に見聞きすることもなく、焦る要因にもならない。
加えて、私自身極めて無気力・無意欲・無関心の生き方を続けてきたがために、"何もしない"ことを正当化するのが必要以上に上手くなってしまった。「経済力がない」「家事ができない」「子供が嫌い」、そんな男(=自分)に今更何ができるのか。答えは残酷すぎるほど明白だ。
私はきっと、これからもそんな現実から目を背け続けるだろう。Steamでゲームを買い、ディスクユニオンの入荷情報とにらめっこし、偶には重い腰を上げて東京までライブでも見に行くだろうが、そこで見ず知らずの誰かと話すわけでもないし、人間関係が広がることもない。
思考停止のまま現実逃避を続けた先に何があるのか。仮に私の想像を超える恐ろしい孤独や絶望が待っているのだとしても、現状それを避ける術が見つからないのなら、結局"今を楽しむ"のが最善の選択だということにならないだろうか。