しずかなインターネットの、私にとってよいところは、どの記事も後から何度でも文章を編集できるところだと思います。
…どうも私は、思う事や考える事と、書く言葉とが脳の中でだいぶ違うところからきているような感じで、その時々思った事を文章化してみても、ちょっと後から見ると何だか違うなと思う事が多いのです。
ちょっとした言い回しやニュアンス、語尾やらなんやらかんやらが、最初に書いた事と自分の本意や伝えたい事とはちょっと離れているなぁ、と、いつも後から思うんですよね。
だからツイッターなんかも後から、なんか違うなぁ、私が言いたかった事ってちょっと違ってた…こんな風に書くんじゃなかったなぁ、とか、いつも思っていたし。
手紙とか、何枚書いてもなんだか違うなと思って結局出さなくて…いつも紙がもったいなくて。
うーむ、なかなかのストレス。いや、ジレンマ?…
それってやっぱり、本当に、私は文章が上手くないんだと思うのです。
…よくこんなんで小説書こうと思ったなって思いますね。…いや、あれは自由研究みたいなものだから。こんな私なんかでもそれっぽい何かを生み出せるのか?という挑戦であり研究結果の発表だったから。うん。
極端な話、私は永遠に自分の思いを明文化、言語化ができない…のかもって、思う時があります。
そのくらい、ナンカチガウ感、いつも、結構あります。
…まあそんなわけで、何回でも書き直しができて、拍手やいいねのつかない(いいねなどがついてしまうと、いいねと思ってくれた人に悪い気がして、後から文章を変えることが、編集が、躊躇われるのです)しずかなインターネットは、私には良い感じです。
何回直しても変だな、とか、後から何言ってたんだ?言いたかった事が表現できてないな!と思う時は全体公開はやめて自分だけに公開にしています。それもしずかなインターネットのよいところだと思います。
…ほんとはここではあんまり作品について語りたくはないのですが(伝えたかった事や表現したかった事は作品自体から読み取ってもらえたらいいと思うし、表現できてなかったならその作品はそれまでだと思う。この作品で表現したかったのはこれこれこういう事です、と、作品以外のところで言うのは蛇足な気がする…ので)
でもこの、読み手さんからの反響を気にしなくて済むシステム、なかなか気に入って、続けています。
そうそう、お金を出すなどしてしずかなインターネットのスポンサーにならない限り、しずかなインターネットの広場的なところに自分のページが出てこないので、それにより間口を絞れるし。それもよいです。
今はこのページはpixivにしか貼っていないので、作品を読まれた方が読んでいるのではという前提で話ができるので。(もちろんここもpixiv経由で不特定多数の目に触れるだろうけれども、なんというか、こちらもある程度読む方の背景が想定できるほうが言葉が出てきやすいのです)
それに、なんだか昔…恋に悩み苦しんでいた頃、インターネットで見つけた、同じ悩みを持つ人のサイトの日記のように、当時はただひたすら読む事しかしませんでしたが、それでも読む事で癒された何かがあったんですよね…孤独とか?
だから…というほどの何かであるつもりも私にはなく、当時の私の悩みだったセクシュアリティだとかの、創作以外の話をここでするつもりもなくて、それではあんまり意味はないかもしれないけど、それでも、ただなんとなくこちらを読みに来る人もあるかもしれない、と思ったり(ないかもとも思うけれど)
それで、なんとなく書いています。
だから、なかなか、よい感じです。しずかなインターネット。