(生成aiを作成する人って写真家のアナロジーで捉えるべきじゃない?みたいなところから対話を始めて作ったもの。わりとこの話を何度も繰り返してる気もする。それを第一章として第四章まで対話しながら作ってみた。今回はgeminiではなくclaude製(sonnet)。一部語気強いところもあるな)
(あと、後半で最近の個人的な流行りのfaq式の出力)
はじまりはこういう投稿
なんとなく不思議だなーと思ってて実際こうなのではと思うこととして、生成ai絵を作る人と対比されるのは絵師ではなく写真家な気がするのと、イラストレーターという職務と対比されるのではなくデザイナーと対比されるべきなのでは?ということがあったりする。
第一章 対比のずれ
生成AI絵と対比されるべきは絵師ではなく写真家である。そしてイラストレーターではなくデザイナーと対比されるべきである。
環境を整えてそこからレンダリングする行為は写真に近い。光や風景を素材にして作品を生み出す写真家のように、生成AI利用者はプロンプトという環境を整えて画像を生成する。対比の枠組みがずれているから議論がずれる。
生成AIで十分という人の感覚はカメラはスマホで十分という感覚に近い。その人たちは最初から絵師に依頼するつもりがなかった。コミュニケーションのための画像が欲しかっただけである。需要の話ではなく用途の話である。
鑑賞効果があると享受目的になる。機能を果たして消えるものは工業製品として扱われる。この区別が後で重要になる。
スパムとは質の高低の問題ではない。公開と消費のスケールが噛み合わない状況のことを指す。生成がそのまま消費されるE2Eの流れが大量に発生するとき個々の質に関係なくスパムになる。
絵師の絵は写真における被写体のような位置づけになる。それがIPなのか人なのかはわからない。しかしその問いは次章に持ち越す。
第二章 被写体と作家性
被写体には段階がある。
作家名をプロンプトに入れた生成画像は有名な絵画を撮影した複写に近い。被写体の存在感が圧倒的で生成者の作品性はほぼない。i2iになると類似性の問題になる。元の絵師の面影がどこまで残っているか。面影が薄れるほど作品性は生まれるが被写体への依存も薄れていく。作品性と搾取性は反比例に近い。
複数の被写体を混ぜた場合はどうか。加色混合の黒やスライムは何を混ぜても同じ結果になる。選択が結果に影響しない。キメラには意図と選択の構造があるが混ざりきれていない気持ち悪さがある。継ぎ目が見えている状態。現状の多くの生成AI絵はこのキメラ段階に留まっていて未消化の搾取が透けて見える。
ではキメラを超えるにはどうすればいいか。絵を入力に絵を作るのは同じ次元での複製に過ぎない。絵を入力に漫画やアニメを作るとき初めて別の話になる。異なる次元への変換にモチーフや意図が必要になるからである。写真家の眼が何をフレームに入れるかであるように混ぜ方にも意図があるとき初めて作品と呼べる。
写真には三つの類型がある。モチーフや意図を持った作品としての写真。衝撃的瞬間や技巧による工業製品としての写真。そして被写体の希少性そのものが換金性を生むゴシップ写真。人気絵師の作風を使った生成画像は構造的にゴシップ写真に最も近い。被写体の価値を同意なく換金しているという意味で。
生成AI利用者は基本的に作家性を持たない。デザイナーと同じく機能を実現する工業製品の作成者として振る舞っている。作家性を持つかどうかが踏み絵になる。それを持たないまま工業製品がスケールする。それが第一章で定義したスパムである。
第三章 権利と行使の非対称性
写真には被写体の権利という問題が常についてまわる。風景には権利がなく人物には肖像権があり絵画には著作権がある。しかし絵師のスタイルや作風はどれにも綺麗に当てはまらない。著作権は具体的な作品を保護するがスタイル自体は保護しない。既存の権利の枠組みでは捉えきれない搾取が起きている可能性がある。権利の定義自体を見直す必要があるかもしれない。
しかし権利があるかどうかという議論だけでは不十分である。問題は誰が行使できるかである。有名な被写体はパパラッチを訴えられる。しかしほとんどの絵師は無名であり本業は絵を描くことである。パトロールして侵害を発見して訴訟を起こすという固定コストは今まで存在しなかった。それを突然要求されるとしたら絵を描く余暇すら失われる。権利があっても行使されなければないのと同じである。
有名絵師と無名絵師の非対称性はゴシップ写真の構造と重なる。有名人だけが換金されて訴えられる。無名の被写体は気づかないまま消費される。この非対称性は個別の訴訟では解消できない。
絵師に要請されるのは作品を作ることだけであるべきで防衛のコストは絵師が個別に負担すべきものではない。固定コストを簡易化する仕組みか集団的に対処する枠組みが必要である。絵師が余暇を防衛に使わずに済む構造が要請される。そしてその仕組みを支える前提として権利の定義自体の再考が避けられない。
第四章 工業製品の輪郭
第一章で生成AI利用者はデザイナーであると定義した。デザイナーとは作家性を持たない工業製品の作成者である。ではその工業製品として完全に安全な範囲はどこか。
第一章で鑑賞効果があると享受目的になるという話をした。機能を果たして消えるものは工業製品として成立する。そして名前が出ないことが工業製品としての完結を示す指標になる。社員証の写真は撮影者の名前が出ない。工業製品として完結している。アーティスト写真になると写真家の名前が前面に出る。名前が出るかどうかは作家性を主張するかどうかの宣言である。この二つが揃うとき生成AI利用は安全側に入る。
具体的には配色やレイアウトの案出しやワイヤーフレームや社内資料の図解がある。これらは見られるが鑑賞されない。情報や機能として消費されて目的にならない。クライアントワークの制作過程や納品物に痕跡が残らない用途も同様である。生成物が手段として消えるとき作家性は問われない。
クライアントが求めているのは課題の解決であって作家性ではない。その文脈では生成AI利用者はカメラマンではなく現像機に近い。名前が出ない構造が最初から埋め込まれている。
完全に安全な利用法の共通点は生成物が目的にならないことである。それ以外については語らない。
faq式の回答
いろいろ思考の備忘録だとか履歴の要約だとか閉じた文章と開いた文章だとか、自分向けあるいは他人向けに手軽に自分の思考を公開をする方法を模索してきたのだけど、他人向けの公開にはこのfaq形式のものがちょうど良いサイズに思考が切り分けられていてべんりなきがしている。
あまり気取らずその場で打ったようなプロンプト。
今までの対話を理想的な一問一答の形式の会話にしてくれませんか?(つまり誤解の解消部分をはじめから正確な理解をしたかのように変えてほしい)。
回答は履歴を読まない人が読んでも理解可能な自己完結的である形が望ましい。
こんな感じになる。
https://claude.ai/public/artifacts/78373ef6-daee-4a3c-8344-fd78a6c22a81
claudeはmarkdownをそのまま公開できて便利だなぁ。
履歴全体はこんな感じ
https://claude.ai/share/93edaae7-2df7-4c9e-8b76-c1ecb4928cdf
その後の感想戦
ちなみにより意図を明確にするためにこれらの文章を読ませた後の感想戦をした。その時の自分の投稿は以下のようなものだった。ここには回答は含まれてない。
## ユーザー入力履歴
ユーザー:
読んでください。どういう事が言いたいの?(注: ここで生成した文書を添付)
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ユーザー:
つまるところai推進派?
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ユーザー:
重要なのは量的関係の話じゃない?そこからすべては始まってる気がする
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ユーザー:
そう考えると慎重派ではなく推進派なのでは?何なら安全か?という話ですよね
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ユーザー:
作家性とは何か?という観点でレーンを分けてレートリミットを付けるなどしたいという話ですよね。
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ユーザー:
もう一つのドキュメントがありました。今までのあなたの理解との差異を読後で教えてください。(注: ここでfaqを添付)
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ユーザー:
語られなかったグレーゾーンを明らかにしてみてください。列挙してみてください。可能な限り。
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ユーザー:
まぁでもいくつかに関しては回答を得る事が出来る気がします。量的関係を考えれば私的使用は公開してなければ大丈夫でしょう。無名のボットも利益を得てるならそれはペンネームがボット名というだけでしょう。
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ユーザー:
そうそうなのでGameで生成aiが使われるかが東西で燃えてるわけですね。そして二次創作ではどうでしょうか?インディーズ?という感じで
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ユーザー:
あとはまぁソシャゲーの絵やイラストの仕事を考えると下部組織が残らないかも?という話もありはする