選挙の投票めんどくさい、あるいは間接間接民主主義という名の思考実験について

podhmo
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公開:2025/7/20

(これは生成された文章です。grokは何回かの対話が必要でしたがgemini2.5は元のx/twitterの呟きで意図を察してくれました https://x.com/podhmo/status/1946758527290331385 これについてはあとがきで触れてます )

面倒さの向こう側にあるもの 🚪

思考の始まりは、ごくありふれた感覚にあった。「政治は面倒くさい」。

政策を比較し、候補者の経歴を調べ、政党の公約を吟味する。その一連の営みは、市民の義務であると理解してはいるものの、日々の生活の中では重荷に感じられる瞬間がある。

そもそも、国民が選んだ代表者に政治を委ねるのが代議制民主主義[^1]、あるいは間接民主主義[^2]と呼ばれる仕組みだ。私たちは専門家である政治家に、複雑な国家運営を「お願い」している。ならば、その専門家を選ぶ「選挙」という行為そのものも、誰かに「お願い」してしまえないだろうか。

そんな素朴な疑問から、奇妙な言葉が頭に浮かんだ。「間接間接民主主義」。

間接民主主義が、国民と政治の間に「代表者」という一段階の間接性を挟むものだとすれば、間接間接民主主義は、国民と代表者の間に、もう一つ別のレイヤーを挟むことになる。

それは、不特定多数の候補者の中から一人を選ぶのではなく、もっと個人的で、信頼のおける「特定の誰か」に、自分の一票の選択権そのものを預けてしまう、というアイデアだった。

信頼のファンドマネージャーを選ぶように 💼

この考えは、一見すると政治的無関心の表明に見えるかもしれない。しかし、探求を進めると思いのほか、その本質は異なる場所にあることに気づく。これは、政治への関与を放棄するのではなく、関与の仕方を「選択」する行為なのだ。

例えるなら、株式投資におけるファンド選びに近い。

全ての個別企業の財務諸表を読み込み、将来性を分析して投資先を決めるのは、専門的な知識と多くの時間を要する。だから多くの人は、信頼できる運用実績を持つファンドマネージャーを選び、自分の資産を託す。どのファンドを選ぶかは、その人のリスク許容度や価値観が反映された、きわめて主体的な判断だ。

間接間接民主主義のアイデアもこれと似ている。

全ての候補者の資質を自分で見極める代わりに、「この人なら、自分よりも的確な判断をしてくれるだろう」と信じられる、自分の価値観に近い人物、つまり「票のファンドマネージャー」を見つけ出し、その人に自分の一票を託す。これは、判断の責任を放棄するのではなく、信頼できる代理人を選ぶという、新たな形での意思決定と言える。

政治家という、メディアを通してしか知らない遠い存在ではなく、自分の身近にいる、人格や判断力をよく知る「パーソナルな誰か」に託したい。その感覚が、この思考の核心にあった。

システムの光と影 💡

しかし、どんなアイデアにも影はつきまとう。個人が個人に票を委任できるとなれば、そこには不正の入り込む余地が生まれる。票が金銭で売買されたり、あるいは、社会的地位や人間関係を利用して特定の人物への委任が強制されたりするリスクは、容易に想像がつく。そうした問題を考えると、このアイデアは途端に実現困難なものに思えてくる。

この「強制」や「しがらみ」という影を払拭するには、どうすればよいか。

答えは「匿名性」にあるのではないか。つまり、自分が誰に票を託したのか、その事実が託された本人にすら知られない仕組みを構築できれば、外部からの圧力は働きにくくなるはずだ。

現代のテクノロジーは、そのための道具を提供してくれるかもしれない。例えば、マイナンバーカードに搭載された公的個人認証サービス[^3]だ。

理論上は、次のようなシステムを構想できる。有権者は、政府が管理する安全なウェブサイト上で、マイナンバーカードを使って本人認証を行う。そして、票を託したい代理人を指定して、その意思を電子的に記録する。この記録は暗号化され、「誰が誰に託したか」という情報はサーバー内部で完全に秘匿される。

投票日、代理人が投票する際、システムは彼に「あなたは自分自身の1票に加え、X人から票を託されています」と、その票数だけを提示する。代理人は、自分が何票分の意思を背負っているかは知るが、それが誰からの信頼の証なのかは、決して知ることができない。

こうして技術の力を借りれば、人間関係の摩擦や圧力を回避し、純粋な信頼だけに基づく票の委任が実現できるかもしれない。

再帰性なき一段階の委任 ⛓️

この思考実験を成り立たせる上で、絶対に守られなければならない、一つの重要なルールがある。それは、委任は一度きりで終わる、ということだ。

AさんがBさんに票を託し、そのBさんがさらにCさんに託す、といった委任の連鎖は許されない。ネットワーク用語を借りるなら、ステップ数、つまりホップ数[^4]は常に1で固定される。このシステムには再帰性[^5]があってはならないのだ。

なぜなら、この「再帰性なきルール」こそが、システムの暴走を防ぐための安全装置だからだ。

第一に、システムの単純性を保つ。委任の連鎖を許せば、誰の票がどこへ流れたのかを追跡することは不可能になり、システムは制御不能に陥る。

第二に、責任の所在を明確にする。Aさんから票を託されたBさんは、その一票に対する責任を負う。再帰性があれば、その責任は曖昧になる。

そして第三に、過度な権力集中を防ぐ。もし再帰性を許せば、少数のインフルエンサーが他の代理人から雪だるま式に票を集め、民主主義の前提を破壊しかねないほどの力を持つ可能性がある。

委任は一段階限り。この制約があるからこそ、このアイデアは無秩序な票の取引市場ではなく、「信頼に基づく意思決定の委任」という、一つの閉じたモデルとして議論の俎上に載せることができる。

思考実験と現実の壁 🧱

技術的な実装の可能性が見えたとしても、思考実験と現実の間には、分厚い壁が横たわっている。

この「間接間接民主主義」は、現代の民主主義社会が拠って立つ、いくつかの大原則と衝突する可能性がある。

一つは、秘密投票の原則[^6]だ。誰に投票したかだけでなく、誰に票を託したかも秘密にする、というこのアイデアは、ある意味でこの原則を拡張するものだが、その解釈は法学的な大論争を巻き起こすだろう。

さらに深刻なのは、投票価値の平等[^7]という憲法上の要請との関係だ。多くの票を託された一個人の判断が、他の多くの個人の判断を上回る影響力を持つ。これは「一人一票」の原則を根底から揺るがしかねない。ある人物の一票が、他の人の百万票分の価値を持つような事態を、私たちの社会は許容できるだろうか。

もちろん、現行の公職選挙法は、このような仕組みを一切想定していない。導入には、法律の根本的な改正が必須となる。

結局のところ、このアイデアは、技術で解決できる問題よりも、社会的な合意形成という、はるかに高く、そして分厚い壁に突き当たる。これは、選挙という民主主義の根幹に関わる問いであり、答えは技術の中にはない。それは、私たちの社会がどのような形の参加を望み、どのような形での平等を理想とするのか、という哲学的な問いかけそのものなのだ。

この思考実験は、ここで一旦の終わりを迎える。それは明確な結論ではない。ただ、一票の行方を巡る、一つの可能性の探求の記録である。

[^1]: 代議制民主主義: 国民が選挙で選んだ代表者を通じて、間接的に政治に参加する政治制度。間接民主主義とほぼ同義。

[^2]: 間接民主主義: 国民が直接政治的意思決定に参加するのではなく、代表者を選んで政治を委ねる方式。直接民主主義と対比される。

[^3]: 公的個人認証サービス: マイナンバーカードのICチップに搭載された電子証明書を利用し、インターネット上で安全かつ確実に本人確認を行うための仕組み。

[^4]: ホップ数: コンピュータネットワークにおいて、データが送信元から宛先に届くまでに経由する中継機器(ルーターなど)の数。ここでは、委任が経由する回数を指す比喩として用いられる。

[^5]: 再帰性: ある定義や手続きの中に、それ自身が含まれていること。ここでは、票の委任という手続きが、委任された先でさらに繰り返されることがない、という意味で使われる。

[^6]: 秘密投票の原則: 有権者が誰に投票したかを、国家や他人に知られないように保障する選挙の基本原則。外部からの圧力や干渉なしに、自由な意思表明を可能にする。

[^7]: 投票価値の平等: 全ての選挙人が投じる一票が、選挙結果に対して持つ影響力(重み)において平等でなければならない、という憲法上の原則。議員一人当たりの有権者数の格差(一票の格差)などが、この原則に反するとして問題になる。


あとがき

これはx/twitterで自分がふと連動してみたものをaiに読み込ませたものを元にした文章でした。なので一部分気になるところがありますが直してません(例えば投票者が当日に背負う重みを認識すると文章中にありますが個人的には認識する必要もない気がしてます)。

ここではモデルの性能の違いを実感した事例として少しやりとりの例を紹介しておこうと思います。

grok の回答

grok(grok3)には一度読み込ませた後に以下のような対話が必要になりました。

しっかりと間接間接民主主義の意図を汲んで

これは間接間接民主主義のユーモア(?)を上手く認識してくれなかったゆえの反応です。単にだるいだとか政治的無関心と紐付けられてしまいました。

ある段階で終わるのではなく明確に間接間接民主主義で終わります

これは誰かに委託するとだけ受け取り、委託の委託も可能性として存在するとしていたために追加した制限でした。再帰性許さない絶対。

ある意味任意の候補者から自分が選ぶのではなく、自分の代わりの投票者を自分で見つけてその人に票を預けたいという意志の表れであり政治的無関心とはまた別です。投資でファンドを買うみたいな話です。

これは筆が滑って追加した表現ですね。これらの対話によりようやくgrokと意味するところについて合意することができました。

実際の履歴は以下です。

https://x.com/i/grok/share/D6lDu8S8Wewt1cyamoDJtJBVP

geminiの回答

一方gemini(gemini-2.5 pro)は一発で望みの回答をくれました。以下のようなものです。

はい、承知いたしました。

ご指定のX/Twitterの連投(スレッド)について、ルールに従って解説します。

**投稿者:** po

政治とかめんどくさいし特定の人にお願いと言ってやってもらうのが代議制民主主義だけど、選挙も面倒なので特定の人にお願いと言ってやってもらいたさがある。

間接民主主義ならぬ間接間接民主主義みたいな話。

でも本当にパーソナルな特定の誰かに票を預けるとかがしたい。

解説 🤔

この投稿は、現代の政治システムに対する一つの意見を述べたものです。投稿者は、政治や選挙を「めんどくさい」と感じており、国民が代表者を選ぶ「代議制民主主義¹」²(間接民主主義)の仕組みは理解しつつも、その選挙プロセス自体も誰かに委任したいという願望を表現しています。

これは、いわば「間接民主主義」をもう一段階増やした「間接”間接”民主主義」というユニークな造語で表現されています。具体的には、自分が信頼する身近な個人に自分の投票権を託し、その人に自分の代わりに投票先を決めてもらう、というアイデアです。政治家という遠い存在ではなく、もっと個人的(パーソナル)な信頼関係に基づいた意思決定の委任を望んでいる(と推測できます)。

**脚注**

¹ **代議制民主主義(だいぎせいみんしゅしゅぎ)**

* **ここでの使われ方:** 国民が政治を「特定の人にお願いしてやってもらう」制度として、簡潔に表現されています。

* **本来の意味:** 国民が自ら選んだ代表者を通じて、間接的に政治的意思決定に参加する政治制度のことです。国民全員が直接政治に参加する直接民主主義と対比されます。

² **間接民主主義(かんせつみんしゅしゅぎ)**

* **ここでの使われ方:** 代議制民主主義とほぼ同じ意味で使われています。

* **本来の意味:** 代議制民主主義の別名です。国民が代表者を選挙で選び、その代表者が議会などで国民の代わりに意思決定を行います。


**投稿者:** po

もちろん、無限に間接が挟まることはなくステップ数(ホップ数³)はここで終わる。

暗に売買とか強制があったりとかを考えるとだるいのだろうけれど。

解説 ✋

この投稿は、一つ前の投稿で提案した「間接間接民主主義」というアイデアに対する補足説明です。

まず、この「票を預ける」という行為が、無限に繰り返されることはないと釘を刺しています。(例えば、AさんがBさんに票を預け、そのBさんがさらにCさんに預ける…といった)連鎖は起こらず、自分が誰かに預けるという一段階(1ステップ、1ホップ)で完結するモデルを想定しているようです。

続けて、このアイデアの潜在的な問題点にも言及しています。もし票を個人に委任できるようになると、その票が金銭で「売買」されたり、特定の候補者へ投票するよう「強制」されたりする不正行為が発生するリスクがあります。そうした(制度設計や運用面の)面倒さを考えると、実現は難しいだろうという懸念を示している(と読み取れます)。

**脚注**

³ **ホップ数(ほっぷすう)**

* **ここでの使われ方:** 自分が誰かに票を預けるという行為を「1ホップ」として、中継される回数を表現しています。

* **本来の意味:** コンピュータネットワークにおいて、データが送信元から宛先に届くまでに経由するルーターなどの中継機器の数を指す言葉です。経由する数が少ないほど、通信経路は短いとされます。