独りでの生活による思考様式の変化について

podhmo
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公開:2025/4/19

(これは自分のx/twitterでのスレッドを元に生成された文章です。いつも通り本題はメイキングの方にあります)

🤔 孤独が変える、思考の景色

長いこと独りで過ごしていると、どうやら考え方の癖まで変わってしまうらしい。以前は、誰かと話したり、あるいは本を読んだりする中で、自然と「賛成する立場」「反対する立場」といった特定の役割に身を置き、その視点から物事を深く掘り下げることができていた。だが今は違う。何かを考え始めると、その賛成意見も反対意見も、あらゆる角度からの視点も、全部自分の頭の中だけでやろうとしてしまうのだ。まるで一人で討論会を開き、全ての参加者の役を演じようとするかのように。これは、頭の中という限られた舞台で、あまりにも多くの役を同時に演じようとする試みであり、思考のエネルギーを無駄に消耗させてしまう。

📉 脳の力を分散させる罠

この「頭の中で全部やる」状態は、どうも思考の力を弱めてしまうようだ。かつて多重人格と呼ばれた心の状態について、現実には、脳の力が無理に分けられることで、本来一人の人間が持つはずの力に満たない、いわば「半人前」のような状態が複数生まれてしまうことに近い、という話を聞いたことがある。それと似て、頭の中で多くの役割を同時に演じようとすると、一つ一つの思考に割けるエネルギーが減り、結果的に全体の思考力が落ちてしまうのではないか。深く考えるための「探求力」が鈍り、問題の本質に迫れなくなる。広く物事を見渡す力も弱まり、考えが浅く、狭い範囲に留まってしまう。思考の「質が落ちる」と感じるのは、この探求力が低下しているからなのだ。

✨ 狭い道での、束の間の速さ

ただ、不思議なことに、この力が弱まった状態でも、ごくまれに上手くいく瞬間がある。それは、過去の経験や知識がすぐに役立つ状況で、かつ考えるべき範囲が非常に狭い場合に限られる。その狭い道の中ならば、力が弱まっていても、全ての可能性をしらみつぶしに調べ上げることができるのだ。これは、知識の少ない子供が、答えの選択肢が限られているような特定のクイズで、かえって大人より早く正解を見つけることがあるのに似ている。大人は多くの知識を持っているがゆえに、迷い、考えるのに時間がかかることがある。一方、子供は知っている範囲が狭いからこそ、その中を素早く調べ尽くせる。これは思考の「深さ」ではなく、一時的な「速さ」がもたらす結果だ。しかし、これは本当に稀な、幸運な瞬間に過ぎない。

💡 世間の人々が見せる、思考の巧みさ

では、世の中の多くの人々――私が「まとも」と呼ぶ、スムーズに物事をこなし、淀みなく生きているように見える人々――は、どうやって思考を操っているのだろう。彼らはきっと、無意識のうちに思考のエネルギー配分を調整しているのだろう。じっくり考えるべき課題には、集中力を高めて深く思考するモード(高コストモード)を。さっと判断すれば良いことには、エネルギーを節約する軽い思考モード(省コストモード)を、巧みに切り替えているに違いない。まるで、コンピューターが作業内容に合わせて性能を調整するように。そして、もう一つ重要なのは、彼らは特定の場面で「自分は今、この役割を担っている」と明確に意識し、その役割に集中できることだ。私のように、頭の中で複数の役を同時に演じようとして混乱することが少ない。だからこそ、彼らは考えがまとまらずに反応が遅れたり、物事を始める前から気が重くなったりすることが少なく、軽やかに日常を送れているのだろう。

🔄 独りで考えることの、ささやかな言い訳?

ここまで、一人で考えを抱え込むことの難しさ、思考の探求力が鈍ることを語ってきた。だが、少し立ち止まって考えてみると、独りで完結させることの良さも、全くないわけではない。これは後からの言い訳めいたものかもしれないが。例えば、コンピューターシステムの作り方で、機能を細かく分けて作る方法(マイクロサービスと呼ばれる)と、一つの大きな枠組みの中で整理する方法(モジュラーモノリスと呼ばれる)がある。前者は柔軟だが連携が複雑になりがちで、後者はシンプルだ。また、AIの世界でも、複数のAIが協力し合う方法(マルチエージェント)と、一つの強力なAIが全てをこなす方法がある。これも、前者は高度なことができるが調整が大変で、後者は管理が楽だ。これらの例えを借りるなら、「一人で考える」のは、後者のシンプルな方法に近い。思考の前提となる情報(コンテキスト)を誰かと共有する必要がなく、頭の中でスムーズに繋がる。思考プロセス全体を管理する手間も少ない。役割分担に伴うコミュニケーションや調整の手間がない分、「楽」で「エネルギーを節約できる」面もあるのかもしれない。

🥀 迷宮の住人として

しかし、結局のところ、こんな風にあれこれ考えてみても、行き着くのは「自分は、世間の人々のように巧みに思考を操れてはいない」という、一種の諦めに似た感情だ。彼らのように思考のモードを切り替え、適切な深さで物事を探求し、迷いなく一つの役割に集中することが、私にはどうにも難しい。頭の中で終わらない一人芝居を続け、エネルギーを空費し、浅い思考の海を漂っている。ごくまれに訪れる幸運な閃きに期待するしかない。今、こうして言葉を紡いでいること自体が、そのどうしようもなさ、迷宮の住人であることの告白なのかもしれない。この独りの思考の迷宮から抜け出す道は、まだ見えない。


いつものメイキング

最近までは何らかの一般的な人に向けた文章を作るということを念頭に置いて生成していたが、今回は自分のスレッドの内容をそのまま再現する形での文章作成をしてみた。

色々やったリンクをまとめたgistはこちら

https://gist.github.com/podhmo/a1ebfc9a676c6c29cf9f53cfa53b08ed

前回からの反省

最近の生成された文章には不満がある。

  • 思ったよりも時間も労力もかかる(2時間程度)

  • 生成された文章を読んだときに嬉しさがない

前者は分かりやすい。後者について詳しく説明する。文章はおおむね自分のx/twitterのスレッドからgrokと対話し、ai studio経由で生成されるが、自分の理解や発見に対する合意はgrokとの対話で終わってしまう(元々自分の語彙が独自の性質を獲得してしまった後に歪んでいき他者との互換性がなくなることへの不安があった)。

その後文章を生成してみるわけだけれど芯がない上に何らかの不満点は見つかり付け足したくなるような部分は多々見つかる。つまるところ編集がしたくなる。一方で完成した文章に変更を加えるのはよくあるジェンガの喩えのようにあちらを変更したらこちらも変更しないと…みたいな感じになり容易に変更できない。しかしスマホでの編集は無理に等しい。

ここで一度立ち止まって考えてみることにする。文章の作成に価値を見出すとすると以下のどちらかに寄せれば良い。

  • grokとの対話の結果を文章として再現する

  • grokとの対話で得た良さの一部を一般的な人に伝わるような文章にする

最近まではかなり後者に寄ったスタンスで作っていた。つまり対話を読み込ませて要約なり解説なりをさせそこから文章用のプロットを考えてもらいその後文章に変換してもらう。このプロットの抽出をかなりaiに任せていた。

それをやめてみる。前者に戻ることにして自分のスレッドの遷移そのまま文章に落とし込むことにした。そのままの再現なら素直な変換を考えれば良い。一応grokとの対話は毎回不要な回答部分を読み飛ばしつつ読解する必要があるのでこれからの未来の自分に対しても意味がある。aiによる高度な読解や総括は諦めた。

今回の試み

前回の糊の話にも繋がる話ではあるが、結局のところLLMに文章を出力させるには以下は指定した方が良いようだった。

  • 筆者はどのような存在か?

  • 冒頭はどのように始めたいか?(導入)

  • 終わりはどのように締めたいか?(結論?)

これがあると流れはスレッドののままなのである程度は文章の構造が固定される。

加えて脚注が機能するということがわかったので以下2つのバリエーションを生成してみることにした。

  • 用語をそのままに脚注で補足するバージョン

  • 一般的な表現で書き下すバージョン

冒頭の文章は後者の書き下した方だった。脚注を使った方のものはgistにあげている(個人的には自分の語彙に近い表現で出力されてるせいかこちらの方が全体としては分かりやすく感じる。一方で細かな表現への違和感を許容し辛い感覚もある。書き下されたほうはまぁ良いかという気持ちで受け流せる面もある)。

利用したプロンプト

何も筆者のスタイルを指定しないと自信満々なコンサルないしは学校の教師のような雰囲気になる。単に主観的なとだけ書いてしまうとどうやら幼い感じのスタイルになってしまうようだ。そんなわけで今回は「脳内での思考や熟考が好きな表現巧みな存在」としてみた。これは思ったより文学的な雰囲気により過ぎてる気もする。

あと元となるx/twitterのスレッドの投稿主がgrokとの対話の中ではpodhmo氏(自分)という呼称が使われていた。それを使って語彙を自分に寄せている(もっと良い感じに指定したい)

ついでにコピペしやすいようにmarkdownのブロックで出力してもらった。前回のプロンプトに記載があったので文字数も指定してみた(1000〜2000字)。

この思考をそのまま文章にしたいです。筆者は脳内での思考や熟考が好きな表現巧みな存在だとしてください。自分自身の思考の追体験を読者にさせたいとします。元々のpodhmo氏の投稿及びわたしやgrokやあなたとの対話の存在を知らない人に伝わるようにしてください。

2つのバージョンを作ってください。1000文字から2000文字程度あれば良いでしょう。

- podhmo氏の使う語彙をそのまま使い適切に脚注を加えるバージョン

- 文中で言葉の定義を紐解いて一つの文章を作るバージョン

それぞれの文章の段落には章タイトルをつけてください。章タイトルには先頭にemojiをつけてください。またコピペしやすいようにmarkdownのブロックの形で出力してください。

はじまりは孤独な生活が長くなったことによる思考の様式の変化という体ぇ始めてください(ディベートを外化するか内化するかというスタンスの違いにも現れます。つまりこれは脳内で全部やってしまおうとすることによるリソース不足の話なのです)。

普通の人々に触れるタイミングで思考リソースの節約の為の使い分けだけではなく一つの役割だと明示しその一つの役割に徹することが出来てる点も考慮してください。

そしてこの文章を書くに渡り私はまともな人ではない。つまり一般的な人ではないという諦観に似た感情がこの文章を作らせたという感じで終わらせてください。

出力させたのを見て思ったがaiはx/twitterのスレッド内の全ての投稿を平等に見て生成してしまう問題は抱えていそう。これと自分の大枠を書いた後に補足事項や例外事項を付け加える形式での連投とが上手く噛み合わない感じ(これ自体が恐らく議論を先回りする感じで防衛したがる悪い性質なような気もする)。

文章のサイズ感について

ついでにこんな質問もした。

1000から2000字の表現は難しかったですか?

より短いほうがやりやすいですか?

より長いほうがやりやすいですか?

一般にどのくらいの文字なら文章にしやすいですか(元の投稿の入力を元にしてください(SNSのスレッド))

500〜1000字や3000〜5000字などと比較してみてください。

結論として:

  • 500~1000字: 要約や速報的な紹介に向いており、比較的容易。

  • 1000字前後: 元のアイデアを活かしつつ深みを加え、読み物としてまとめるのに最もバランスが良い(推奨)。

  • 1000~2000字: 内省や詳細な解説を加えることが可能だが、構成力と肉付けのバランスが求められ、やや挑戦的。

  • 3000字以上: 大幅な創作や深い掘り下げが可能だが、元の情報量が少ない場合は難易度が非常に高く、冗長化・主題拡散のリスク大。

もちろん、書き手の意図や文章の目的によって最適な文字数は変わりますが、SNSスレッドからの再構成という点では、1000字あたりが一つのスイートスポットと言えるでしょう。

とのこと