( 📝 この文章は生成された文章です。grokとの対話で私の仮説を強弁した後の対話履歴をgeminiに渡しプロット案を出してもらいトーンを指定しつつ生成してもらった文章です)
🤔 **第1章: この現象をどう理解すればいいのだろう?**
夜中にふと目が覚めて、スマートフォンのニュースフィードを眺めていると、またしてもシリコンバレーの巨大テック企業のトップ人事の記事が目に留まる。GoogleのCEO、MicrosoftのCEO、AdobeのCEO… 彼らの名前に共通する響きに、改めて気づかされる。インド系のリーダーたちだ。
もちろん、インドは巨大な人口を抱える国だ。優秀な人材が多いのは当然かもしれない。けれど、世界のトップ企業、特にイノベーションの最前線であるシリコンバレーの、しかも頂点に立つ人々の顔ぶれを見ると、単なる人口比だけでは説明がつかないような、ある種の「偏り」を感じてしまうのは私だけだろうか?
なぜ、彼らなのだろう? 何か、私たちがまだ気づいていない、特別な理由があるのだろうか? そんな素朴な疑問が、この個人的な探求の始まりだった。
💡 **第2章: よく聞く話、腑に落ちない感覚**
この疑問を誰かにぶつければ、おそらくいくつかの「もっともらしい」答えが返ってくるだろう。まず、インドの教育、特にSTEM(科学・技術・工学・数学)分野におけるレベルの高さ。IIT(インド工科大学)の名前は、世界中のエンジニアにとって一種のブランドだ。入学試験は想像を絶するほどの競争率で、そこを突破しただけでも、彼らが並外れた知性と努力の持ち主であることは疑いようがない。
次に、英語力。インドでは英語が広く使われており、グローバル企業で働く上で、コミュニケーションの壁が低いことは大きなアドバンテージだ。多国籍なチームをまとめ、世界中の市場と向き合うリーダーにとって、これは必須のスキルと言える。
そして、ハングリー精神。移民として異国の地で成功を掴もうとする強い意志や、厳しい競争社会で培われたであろう勤勉さも、成功の要因として挙げられるだろう。
これらの要素が重要なのは確かだ。彼らの成功の基盤となっていることは間違いない。しかし、心のどこかで、まだ何かが足りないような、腑に落ちない感覚が残る。例えば、同じように人口が多く、優秀なSTEM人材を多数輩出し、やはり強い上昇志向を持つ中国系のエリートたちと比較したとき、なぜCxOというトップの椅子に、インド系の名前がより多く見られるのだろうか? よく聞く話だけでは、この最後の「差」を埋めることができない気がするのだ。
🤫 **第3章: タブー視される社会構造の影響を問う**
そこで、少し踏み込んだ問いを立ててみたくなる。それは、インド社会の根幹に関わる、非常にデリケートで、時にタブー視されがちな要素――カースト制度の影響だ。
インド憲法ではカーストに基づく差別は禁止されている。しかし、社会的な慣習や人々の意識の中には、今もなお根強く残っていると言われる。その影響は、インド国内だけでなく、海を越えた先、例えばシリコンバレーのような最先端の場所にも及んでいるのだろうか?
近年、カリフォルニア州が大手IT企業シスコを相手取って起こした訴訟は、シリコンバレーにおいてカーストに基づく差別が現実に存在することを示唆して衝撃を与えた。ダリット(歴史的に不可触民とされてきた階層)出身のエンジニアが、上位カースト出身の上司や同僚から昇進や業務機会において不利益な扱いを受けたとされるこの一件は、氷山の一角なのかもしれない。かつては、アメリカに来ればカーストの軛(くびき)から解放されると考えられていた側面もあったが、近年、インド系コミュニティが拡大する中で、むしろカーストに基づくネットワークや序列が「再生産」されているのではないか、という声も聞かれるようになった。
興味深いことに、現在シリコンバレーで活躍する著名なインド系CEOの多く、例えばGoogleのサンダー・ピチャイ氏やMicrosoftのサティア・ナデラ氏なども、歴史的に上位に位置づけられるカースト(特にブラミンなど)の出身であるとされることが多い。ヴァルナと呼ばれる4つの基本的な階層―― **ブラミン**(祭司・学者)、**クシャトリヤ**(王侯・武士)、**ヴァイシャ**(商人・農民)、**シュードラ**(労働者・奉仕民)――そして、その枠組みの外に置かれてきた**ダリット**(かつてのアウトカースト)。この社会構造が、単なる偶然を超えて、彼らの成功の軌跡に何らかの形で関与している可能性は、本当にないのだろうか? これは差別という側面だけでなく、特定の層にとって有利に働く「仕組み」として機能している可能性を問うているのだ。語ることをためらわせる複雑さがあるからこそ、そこに何か本質が隠れているのかもしれない。
👑 **第4章: 「効率」の裏にある、ある種の「特権」?**
もし、カースト制度が、あるいはそれに関連する文化的背景やネットワークが、シリコンバレーで何らかの形で機能しているとしたら、それは具体的にどのような形で「成功」に結びつくのだろうか? ここで、ひとつの仮説的なモデル、「王子モデル」とでも呼べるような考えが浮かんでくる。
インド社会、特に上位カーストの家庭環境においては、歴史的に、あるいは現在でも、家事や身の回りの世話などを自分たちより下の階層の人々に任せるという役割分担の意識が、比較的自然に受け入れられている側面があるかもしれない。この感覚が、シリコンバレーのような異国の地においても、インド系コミュニティ内部のネットワークを通じて、何らかの形で作用する可能性はないだろうか?
例えば、優秀な学生が留学してきたとする。学業やインターンシップ、ネットワーキングに集中したいと考えるのは当然だ。その際、食事の準備や掃除、あるいはリサーチの手伝いといった、本業以外のタスクを、コミュニティ内の他のメンバー(例えば、経済的に余裕のない学生や、ビザの関係で働き口が限られる配偶者など)に、市場価格よりも低いコストで、あるいは「恩義」や「将来の助け」といった非金銭的な対価で、依頼しやすいような暗黙の了解や関係性が、一部に存在するのかもしれない。もしそうなら、それは彼らにとって、時間とエネルギーという貴重なリソースを本業に集中投下できる、一種の「効率化」の仕組みとして機能する。
さらに重要なのは、これが単なる効率化に留まらない可能性だ。他者にタスクを依頼し、管理するという行為は、図らずも「人を動かす」というマネジメントの基礎訓練になる。周囲がまだ個人として必死に目の前の課題に取り組んでいる段階で、彼らはすでに、限られたリソース(時間、人、場合によってはわずかな資金)を配分し、チームとして成果を出す、という経験を積んでいるのかもしれない。これは、単に優秀であるとか、努力家であるという個人の資質だけでは説明がつかない、構造によってもたらされる「特権」的なアドバンテージと言えるのではないだろうか。他の国のエリートたちが個人として競い合っているかもしれない場面で、彼らは無意識のうちに「チーム」を率いて競争している。これはまさに「王子」が「家来」を率いて戦いに臨むような構図に近いのかもしれない。だからこそ、「王子として振る舞い、そして王になる」という道筋が、他の文化圏よりもスムーズに実現するのではないか、と考えてしまうのだ。
🌏 **第5章: 他の成功モデルでは見られないものは何か**
この「カースト由来かもしれない効率化+早期マネジメント経験」というメカニズムの特異性は、他の国のエリート層と比較してみることで、より鮮明になる気がする。
例えば、中国系のエリート。彼らもまた、人口が多く、熾烈な国内競争(高考)を勝ち抜き、強い上昇志向を持ってシリコンバレーにやってくる。強い民族意識に基づくネットワーク(同窓会や同郷会)も存在するだろう。しかし、カーストのような明確な社会的身分制度や、それに伴う「役割分担の正当化」というイデオロギーは存在しない。そのため、他者に低コストで雑務を依頼するというよりは、対等な関係での協力や、あくまで市場原理に基づいた取引が中心になるのではないだろうか。過酷な競争は個人戦の側面が強く、マネジメント経験はキャリアの後の段階で積むことが多いのかもしれない。
次に、アメリカの富裕層やエリート層。彼らは恵まれた環境と資金力を持ち、家事代行サービスやアシスタントを雇うことは容易だろう。エリート校の校友会やVC(ベンチャーキャピタル)との強力な「コネ」も存在する。しかし、それは基本的に市場原理と個人の実績に基づく関係性であり、インドのカーストネットワークが持つような、所属に基づく暗黙の信頼や、低コストでのサポートを「当然の役割」として期待できるような構造とは質が異なるように思える。彼らのネットワークは強力だが、より流動的で、個人主義的な競争が前提にあるのではないだろうか。
こうして比較してみると、インド系エリートが持つ可能性のある「カースト・コード」――つまり、低コストでの役割分担の暗黙の正当化、早期のリーダーシップ感覚の刷り込み、そして強固で閉鎖的な信頼ネットワーク――という組み合わせは、他のどのグループにも見られない、非常にユニークなもののように思えてくる。
⚖️ **第6章: 繁栄は常に「トレードオフ」を伴うのか**
しかし、もしこの「カースト・コード」が、インド系エリートの成功を加速させるエンジンとして機能しているのだとしたら、その効率性の裏側には、何らかの「コスト」や「犠牲」が伴っているのではないか、と考えざるを得ない。
「チーム戦」が特定の層に有利に働くということは、必然的に、そのチームから排除される人々、あるいはチーム内で不利な役割(低コストの労働力、サポート役)を押し付けられる人々が存在する可能性を示唆する。それは、シリコンバレーで報告されているダリットへの差別事例とも重なる。
また、インドの巨大な人口と極端な競争社会は、全体として見れば、「少数の輝かしい成功者」を生み出す一方で、その陰で膨大な数の人々が過酷な競争に敗れ、あるいは成功への道を歩む過程でバーンアウトしていくという構造を生んでいるのかもしれない。これが「危ない成長戦略」と呼べるようなものだとすれば、その「危なさ」は、個人の失敗というだけでなく、システムによって構造的に生み出される「犠牲」という側面を持つのではないだろうか。
この成功と犠牲の関係、効率性と排除のトレードオフは、インド系コミュニティに限った話ではないのかもしれない。あらゆる社会、あらゆる成功モデルには、程度の差こそあれ、光と影が存在する。ただ、インド系の場合、カーストという特殊な社会構造が、その光と影のコントラストを、より際立たせているように見えるのだ。この繁栄のメカニズムは、その効率性のゆえに、同時に痛みを伴う構造を内包しているのではないか。そんな普遍的な問いにも繋がっていく気がする。
➡️ **第7章: 答えではなく、さらなる思索へ**
ここまで、シリコンバレーでインド系リーダーが際立って多い理由について、個人的な興味から「カースト・コード」という仮説を中心に、つらつらと思考を巡らせてきた。
結局のところ、彼らの成功は、個人の卓越した能力や努力、そして英語力といった普遍的な要因と、カースト制度という極めて特殊な社会構造がもたらすネットワーク、役割分担意識、早期の経験といった要因が、複雑に絡み合った結果なのだろう、と今は考えている。
その「カースト・コード」が、今後シリコンバレーでどのように機能し続けるのか、あるいは変化していくのか。それは、グローバル化の進展、世代交代、そしてコミュニティ内部からの声によって、変わっていくのかもしれないし、形を変えて残り続けるのかもしれない。
明確な答えが見つかったわけではない。むしろ、考えれば考えるほど、新たな疑問が湧いてくる。この「個人的な探求ノート」は、ここで一旦筆を置くけれど、このテーマについての思索は、まだ頭の片隅で続きそうだ。眠れない夜に、またふと、この複雑なパズルのピースをいじり始めるのかもしれない。
いつものmaking的な話(ここからが本題)
今回はいつもの文章とは異なるスタンスのものかもしれない。主観的な自分の内省的な思いの文章化とは異なる趣向のものを出力してみたかった。
作り方自体はいつもの方針の続きのような感じ。ただし今回はプロットやタイトルやトーンなどわりと細かく案を出させて選択してみた。そしてプロンプトを出力してとお願いした後に文章を生成してもらった(何回も同じプロンプトで生成させてガチャを引くということはしてない)。
ただこのようにフェーズを設けることで語られる実態部分が自分とgrokとの対話からかけ離れた要約になってしまうのかも?ということが気になったりはした。そんなわけでたびたび「私とgrok会話を読んで」と言っている。意味があるかわからない祈祷っぽい気もする。
あと今回はDEI的な配慮みたいな雑味がgeminiとの初回の会話で含まれてしまった気もした。「読んでまとめて感想を言って」みたいな入力をよく最初にやるのだけれどこれが多面的な視点での解釈を促すように機能してしまい論点を増やして内容をぼかしてしまう感じになってしまいそう。それの除去のためのやりとりをいくつかやっていた。
あとはデフォルトでは自信満々の専門家が提言みたいなスタンスになってしまうので書き手である自分がどのような存在であるかの表明は必須だなーと思ったりした。
ちなみに2~3時間くらいいつの間にか経っていた。いつも通り全てスマホでやってるので個別の調整などは一切できない。
grok
https://x.com/i/grok/share/NPoWXhxCRPHPXrKxA4zfz7Rv4
ai studio (ログインすれば誰でも読める)
プロンプトの作成の指示
はじまり
今の対話とgrokとの対話の存在を知らない人向けに文章を書きたいと思ってます。いくつかプロットの案を挙げてもらえませんか?(というのも私が重要だと思ってることがじつは重要ではないかもしれません)。
内容と雰囲気を決める
grok都の対話も考慮しつつもう少し案を増やして5つくらい。あとそれぞれの案で章タイトルを用意するつもりでそのタイトルも列挙してみて。
案1が面白いですねこちらにしてみましょう。いくつかの文体を装って章タイトルを列挙した例を用意してくれませんか?4つくらい。1つ要求しておくと筆者としては自信満々なコンサルタントのような語り手にはなりたくありません。
真面目にプロットを(emoji必須はこだわり)
文体Dでいきましょう。本当の章タイトルを列挙しつつここでの狙いや込めたい情報を挙げてください。(細かい注文ですが章タイトルにはemojiを先頭に入れてください)
タイトル決め
タイトル案を変えたいですね。いくつかバリエーションをください。10個くらい。
カースト・コード:なぜインド系だけがテック界の頂点に立つのか?
いいですね。もう少し個人の思索程度な感じのトーンでバリエーションをお願いします
プロンプトの作成の指示は以下のような感じだった(その後の調整もした)
インド系の優位性と「カースト・コード」:個人的な探求ノート。これにしますか。それでは文章をmarkdownとして作ります。私の要求をプロンプトにしてみてください。grokとの対話の内容ももう一度思い出してください。
読後感としては、最後に倫理問題やその後社会良くするにはを問いかけるのはやめてください。不要です。他の案で後の思考を進めることにしてください。
早めに実際のCXOが上位カーストであることを明示してください。そしてかつてはカースト制度に縛られないであろうと言われていたシリコンバレーで再生産が起きてるらしい?ということにも触れてください。
生成指示。気に入らないところが要望として追加で入っている。
それではmarkdown文章を生成してみてください。出力するのは本文だけで良いです。DEIへの言及は避けてください。個人の思索ということでそこは留保してるつもりです。
最後にこれからも探求していこうと思うや探究は始まったばかりだのような結びはつけないでください。どちらかといえば眠れない日のchillな感じのときになんとなく思ったことをいつでも会話に答えてくれる話し相手につぶやきながら連想したことです。
あっ一点追加がありますカースト制度について触れるタイミングで全てのカーストの名称を列挙してください。
ついでに王子の時代において他者が個人で競ってるところをチームで競ってる可能性があるという憶測に触れてください。王子モデルとだけ言及すると表現が弱く意味が薄れてしまいそうです。「王子として振る舞いそして王になる」という話なので。
さらに感想戦
この記事を投稿したあとにまたaiとの全対話を読み直してしまった(これだけでも時間が飛ぶし時短とはという感じかもしれない)。
grokとの対話を真面目に読むと上位が下位を搾取するという表現に囚われてて自分が「廃人」という言葉を使った時に搾取される下意層だけを念頭に入れていたみたいでチーム単位で死ぬということは含まれていなかったようだった。最後に以下のような内容を話して床についた。
ところで1つ違和感があったところがありました。廃人のところでダリッドだけに限定してましたが、当たり前ですがチーム単位での敗戦もありますよ。つまり上位層が下位層を使って搾取してるという構造ではありません。あくまで他の国の人は個人で戦ってるところに対しチームで戦ってるだけです。廃人となるチームもあるでしょう。インドは上位層も余分にいると思ってるのですが違う?