スマホだけでシリーズの続き、対話の価値あるいは対話によって明らかになる朧げな輪郭を記録したいことについて

podhmo
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(昨日に引き続きスマホだけでの生産活動についての取り組み。bskyのスレッドからのコピペだけれど途中までしかコピーできず2回に分けてコピペする必要があったり引用したりしたくなったりはした。この話は余談)

(昨日のあれこれでとりあえずスマホでスレッドに追記追記を繰り返したものを文章単位でコピーすることはできるようになった。画像や資料作成あるいはそれらを使った解説など複数の素材を束ねて一つの出力にする行為はまだまだできない。とはいえ自分語りのまとめから一歩進んで他のことをスマホだけでできないか?ということで対話の記録について考えていたという経緯がある)

対話と言ってるけれどChatGPT的なものないしは他者(との会話)に自分は何を求めてるんだろう?これも説明的なものと探索的なものとに分けられる気がする(ちょうどデータ可視化学入門みたいな名前の本を読んでいてそこでグラフの目的に探索的/説明的という区分けがされていてそれに影響されてる所がある)。

(説明的なものを思い浮かべてみると)自分の中に確たる伝えたいメッセージがある場合は反例のようなものがないか?だとか意図通りに伝わる表現になってるかを気にしたい。それは結論ありきの説明的な対話とも呼べるかもしれない。ある意味これは公に対する発信前の予行練習みたいなものとも言える。

一方、探索的なものの場合には自分の中に確たるものが存在しない逆に言えば朧げな輪郭を掴みたい感じのとき。このときにはとりあえずいい気分でリズム良く出力しつつそれを後で確認可能になってて欲しい。気付かず手を付けてなかった部分が見つかるのも良い。その場で全てが明らかになるというよりは自分のタスクキューに積まれる程度で良い。課題が見つかると表現するのが無難か。

あと先の2つから離れるものの、自信がないときなどは共感などしてくれたりすると嬉しいかもしれない。共感などにより肩の荷がおり混乱も和らぎある程度リソースに余裕が出てくるとアドバイスを聞きたくなるかもしれない。リソースがあるときのアドバイスには一般的なものや他者との比較によるものが存在する。

大抵の場合には仮説や思いつきの芽のようなものを話したくなることが多い。仮説という意味では確たるものがあると言えるものの、それを証明したいというほどそれに自身がある訳ではなく仮当てをしてみて上手くいくかを確認してみたい(上手くいかないことのほうが多い)

あるいはある種の状況や問題において自分はこうやってると固執するあるいは慣れてしまった方法を説明することもあるかもしれない。これをさらに気が抜いたものにするとつまりいつも日常的にやってる生活のことにすると日記になる。日記に感想がほしいかというとそうでもない。類似の出来事がほしいのかもしれないそれをきっかけに話が盛り上がることもある。

これはChatGPT的なものには無いものだけれど、近況報告みたいなものもある。今何やっている?という情報を更新し合う行為。これは一人遊びには存在しない受動的な行為かもしれない(相手の話を聞くだけで良いので受動的と言っている)

オタクの会話は狭く深く自分の興味のあるものだけを話す。極論全部意味がわからなくても楽しそうに話してると楽しそうな雰囲気を味わえて良い。これは論理積というかandで繋がる探求。

(ここでのandとはand演算のこと)

営業やホストなどの社交を表す会話は自分のブランディング的な意味の外に広く浅く自分の興味の無さそうな話題もどうにか興味のあるものに共通部分を見出すように話をつなげてコンボを愉しむorで繋がる探求。

(ここでのorはor演算のこと。間口が広いが浅い。しかしタイミングが心地良い。社交…介護…接待…コンサル…適切な言葉が見つからなかった)

対話も時期やタイミングが設定された対話の他に突発的な会話も存在する。わかり易い例としてはメンヘラと言うか少し病んだ恋人や友人からの深夜の電話。とりあえず相手をなだめたりしつつ介護しなくてはいけない。

そこまで不安感や情動の乱高下はないもののもちろんこの逆もあり突然深夜の人生相談みたいなことがしたくなることがある。これはあらかじめ時間が設定されたものではあまり上手く相談できない(できる人もいるのかもしれないが練習が必要そう。少なくとも自分はできないしできるようになれる気がしない)。

この突然の会話というのにChatGPTは向いている。いつでも応えてくれる。

ところでこの突然の人生相談の応答をするAIには共感性のあるものが良いという人もいるらしい。そんなわけで特殊な用途のものも開発されてたりする。一方自分はむしろChatGPTのような応答こそを望んでいる。一般的な話をとりあえず返してくれて標準治療的なとりあえず普通はこのように言われてるというような丁寧な学級会で決まったような正論的なものをつらつらと丁寧に肉付けして返してくれる。

ここで答えはそれかと結論は出さず表現を変えてみたり実例を例えば20個程度挙げてもらう。それらを眺めてみて朧気なものに輪郭を見出すようなことをする。何より一般的な表現で返ってくるので他者に相談するときの語彙が揃って便利。

もとの話にもどると突然の人生相談というのは探索的な対話の開始点の1つなのかもしれない。

突発的に発生して気づくとすぐに消えてしまう揮発性があると言っても良いあるいは手にしたかと思ったら取りこぼしてしまうようなものを書き留めるかメモしておくかその場でログという名の履歴を残しておきたい。真に迫るものではなくとも思考のセーブポイントというか思い出す手掛かりにはなる。

これは別のところで書いたことの転記だけど

(別の所とはx/twitterのことだった。これの元の文章はbsky上で書いている)

ChatGPTとかは凡人の回答を網羅させるためにあるものみたいな気持ちで付き合ってる所がある。

その分野に不案内なので凡人の発想がありがたい。いろんな具体例を20個とか挙げるのが面倒なので凡人の挙げた雑な案を眺めて輪郭を把握したい。何となく網羅した気にもなれるので気分も良い

関係代名詞の付くような文言というかちょっとした無名関数を渡す高階関数のような感覚でプロンプトを書くといい感じに機能するような気がしてる。

真実とか一問一答的な部分に価値はなくログとその輪郭に意義があると思ってしまうので要所々々のスクショにほぼ意味がないと思ってしまう

そんなわけで自分にとっては対話の一部分のスクショを撮る行為は価値の保存にはならない。

ChatGPTには履歴を共有する機能もありはする。それの履歴が自分にとってどのような意味を持つのかを記述する媒体が見つからない。

というところでようやく昨日の今の自分は両手を使い机を使うPCが使えずスマホだけでどうにか生産的な行為ができないかというところに繋がる(何かへの言及や切り貼り構造の変更や編集は自分にはPCが無いと厳しい)

まぁとはいえ別の箇所にコピペするような機能は欲しいかもしれない。昨日のbskyのスレッドの内容を全部クリップボードにコピーするようなスマホで使えるページのように。

誰が何を言ったかも大切になるので sizu.me のようなところに置くのは不適切かもしれない。

(このカッコ書きもsizu.meに転記するタイミングで付け加えたもの。その他少しばかりの加筆修正はしている。この場は独り言や自分の心の中の出来事や思いを呟くのには向いている。一方マークアップやハイライト的なことができないので複数の話者が入り乱れるようなものを出力する場所としては向いていないかも?と言う話)

(ここからは転記後の追記)

この文章もスマホで頑張るシリーズの1つになっている。このシリーズに対して少し考えてみると、スマホで生産的な活動をしたいと言う思いは何に繋がるのか?という話はありそう。自分の中でスマホを使うのは妥協でその上で作業として何らかの出力を得たい。特に何かを洗練させてく様な試みが欲しいようだ。その為の爪痕を残そうと試行錯誤してる最中という雰囲気を感じてる。記録しておきたいというのはそれ単体で完成された作品というよりは作品を作る上で便利になるあるいは品質を高めるための入力ないしは素材として利用したいということのようだ。本当はコードを書いたりゲームをしたり両手を使って机の上で行う作業をやりたいのだけれど。