世の人々は中々に恋愛と言う物に熱を上げているらしい。私? ファンタジーとしては面白いんじゃないかな? とまあ、中々に冷め切っている。人を好きになったり、嫌いになったり、人並みの感情は普通にあるものの、それが恋愛と言われるものなのか、と言われると首を傾げる。性欲と何か違うんっすかね、と本気で理解できていない模様。
人間関係と言う物は結構流動的なものである。終生の友人やらパートナーやらは時たま存在しているらしいが、そういったものは基本的に不断の努力と好意と時間の積み重ねによって出来ている。そして怠惰な私はそういった努力が苦手なのである。だってかける労力と時間が凄まじいもの。
なので私にとっての友人とはその人に殺されるなら、『まぁ、仕方ないかな』と思える相手の事だったりする。いや、最低限その程度の感情が無いと友達投資なんて出来ないっす。関係が切れた時に投資した時間と感情が全部すっ飛んでも後悔が無い相手以外にそこまで労力を使いたくないのである。我ながら重いなぁ。
基本そんなもんなので、恋愛と言う物がよく分からない。世の人々の惚れた腫れたを見て、そこまでの労力をかけてる割に、磁石のようにくっ付いたり離れたりして、皆大変だねーみたいな感想が湧いてきたりするのである。
結婚まで行く人はもはや異邦人である。え、本気? 下手すりゃ財産半分取られるよ? 慰謝料や養育費で人生パーになる可能性だってあるのよ? 倦怠期以降のリスクは多分滅茶苦茶高いよ? 相手に不倫させて慰謝料でも分捕るつもり? とまあ、ひでー有様である。
そんな恋愛観を持ってしまったのにもそれなりの理由があるらしい。元々仲の良かった両親が年を重ねるごとにお互いを憎みあう様子を見てしまっているため、どうしても幻想を持ち込むことが出来ないのだ。人間なんて所詮そんなもんだと思う。なんかそれ散るのキャラ思い出すな。
また、私の友人観を持った状態で過去にそこそこ手ひどい裏切りを受けた事があるので、人間にあんまり期待を持てないのだ。自分自身がろくでも無い人間だと自覚しているので、他者に自分以上を求めるのはそもそも不公平でもあるし。
私の好きはそういった諸々の嫌な部分を乗り越えた上でなお発露する物なので、基本的に激重なのだ。その上、自分が人にあれこれ指図されるのが嫌いなので、他人にあれこれ指摘したり影響力を与えたくないため、静かに相手を見守っているだけの人間が出来上がってしまうのである。推しを遠くから眺めている感じと言うか。後、近づきすぎると好きな事を延々と話し続ける厄介オタクの面が顔を出してしまう自覚がるので、出来るだけ遠慮するように気を付けていたりもしたり。
なのでまあ、道端や電車の中に時折出没するカップルを眺めて暖かい気持ちになってる位が自分にとってちょうどいい位なんだろうなぁ。
しかしまぁ、チョロい上に激重って我ながらに地雷人間だのう。