たまには自分語りを

pohjola
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 ここ数年間で曲がりなりにも創作活動をやっていますが、実はそういった活動が苦手だったりします。勿論憧れ自体は昔からあったのですが、実際に行動に出れたのはつい最近の話です。

 小学校の頃にはお絵描きでわいわい楽しむ女子を羨み、中学時代に美術部に所属したものの人がさっぱり描けない。高校、大学と何度か挑戦してみたものの棒人間すらまともに描けませんでした。今でも描けているとは言えませんが。

 同じく作文も大の苦手。まともな長文を書くことはすっごい嫌い。未だに『は』と『わ』の使い分けが若干できていない。本は普段読まず、もっぱら二次小説を読み漁っている程度の親しみしかありません。この文章を書いてる時でも、ノリノリで楽しく書いているのとはちょっと違う。

 それでも最近多少なりとも続けられるようになったのは、下手でもSNSに掲載するようになってからです。今でも上を見て、劣等感やら悔しさやらに歯噛みしていますが、それでも自分より上手い人が自分の絵を褒めてくれたりします。

 そこでよくよく考えてみれば、自分の描いた絵をリアルの周囲の人物は結構馬鹿にしていたような気がします。いえ、勿論口に出しては言いませんが、結構そういった趣味を共有できない相手だとシンプルに事実を突きつけてくるのでこれが中々に辛い。ただ単に自分が卑屈だっただけなのかも知れませんが。

 下手であることは変わらず、劣等感も自分の中でグツグツと煮えたぎっていますが、それでも、昔にくれべれば自分の下手さを許容できるようになりました。

 下手でも良いんです。それは悪い事でも恥ずかしい事でもなんでもない。ましてや馬鹿にすることでも無いんです。それよりも、自分の表現したいもの、描きたいものを抑え付けて何もしないことの方がよっぽど勿体ない。やりたいけどやらないことの方が人生を無為にしていると、そう今なら素直に思えます。

 ただまあ、そう思えても描くことが好きになったか、書くことが得意になったのか、と言われればちょっとだけ違うかなと思います。自分の表現したいものを形に出来ないことばかりでむしろ辛いと感じる事の方が多いかもです。

 それでも不思議と投げ出したいと思ったことは無く、上手くなりたい、上手くなりたいと呪いのように吐き出す今日この頃。なんでこんなに執着しているのかと考えてみれば表現したい世界があるからでもあるのですが、見てくださっている先輩方にあまり無様を晒したくないからなのかもしれません。

 多分これが私の自己承認欲求なのでしょう。私を見ろ!、と声を大にしては言えない。だって下手だから。でも、下手でも見てくれる人がいるのなら、それはもう頑張るしかないわけです。

 わたしはちょろいのです。反応があるだけで水を得た魚のようにぴちぴちはねてしまうのです。おだてられれば木にだって上りますよ私。

 という訳で、みんなのやりたいことがあったらやろう。そして、周りに頑張っている人がいたらあんまり馬鹿にしないであげてね、と言う話でした。

 それにしても、頑張っても1200文字程度しか書けないあたり本当に文才ないなー。しかもまとまりが無いとです。

@pohjola
メモをつらつらと書いています。