実写ゴールデンカムイ

poko
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このインタビューに、野田先生の次のような言葉がある

映画業界では昨今、「マイノリティの役はマイノリティに」という意見がありますが、今作品ではデボさんのようにアイヌルーツの方も出演されています。

なにより、アイヌルーツの方々というのは本来、役者業ではなく、工芸家として世に出ている方が圧倒的に多いので、適材適所として、この映画においては演技よりも、衣装や民具や村のセットの制作に大きく関わっています。決して映画というのはキャストだけで成り立っているものではありませんので、もっと一歩深い考えで、この映画を判断していただきたいですね。

たぶんこれとか、他の言葉がXで物議を醸しているように見える。

私は先生が批判されていようといなかろうと正直どっちでも良いけど、引用した文章は共感していたので、物議に対して私も何か言ってやりたいような気持ちになり、でも怖くて言えなかったので、ここで。

『CODA あいのうた』という映画がとても好きで、聴覚障害者の父母兄と健常者の妹という家族の映画だった。父母兄を演じた俳優さんは全員聴覚障害を持っており、まさにマイノリティはマイノリティの演者が、という話だったと思う。たしか監督もそうするべきと思ってオファーしていたはず。

私はCODAのインタビューを読んで素晴らしい心意気だなと思って、実際彼らのお芝居にはリアリティがあり、彼らは役者としても優秀で、ただ「手話が上手」な訳ではなく、「キャラクターが役に合っており、感情表現が映画のレベル感でできる」役者さんだったから、良いことだと思った。

でも、マイノリティの役はマイノリティしかできないというのは、悲しいことだと思う。私は一時期本気で俳優・声優を目指して専門スクールに通っていたので、自分がもし俳優になった時「これは〇〇の役なので、〇〇の人しかできません」と言われたら悲しいなと思う。

俳優も声優も、自分ではない何かになれるのが素敵な職業だと思う。学生でも教師でもアイドルでも人魚でも犬でも猫でも。特に声優はわかりやすいけど、別に舞台でもドラマでも映画でも、可能性は無限大のはず。

キャスティングは、そのキャラクターに合っているかどうか、作品の規模感や会場に見合った表現ができるかどうか、周りのキャストと仲良くできるかあたりを加味して選ばれると思う。(商業作品なら、そこに集客力が追加されると思う)

あとは、実際はコネとかその他ゲスいこともあるかもしれないけど…

野田先生が言ったのは、そういう「キャスティングの観点でアシㇼパさん(インカラマッ、キロランケ、ウイルクも含むかもしれない)役を選んだら、山田杏奈さんだった。作品をよくするために、各仕事はプロに依頼した。工芸品づくりの部分で、その道のプロはアイヌだった」という話だと私は解釈しました。

そして、私はその考えは適切だと思いました。

論点はズレてるんだろうな。だから言わなくていいことだとは思うんだけど、私は先生の言葉を読んで嬉しかったし、ちゃんと考えてるからこそこの発言なんだと思うなっていう、それだけ。

@poko
オタクの二次創作屋さん