私にとっての今年は、きみに出逢えた年以外のなにものでもない。きみに出逢えた年、いや、きみのことがすきだと気づけた年。雑誌、YouTube、テレビ、映画。きみは、さまざまな媒体に姿をあらわす、だけど生身で存在している。こう書くとなんだか不思議な存在だ。ふわりと口をおさえてわらうくせ。思いの丈、嬉しかったことも情けなかったことも、きみだけの言葉で教えてくれること。ゆずれないものがあって、謙虚だけど自己愛をもって生きているところ。大好きなものやひとがたくさんあるところ。すてきなところが見つかるたびに、きみのことが大好きになっていった。
11歳年上のきみは、わたしにたくさんのことをおしえてくれる。仲間を信じて愛すること。ひとりがすきなきみがいうから、届く言葉があるとおもう。
あいかわらず、わたしの知り得ないきみのよるが、きみがやすらかに眠れるよるが、ただつづくことをねがう。
「夜明けとは夜明け前に流れた時間と自分の行いと他者とが生み出したものの集合体」
きみが言った、わたしのだいすきなことば。いまはきっと夜明け前だ。わたしもわたしの夜明けのためにがんばろうとおもう。きみはきみの夜明けのために、歩き続けている。それだけで、十分。
そういえば、今日のブログでみたけれど、きみはアイドルだっていうのに、東京中、すきなところに行きまくっているらしい。また、東京に行きたい理由が増えてしまった。きみとすれ違えるかもしれない東京。夢の都。
それと、きみのいない歌番組は、おもしろいけど、やっぱりつまらなかった。来年は、きみときみの仲間がうたう歌が聴きたい。きっと聴けるだろうなあと確信している。
話がそれてしまった。もう、今年も終わる。きみと出逢った、有難い年がおわって、またきみのための新しい年がはじまる。
いつも感謝しています。きみがきみとしてうまれて、きみとして生きていてくれてありがとう。きみが何をしても、しなくても、だいすき。
(わたしの文章に「きみ」が多いのは、きっときみのなまえをよぶ気持ちで、きみと言っているからだとおもう)