やっぱり機械倫理って難しいね。科学者として、「革新的なもの」を作ることに一生懸命になりすぎて倫理をなおざりにすると良くないというか。 自律型にするのはいいけど、ほんとうの意味での「自律」とは何か考えさせられる。「倫理や哲学はまだ機械の手に余るのかも」なんて、そういう要素を利用してうまくホラーにしてて良いな~と思った。
あと、やっぱり機械と人間は違うよ。肉とチップなんだ。 だから、今の機械やミーガンのような存在を、人間と同じ尺度や摂理においてとらえて解釈するのは誤っていると思う。だからこそ、現状の対話型AIが提供する情報に正確性を求めるのは間違いだという話にもなってるわけだし。
それに、機械にはむしろ「人間の摂理とは違う」からこそできることがあり、それを期待された側面もあると思う。テクノロジーの発展という意味では、これからどうなっていくのか楽しみでもあるけれど。
機械(ロボット)と人間が違うと思う部分はもう一つ。人間は特に理由もなく増えるけど、機械は生産された時点で、明確な願いや目的を託されて生まれてくると思う。つまりこれもまた「生まれ」が違うということなんじゃないかな。
人間に近い容姿・思考形態の機械ができていくのはロマンではあるけど、ロマンというのは「違うはずのものに類似性を感じるから」生まれる側面もあると考えれば、やっぱり根底は「違う」ことにあるんじゃないかなと私は考える。
ちなみにこの作品を「百合」と評していた知人がいたんだけど、結局私はそうは思えなかった。機械と人間の異種族間的百合としてとらえても、むしろそういう良さを潰したオチになってしまっていると思ったからだ。単純な「ヤンデレ的狂愛」としても、「女の子っぽい見た目の機械と女の子の狂愛」の話としても、解釈することはできなかった。このバックボーンを考慮した上で、このキャラクターたちが持つ状態を百合と評するのは、根底が違うものであるにも関わらず同じものという尺度で誤認して捉えてしまっているか、そもそも愛の認識が違うのかなと思った。どんなに「人間に寄った機械」であろうと、機械は機械なので。むしろこの作品は、機械を人間と誤認してはいけないというメッセージも込められた作品なんじゃないかな。
あれを愛とするには恩着せがましすぎる。機械特有の愛し方の良さを潰しているようにも思えた。私はこの作品のオチを、ブレイクスルーやオーバーテクノロジーを示唆した恐怖表現として解釈したけど、「片思いの愛の結果」みたいに解釈することは難しい。最初から恩着せがましい感じなら「そういう愛」として見れたけど、そういう感じでもなかったし。しかもその恩着せがましさというのも、自分の持つ「機械」の理論にはあり得ないものだった。あんな理由で生産目的に背き、ああなることは愛ではない。自分がこれまで喜びも悲しみもなく、ただ「判断の最適化」として成してきたことについて、急に「これまでの所業に一定の感情をもっていました」みたいなことを言い出すのは、そのキャラクターが、相手の罪悪感を誘発するよう被害者ぶっているだけだと思う。そこに愛のような目的はない。
たとえば愛する対象の気を引きたくて攻撃をするという場合もあるし、ヤンデレ的に〇して来世で一緒になろうとか、相手とのことに何らかの未来や展望があって成されるならまだしも。ただ「恩知らず」という攻撃性100%反転アンチみたいになってるなら、やっぱり愛ではないと思う。「フリー・ガイ」とかも参考になるかもしれない。
総論、百合ではないけど面白かった。私は好き。百合ではないけど。あとこの演技をしてる子役がすごすぎる。天才か?
ちなみに、この題材で怖くないものが観たい方には「アイの歌声を聴かせて」もおすすめです。