2024/1/9アウトプットのリハビリ

pome
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もう二十数年言葉を喋ってきているはずなのに、母語なのに、口からパッと言葉が出ないことが増えたなと最近気づいた。元々そんなに口達者ではないけれど、最近、思考していたことと音も意味もちょっと似てるけど違う言葉を意図せず発声して言い間違えてしまう場合があるし、そもそも思考がパッと出てこない場合もある。これは仕事でとても困る事象で、相手から見た時にもまごつく説明を受けた時にどう思われるか考えると、早く治したい。

プライベートでもそうだ。「どうだった?」と感想を聞かれて、うまく答えられないことが増えた。それは、真正面から感情を答えると何故か涙が出るからわざと言葉にしない癖が付いているのもあるけれど、たとえそうだとしても、「敢えて言わない」という選択肢すら取れなくなってきた。モヤモヤとした雲だけが浮かび、何も触れてないのに何かに触れているような感覚だけが体を伝っていて、発するべき言葉が思い浮かばない。母語なのに、普段仕事だって家でだって喋っているはずなのに、頭が退行してきているのか?

その原因を探る一環として、「言葉」「発声」「会話」あたりのキーワードで思い浮かぶ、これまでの自分の意識や考えを羅列してみた。

・直ぐにつっかえる、読み間違いが多いから、昔から国語の授業での音読が苦手だった。現職になり、管理職の代理で関係者の集まる会合の冒頭挨拶をすることも出てきたが、事前に作ってある原稿を読むだけなのに、毎度読み間違えたり1行読み飛ばして戻ったりしてしまう。苦手意識がさらに失敗を生むのはわかっているから、読み間違えたところで人は死にはしないと思うようにしているけれども、まだまだ、人前で恥をかいたと自意識過剰なところがあるかもしれない。

・学校のテストは簡単だったけど、国語の「話す・聞く」の「聞く」テストが苦手だった。TOEICのリスニングと同じで一度しか読み上げられず、書いた中身についての正誤や質問への回答を記述する問題だったと思う。英語のリスニング以前に日本語リスニングですら苦手だから、音声による短期記憶が苦手なのかもしれない。

・成長するにつれて、自分の心情を言葉と一緒に涙が出てしまうことがダサくて嫌になり、あまり気持ちをストレートに口語にしないようになった。悲しくないのに、何故涙が出てしまうのだろう。こちらも、涙が出て隠す癖がついているから尚更涙が出るようになったのかもしれない。

・歌の歌詞が覚えられなくなって、新たに空で歌える曲があまり増えなくなった。今歌えるのは学生時代に聞いていたものばかり。最近聞いている曲は歌唱技量のない自分ではなかなか歌えないような難しい曲調だったり、KPOPや洋楽で言語としてというより音として聴いて歌詞の意味は文字で和訳で知ることが増えたからかもしれない。でも、それを加味したとしても増えていない気がする。カラオケにも行かなくなって歌う機会が減ったからか、曲を集中して聞く機会が減ったからであろうか。

・加齢以外で過去と今との比較を考えると、なんとなく動画の流し見しながら別の作業をしたり、複数の動画を同時に流すことが増えた気がする。もしかしたら、なんとなく見る流し見に慣れてしまい、脳が音として受け取り意味を理解できるキャパを超えて音を聴いてしまっていて、もう脳が意味を捉えるのをシャットアウトしているのかもしれない。

・他方、職場の座席の周囲で行われる会話は自分の仕事に関係あるのではと気になって思わず聴いてしまい、手元の作業に集中できなくなることが多い。音にフォーカスが行ってしまう。

ざっと羅列した事象のキーワードは「他者からの評価(自意識過剰とも言う)」「アウトプット機会の減少」「集中する機会の減少」くらいなんだろうか。どれもそれぞれモヤモヤとは自覚していた事象な気がするけれど、ちゃんと目に見える文字で置いたのは初めてだ。

このしずかなインターネットのページは、そうしたちょっと自覚していたけど目を逸らしていた、アウトプット不足に対して愚直に向き合ってみてちょっとずつ機会を増やそうという取組だ。口に出したら涙が出るならまずは無言で文字に置くところからリハビリしよう。音読もリハビリしてみたい。まずは短歌くらいの短さからがいいのかな。最後はプレゼン練習くらいまでは行きたいな。

@pome
思考の言語化を練習するポメラニアン