母親が卒展を見に来てくれたので、その後久しぶりに2人でご飯を食べた。
母親とは何だかんだ年に1度くらいは会っているのだが、その度に家族や職場の愚痴を永遠に聞かされることになる。
話の脈略なんてものはない。
わたしの返答もあまり聞いておらず、数秒の間の後にはまた全く別の話題を、前置きもなしに次々放ってくる。
ネガティブという名の弾丸を詰めたマシンガンの引き金を、何の悪気もなく引き続けるのだ。
そしてなぜかいつも少し困ったような顔をしている。
この数年間、意識的に遠ざけてきた家族の話を聞かされ続けていたら、朝から何も口にしていなかったのに食欲が綺麗さっぱり消え失せてしまい、たった2個の唐揚げを食べきれず、何かが喉につっかえたような違和感を解消するために烏龍茶をちまちま飲んでいたら1時間半程が経っていた。
最近は色々なことが順調に進んでいて、今までにないくらい、前向きな気持ちで日々を過ごせていた。
なのにそのたった1時間半で、ついさっきまであったはずのやる気とか将来への期待みたいなものを根こそぎ吸い取られ、代わりに大きなしこりだけが残った。
本当は、
ブランクが2年もあるのに友達がいっぱいできたんだーとか、何年も会ってなかった地元の友達が卒展に来てくれるんだーとか、卒制はこういう意図で作ったんだーとか、バイトで3Dをやっててすごく楽しいんだーとか、DJを始めたんだーとか、簡単なものばかりだけど自炊を始めたんだーとか、友達のMVを撮ったんだーとか、写真もいっぱい撮ってるんだーとか、
今まで色んなことがあったけど、今は毎日充実しててそれを全力で守りたいんだーとか、
ただそういう話がしたかった。
幼稚園から帰る子供が、自転車の後ろから母親に語りかけるみたいに。
会っていない間に起こったことや見たもの、感じたことを素直に話したかったし、知って欲しかったのだ。
そして、母親もそれを知りたがっていると勝手に思い込んでいた。
いい年なんだからそんな子供じみた妄想はやめろと思うかもしれない。
でもわたしは生まれてこの方、幼少期でさえ、そういう会話を親とした記憶がまるでない。
だからしてみたかったし、物理的に離れて時間が経った今だからこそ、母親もそういう時間を望んでいると思っていた。
でもどうやら違ったらしい。
普段乗らない電車に2時間弱も揺られわざわざ来てくれたのに申し訳ないが、疲れているからと言って帰ってもらった。
家に着いてベッドに横になっていたらいつの間にか眠ってしまっていたようで、大きな地震と噴火で沢山人が死ぬ夢を見た。
圧倒的な力を目の前に打ちひしがれる人。
思考停止し、立ち尽くす人。
許容を超えた理不尽に怒り狂う人。
自分の最期を悟り、過去を悔いる人。
わたしの家族の問題はもっともっとちっぽけなものだけど、そういうどうにもできない大きな力を目の前にした時みたいな無力感を伴っている。
両親はわたしのことを酷く心配しているし、その心配の過剰さがわたし自身の過去の行いによるものであることも承知している。
でもまだもう少し、遠くにいて欲しいと思った。
わたしの中にいる、大人になれないまま取り残されたもう1人のわたしは救われないままだけど、色々と諦めはついた気がするので良しとすることにした。
なにも親に全てを背負わせることはない。
親である以前に同じ人間なのだから。
それにわたしを気にかけてくれる人は意外と沢山いると最近わかったし、案外わたしは愛されている。
気がする。
家族のことは、考えなければいけない時が来たらまたゆっくり考えればいい。
たぶん、今はまだその時ではない。
今は過去より未来の話をするべきだ、と改めて強く思った。
(日記として書いたものだけど、今日(2024/03/07)色々思うことがあり加筆したのでついでに投稿してみることにした。)