1/12 日記

大魔王
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早く一人暮らししたいな

環境を変えたら何が変わるのではないか、と期待し、結局なにも変わらず絶望する。新学期あるある

卒業式いきたくなさすぎる。卒論むり、バイトだるい。家にいるのは大好きだけど、家族とかひとりでいるとメンタルが落ちる。ひとりは好きだけど、孤独はさみしい。

振り袖予約してないし、する気はない。うちの学校で女でスーツは相当少数派だろう。もはやいるのか。はずい。でも、友達もいない卒業式に振り袖来ていくなんて、あまりに面倒くさい。そんなことにお金かけたくない。友達いて、一緒にはしゃげるような人生なら全然着たかったけれど

卒業式もいかないなんて、と親にヒスられ鬱なってきた。自己肯定感削がれる、特別悪い親ではないのは分かってるし、全く不仲ではないし、感謝していることも多い。でも一緒に住むのはもう限界

小学生のとき、遺書には親の名前と担任の名前を書いて社会的に抹殺する(ちょっとかわいい)と意気込んでいたのに、なにも実行できず、ずるずると生きてしまった。もうすぐ22歳で社会人だ。

小学生のときは、家庭環境の影響が強い。その上学校や習い事、私が何をするべきかは親が決定していた。そのため自ら変更することはほとんど不可能だった。そのときは、この生きづらさは親の要因だと思えたし、当時については実際に今でも思う。

だが今は違う。大学生になってからはもう、自分で選択した人生である。大学先、アルバイト、就職先。もう人生のすべてを親のせいにすることはできない。

時間単位で情緒が大きく変わる。鬱な気持ちになると過去の嫌な記憶を思い出してしまう。

地球はなぜ存在するのだろうか、すべてむかつく、気持ちが悪い。人間は好き、個人でみると好き、知りたいと強く思うことも多い。でも国とか人類として集合体でも見るときもいよね

結局自分は自分でしか幸せにすることはできない。それなのに、未だに誰かに救われるのではないか、都合のいい人間が現れて幸せにしてくれるのではないかとどこかで期待・妄想してしまう。他人と勿論互いに支え合い助け合うことはできるし、それによって幸せを得ることもできる。しかし、どんなに親密な人がいようと自分は一人でしかない。自分の気持ちは当たり前に、自分しか持っていないし、変えることもできるのも自分だけだ。本質的に他人と分かりえることなどない。私のための人間などいない。私の意思しかみえないから、世の中が私の中心であると錯覚してしまう。しかし他の人間たちも同様に、自分のための、自分の人生を持っている。

自分が幸せかどうかは自分が決定するものだ。いくら辛いことがあったとしても、些細なことで幸せを感じれたら、自分は幸せだと言い切れる人もいるだろう。逆もある。他人がどう思おうと、自分が幸せだと思えば幸せだ。すべて自分次第、自分の考え方、捉え方次第で、人生の幸福度合いは変わっていく。

この意味不明な文章を書いてたら冷静になってきた。他責思考はよくないと、自分に言葉にして言い聞かせることは大事だ。数日自ら日記を書き続けるは初めてだが、意外と日記は向いてるのかもしれない。気持ちが整理できる気がする。箇条書きみたいな書き方してるけれど

snsでみた、自己肯定感が低いのに自己愛は強い人間という言葉に勝手に傷ついてる。うるさい黙ってほしい

姉が廃棄でもらってきた栗のミルフィーユ

親といると希死念慮が増す、甘い物が救いでくるしい

もう深夜だけどたべる。精神安定剤