
在宅勤務中机に向かっているとき、ねこは後ろで様子を見ているか、ひもを持ってきて足元でそのひもが動き出すのをじっと待っているか、腕にぶら下がろうと飛び掛かってくるかしてくるので、つい空いた手でひもを振ったり相手をしてしまうのだけども、ちょいと忙しくてそれもできない時は仕方がないと膝に上がり込んで毛づくろいを始めたりする。
人間は見たり聞いたり匂いを嗅いだりそして触ったりできる範囲の世界しかきちんと把握できないように思うのだけれども、そうなるといまのわたしは結局半径1メートルのあわの中が世界の全てということになり、さらにはほぼ全ての時間にわたってねことわたしは世界を共有しているということでもある。
コロナ前はひょっとしたら半径50メートルくらいのあわだったような気もするのだけど、この数年であわは明らかに小さくなったし居心地もぐっと良くなったことは間違いない。
ただし、それはコロナ禍による行動範囲の制限といった理由ではなく、わたしと世界を共有していた(先代の)ねこが老いて動けなくなっていった時期と被っていたからで、老いて動けないことで固定された(先代の)ねこの世界と強く結合してしまっていたからではないかとも思う。だってコロナ前から行動範囲は適度に狭かったし。
わたしの想像力、共感力が足りないせいでおそらくはきちんと認識できてないのだろうけど、このちいさなあわの外側にもほんとうは一定の構造に従ったかたちで世界が広がっているはずなのだし、実際わたしもその前提で動いているのでなんとか社会的な生活をおくれているのだとも思っている。ねこも代替わりし、ねことわたしの世界の共有も一旦リセットされたので、世界はまた違ったように見えてくるのかもしれない。
と、左手でひもを振りながらこのメモを書いている。