先日から引き続き先代の若ねこ時代の写真を見直していたのですが、だいたいはどこか遠いところを眺めているような姿が残されています。それは彼女がとくべつ思索に耽りがちなねこであった訳ではなく、当時はあまり自動では動いてくれないカメラしか持っておらず、単にねこがどこか遠いところをじっと眺めて動かないでいてくれる時にしかピントや露出が合わせられなかったからにすぎません。
ようするにわたしの写真を撮る能力が低いだけなのですが、今となってみれば老いて一日中寝ている様子のほうが印象に残ってしまっていることと、残っている写真のすがたから、ああ彼女は静かに思索に耽りがちなねこであったなどと、つい存在しない感傷に浸ってしまっていたりします。
そして今、うまく爪を切ることができないお陰で生傷が絶えない両手を眺めつつ、将来似たような感傷に耽ることになるのだろうかと考えたりするわけです。今は自動でいろいろ調整してくれるカメラあるんだけど。
ところで、先日お薦めいただいたちょっと遠い動物園に足を伸ばして行ってきました。そこにはとても人気のレッサーパンダさんがいらっしゃって、でももうたいそうなお歳なのでほぼ小屋の中でおやすみされていたのですが、午後お部屋に戻る際に歩くすがたを拝見することができました。飼育員のみなさんからほんとうに大切に大切にされている様子がうかがえてとてもよかったです。