https://anond.hatelabo.jp/20220816152832

拾ったねこなので誕生日とかもわからないのだけど、ボロボロのこねこを9月に拾った時に多分生後3ヶ月くらいだった。ということで毎年6月をお誕生月にしているのでこないだ22歳になったばかりなのですが、たいそう老いたねことの生活は毎日がおなじことの繰り返しである一方で、こねこにも負けない速さでうつろっていくことを身にしみて感じています。日常と非日常が並立する中で感じたことを文字にしたく思い、ここに駄文を記します。
あいもかわらぬねこ一匹ひと一人の生活ですが、どうもお食事を召し上がる際に飲み込むよりもお口からぽろぽろと落としてしまうことが多くなりました。幸いなことに食欲はもりもりとあるので、そのもどかしさを晴らすような勢いでお皿の中にお顔を突っ込むような食べ方をされるようになりました。お皿をかつかつと鳴らしながら勇壮に召し上がる姿はなかなかに晴れやかなものですが、お食事後はお顔から喉にかけてでろでろになってしまいます。もちろんできるだけお拭きするのですが、ねこも汚れが気になるのかグルーミングしたいけど肩のあたりしか届かず、そこだけが禿げて痛々しくなってしまいました。そこで、良さげなねこ用スタイを見つけたのでお召しいただいています。
https://item.rakuten.co.jp/tissue/10000020/
増田は彼女のくび周りがはげるのがちょっと悲しくてずっと首輪は付けないようにしていたのですが、このスタイはあまり気にならないご様子ですし、こころなしか可愛さも増したようにも感じます。
ところで、増田は最近動画サイトで「猫の惑星」という曲の存在を知り、それ以来お口の周りを拭いたり使用済みのペットシーツを片付けたりといったお世話の際はずっとくちづさんでいたりします。特定の運命の元で生まれた特定の人間にとっての上位種たる猫に奉仕する喜びを歌い上げた名曲だと思うのですが、増田にとっては奉仕というよりもっと自己愛に近いもののように感じます。22年間に渡るねこ一匹ひと一人の生活のなかで増田のねこはもはや増田の自我の一部分が拡張されたものになっていて、お世話と称しているものも単なるセルフケアに過ぎず、他者に対して無償の愛を捧げるような立派なものでは決してない、と思うのです。彼女にしてみれば、勝手に同一視した上で自由であるべき生活の一部を拘束しているわけですから何を言ってるんだということになりますが、それはそれでお互いうまくやってこれたと感じてほしいなどと、増田の膝の上でくつろぐねこの拭ききれなかった汚れがちょっとかぴかぴになってる毛皮をなでながら願っています。
増田にねこのことを書くようになって、このように自分のあやふやな感情を言語化する癖がつきました。正直なところ夜中の3時から2時間ごとに起こされて朦朧としながらお食事の用意をしたり、その中にお薬を間違えないように混ぜ込んだり、お水を替えたりしているときに、粗相されていたものをあやまって踏んでしまったときなど床を叩いて喚き散らしたい気分になってしまい未明にひとり気まずい気分になることもままあります。でも、それは増田が自分のために自己愛でやっていることであるならば、本質的には箪笥の角に小指をぶつけるのと何も変わりませんし、小指をおもいっきりぶつけたら床を叩いて喚き散らすくらい当然です。「犠牲厭わぬ愛の極み」に辿り着けない増田はそのように考えています。
冒頭で述べたように、これまで描いてきたような宇宙船や新幹線の中で安穏と隔離された世界は消えてしまったのかもしれません。残念ながら彼女の体重もだいぶ減ってしまいました。ねこが今まで以上に増田のお腹の上で足を伸ばして寝ようとするのもどこかしら調子が悪いからだとおもいますが、それでも抱いているとそのままぷすーぷすーと鼻息を鳴らしたり、夢を見つつまえ足あと足をぱたぱたさせたりします。そして増田はすっかり起伏があらわになってしまった背中を撫でながら「増田のねこはかわいいよいこ」と魔法の呪文を唱え続ける。そんな感じの代わり映えのない生活は続いています。こちらからは以上です。
