いつのまにやら教わってきたことを教える立場になってしまった
まだまだ教えて欲しいことは沢山ある
技術的なことは海外から吸収するように整えたので、コミュニケーションがあるわけでもなく、誰かに聞くということもビジネス文章を考えて聞くようになってしまった
人に教える立場で全員に教えようとすると、自分ができの悪い技術者が長かったせいか、ついていけない人を放っておくわけにもいかず、レベルをみんなが付いていけるところに合わせて教えることになってしまう
そうやっていくうちに気付いたのだが、ついていけない人は講師ではなく自分のグループの理解している友人に聞きながら授業をしていることに気付いた
その人にとって講師より優秀な隣の人の方が優秀なのだ
なんで優秀かと判断するかといったら、
講師の言っていることを理解しているからと判断している
のではないかと思えた
講師は優秀だということは理解しているが、本人にとっては隣の優秀な人がそもそも自分よりも優秀なので、隣の優秀な人が理解した内容を教えてもらえればいつも聞いているから分かりやすく教えてもらえる可能性が高い
なので、講師より隣の優秀な人の方が講師より教えるのが上手いという信頼度が高いのだ
隣の優秀な人は講師から聞こうとする
「ついていけない人」と「隣の優秀な人」とは授業の聴き方が違う
「隣の優秀な人」は講師から授業を聞きたいし、
「ついていけない人」は「隣の優秀な人」から授業の要点を聞きたい
隣の優秀な人は授業をちゃんとこなせるので、優秀な隣の人に対して教えれるようにすれば自然とついていけない人を優秀な隣の人によって引き上げてもらえるのだ
副作用として、誰かに教えることで優秀な隣の人の習得率も上がる
合わすべきはついていけない人の方ではなく、隣の優秀な人が誰かを特定し、その人が理解できる内容を教えるようにすることだった
グループに隣の優秀な人がいるグループが形成できていない場合はフォローに回らないと上手く回らない
教室をグルグル回って様子をみる(リモートワークだとコレができなくて大変)
そのことが分かってから教えるのが楽になったし、隣の優秀な人との接点が多くなった
ここら辺がお金を頂いて講師をするとできないやり方だったりする
Xの投稿もいつしかタグをつけなくなった
そもそもの投稿している内容がUnrealEngineのC++に興味がある人みたいなところに向けて発信していたので、隣の優秀な人である率がスゴイ高かった
偶然隣の優秀な人との接点が増えたことで、隣の優秀な人が困っているような内容の需要に気付くことができた
難しいことより、
なんでこんなところで!
ごめん。気付かなかったわ
くらいの内容が実は足りていないし、どのレベルで書くかみたいなことが実は隣の優秀な人や優秀な技術者になるほど難しい
ここでまさかの優秀な技術者でなかった時間の長かった自分だからこそできることもあることを見つけられた
何が起こるか分からない