静けさ。

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静かに生きること。

しかしながら静かに生きることは難しい。

人が環境から影響を受ける。周りが騒がしいと自分の心も騒がしくなる。

人間社会はとても騒がしい。よって「静寂さ」や「静けさ」は自分で意識して作り出さないと存在しない。しかもそれはいとも簡単にあっさりと「騒がしさ」によって壊されてしまう。静かなものは脆い。「静かさ」には強い意志が必要なのだ。

強い意志を持った人は静かだ。静かな人は別に無口とか人とコミュニケーションがとれないというわけではない。そうではなくて、強い意志で自分を律することができるから余計なことを言わない。余計なことをしない。だから「静か」に感じる。人間の内面の葛藤は実は外面にそのまま出てしまうものだ。その葛藤はどうしても他人に影響を与えてしまう。そうして「静けさ」はあっさりと壊れてしまう。

もちろん葛藤のない人間なんていないだろう。人は多かれ少なかれ何しらの葛藤を抱えている。だがその葛藤の海に溺れないで自分を律することができたとき人は初めて「静けさ」を獲得できる。

それは「成熟」という意味とは少し違う。自分と他人(環境)のいかに配慮し律することができるのか、その意識を持つことができるのかという問題であると思う。若くして落ち着いた印象を持つ人は大抵自分を律している。老いてからも騒がしい印象を持つ人、自分を律することが苦手な人かもしれない。人間は老いると体調が次第に悪くなり、どんどん肉体的に辛くなる。それに伴い自制心を失う。これは仕方ない面もある。そこまで人は強くない。人ごとではないのだ。結果、周りも自分も不幸にしてしまうのだから。

強い意志が必要となる。それによって得られる「静けさ」が必要になる。それが結果として自分にも周りにも良い影響を及ぼすのだから。