コーヒーが好き。ウォッシュトの綺麗なコーヒーが1番好きです。タケシのゲイシャって良いよね。(唐突)
好きなコーヒーが安くて美味しければそれはそれで消費者の僕からすればありがたいことこの上ない。他にも回せるし。(これでこの話は2回目ですね。)
コーヒーを作る上で最近は色々なやり方を模索している農園が多い。やったらやっただけ付加価値が付くかと言われると言われたらそんなこともない。ただやり方を模索した上で確立した農園はやはり毎年同じようなコーヒーを作れるところも出てきている。安定的に作れることは下振れがなるべく少なくできる。もちろんそういう農園は処理場なども整備しなければいけないのでお金はかかる。そういう意味では生産者からすればマイナスであるのは間違いないのかもしれない。
ブラジル、コロンビアと中国。最近よく精製処理の段階に手を入れて味わいを変えるようなところがスペシャルティーを生産している農園で増えている。丁寧なプロセスを踏めば何もせずとも高価格なコーヒーが作れるような国なのだろうか。言いたいこととしては従来のやり方で作ればその分消費国側がよりお金を積むことがあっただろうか。個人的にはそれはないだろうと思う。上がっているならばそんなことをする必要はほとんどない。
そして精製処理の段階に手を入れたコーヒーを高価格で買う消費国もある。日本はそういう国ではないため、世界大会とかで有名になったりしなければなかなか目に入る機会は無いと思う。それはそれで良いと思う。ただしそのようなコーヒーを時々飲んで美味しくない(自分の好みではない)と言う人もいる。確かにあなたの好みはそうなのだろう。だが、好みではなければいけないわけでもないだろう。そのようなコーヒーが広く出ることによって、逆に従来のやり方をしているコーヒーへの評価が高まるかもしれない。以前ならば生産国としてはあまり良い評価を受けていなかった国の評価が精製処理の段階に手を入れることによって上がるかもしれない。最近だと違う国の酵母を生産国に持ち込んでコーヒーを作る人もいる。そのようなコーヒー全てが好みなのかと言われればそんなことはない。最初にも書いている通りに個人的な好みはウォッシュトのコーヒーだ。
可能性はたくさんある。良いコーヒーが自分にとってのみの良いコーヒーであると言う人は自分の好きなコーヒーにお金を出せば良い。僕も自分の好きなコーヒーにお金を出すし、どんなことを農園がしようとしているのかも調べる。好きだからだ。それ以上でもそれ以下でもない。新しいやり方を取るコーヒー生産国に対しても短絡的な不味いと言いたくはない。年を追うごとに良くなっている農園もあるからだ。可能性に対して否定的になるのも良いのかもしれない。私たち消費者には選択の自由があるからだ。農園国側にも選択の自由はある。そんなに自分にとって嫌なものであると言うならば自分の好きな物に対してよりお金を出せば良い。
良いコーヒーとはなんなんだろうか。僕は可能性を模索する人たちも好きだし、従来的なやり方を保持し続ける人も好きだ。可能性はたくさんある。自分の好みではないコーヒーが他者にとっては良いコーヒーなのかもしれない。コーヒーが好きなだけなので色々な選択肢があることは素晴らしいことだと思う。だからこそ僕は自分にとっての良いコーヒーだけが良いコーヒーとは思わない。
ぷれぼ。