「すべての時代は続くものを夢見る」(2/10)

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Smile by Nat King Cole (1954)

Smile though your heart is aching

微笑んで 心が痛んでも

Smile even though it's breaking

微笑んで たとえ壊れてしまいそうでも

When there are clouds in the sky, you'll get by

あの空に白い雲があれば、

きっと切り抜けることができる

If you smile through your fear and sorrow

怖れや悲しみを乗り越えて笑えれば

Smile and maybe tomorrow

微笑んで きっと明日は

You'll see the sun come shining through for you

あなたのために輝きながら昇る太陽に出会えるはず

Light up your face with gladness

喜びで顔を照らして

Hide every trace of sadness

悲しみの跡は隠して

Although a tear may be ever so near

涙がこぼれる日はすぐにやってくるかもしれないけど

That's the time you must keep on trying

今はこらえなきゃいけないときなんだ

Smile, what's the use of crying?

微笑んで 泣いても仕方がないし

You'll find that life is still worthwhile, if you just smile

人生には価値があるってわかるはず、

あなたが笑いさえすれば

(https://www.charliechaplin.com/en/articles/42-Smile-Lyrics) 



Smile(スマイル)は チャールズ・チャップリンが作曲した曲で1936年の映画『モダン・タイムス』で使用された楽曲。

(https://gamp.ameblo.jp/oldies-everyday/entry-12492740074.html)



タイトル・クレジットの最後に、“ ‘Modern Times.’ A story of industry, of individual enterprise-humanity crusading in the pursuit of happiness.”と、これが何についての物語なのかが提示される。あえて直訳すれば「『モダン・タイムス』。産業の物語であり、個人の活動すなわち幸福の追求という聖戦に参加する人間(性)の物語」となる。

機械に呑み込まれた人間というイメージは、巨大な機械であふれ機械の内部を彷彿させる工場内で働くちっぽけな人間の状況とパラレルになっている。労働者はまさに機械の内側の存在、すなわち機械の一部になることを強要されているということが、強調されているのである。

(『チャップリン『モダン・タイムス』の冒頭18分を「読む」』)



劇場で流れた「スマイル」

アーサーがコメディアンとして初めて劇場でパフォーマンスを見せるシーンでは、彼の声が消え、ジミー・デュランテ (Jimmy Durante) 版の「スマイル (Smile)」(1965) が挿入される。ジミー・デュランテは1920年代から60年代にかけて活躍していたアメリカの有名なコメディアンだ。このシーンも『キング・オブ・コメディ』の有名なワンシーンを思わせる場面である。

「スマイル」という曲自体は、1936年にチャールズ・チャップリンが作曲したもので、マイケル・ジャクソンを始め、数多のアーティストによってカバーされている。なおトッド・フィリップス監督は、母が精神疾患で収容され貧困状態にありながらも後にコメディアンとして大成したチャップリンと、アーサーの姿を重ね合わせる発言をしている。『ジョーカー』の劇中には、チャップリンの『モダン・タイムス』(1936) が流れるシーンも登場する。

「スマイル」という曲の歌詞は「心が痛む時も笑って」「壊れてしまいそうな時も笑って」と、恐怖や哀しみを乗り越えて笑顔でいつづけるよう説く内容だ。そう、ここでの「スマイル」は笑っている観客を表現するものではない。人を殺め、職を失い、苦しい状況で生活するアーサーに「それでも笑え」と歌いかけるこのシーンは、残酷ですらある。この曲の最後には、「人生にはまだ価値があると思えるだろう。もし君が笑っていればね」という歌詞が繰り返し歌われる。

(https://virtualgorillaplus.com/music/joker-songs/)



さて、チャップリンの映画「モダン・タイムス」がアメリカで公開された1936(昭和11)年といえば、日本では5・15事件(1932年)に次ぐ2・26事件が発生(2月26日から)した年であり、世界では世界恐慌(1929年)の影響によって超インフレ、街には失業者があふれ、世界は第二次世界大戦への道へ歩み始めていた頃である。

当時のドイツはヒットラーによるナチス政権、イタリアはムッソリ ーニによる一党独裁政権、日本は軍部が実権を持ち、「モダン・タイムス」が米国公開された翌・1937(昭和12)年の蘆溝橋事件に端を発した日中戦争の拡大につれ、映画界にも戦争の影響が出始めた(尚、太平洋戦争への突入は1941(昭和16)年12月8日のことである)。

映画「モダン・タイムス」が米国公開された翌1937(昭和12)年、外国映画禁止輸入処分によって、最も影響を受けたのがアメリカ映画であった。公開本数で前年までの222本から一気に94本と半数以下に激減。外国映画興行界2本併映体制を維持できなくなり、協力作品一本体制に移行。そうした中、チャップリンの映画「モダン・タイムス」が1938(昭和13)年日本公開された(『朝日クロニクル週刊20世紀』1938年号)。

「産業と個人企業と、幸福を追い求めて戦う人間性の物語」という字幕から始まるチャップリンの名作「モダン・タイムス」。

18世紀半ばからイギリスで起こった産業革命。それを契機に19世紀には機械及び動力の発明により、新しい技術が次々に生み出され、人類は「機械化」のおかげで物質面における空前の大発展を遂げ豊かになったのだが、果たしてそれで人間はより幸福になったのだろうか?

文明という名の機械化の波があれよあれよという間に押し寄せてきた1930年代。不況の中、街には失業者があふれ、人の心も荒んだ暗い世の中を生き抜く人々。巨大な機械工場では、社長がモニターで厳しく監視する中、オートメーション化された機械の部品の如く働かされる工員たちがいた。

(https://blog.goo.ne.jp/yousan02/e/5c331ea365b174a6e53847ba2680a8ee)



新しい作業機・原動機の発明・採用にもとづいて、マニュファクチュア生産を機械制大工業に推転させ、資本主義杜会を確立した産業革命は、イギリスにおいて、一八二〇年ごろまでにほぼ確立され、生産力の巨大な発展と資本の膨大な蓄積とを結果したけれども、その反面、この過程において生みだされ、膨脹した労働者の側に、これに比例する、窮乏と奴隷状態の蓄積をつくりだした。かくして、労働者は次第に一個の階級に結成され、資本にたいする激烈な闘争を開始する。

この現実の進展に照応して、オーウェンの思想も、超階級的博愛主義から脱脚して、次第に独自のオーウェン主義のかたちをとりはじめる。マックス・べーアがのべているように、「一八二一年から一八二一年まで」は、オーウェンの「精神的能力の絶頂」期であった。まさにこの時期に、オーウェン主義は形成された。

『工場労働貧民救済協会委員会への報告』は、「まことにオーウェンの生涯に着ける転回点をなすもの」であった。それは、「工場改革者ならびに教育の先駆者としてのオーウェンから社会主義と協同の祖としてのオーウェンヘの移行をしるすもの」であった。オーウェンは、報告書を、当面する困窮の原因の解明からはじめている。

「現在の困窮の直接原因は、人問労働の価値低落である。このことはヨーロッパとアメリカの、しかし主としてイギリスの、製造業における機械の全般的導入によって生じた。そしてイギリスでは、変化はアークライトとワットの発明によって大いに促進されたのである。」

「社会における欲望の請対象物の製造に機械が導入されたことは、それらの価格を減少させた。価格の減少はそれらにたいする需要を増加させ、そしてそれは一般に、機械が導入されたのちには以前よりもより多くの人間労働を雇用させるほどの程度にたっした。」「これらの新しい機械の採用の最初の結果は個人の富を増加させ、〔それがさらに〕よりいっそうの発明にたいするあらたな刺激をあたえた。かくてひとつの機械的改善は、すぐひきつづいて他の改善をよびおこした。」

「個人の富はまもなく国民的繁栄へとすすんだ。そしてこの国は、以前のいかなる時期にも知られなかったような、力の発揮と消費高とを必要とする、二十五年の戦争のあいだに、敵を困惑させ味方を驚かしたところの政治力の高さに到達した。そのように着々と、しかもすみやかに、わが国はこの羨むべき状態へとすすんだので、それが富裕と富を創造する種類の力とを獲得するのに、なんの限界もないかのようにみえた。戦争そのものは、それがヨーロッパ全体に、〔さらに〕アジアヘ、アフリカへと、その破壊をひろげていたときに、われわれの無尽蔵の資源をひきだすあらたな刺戟にすぎないようにおもわれた。そして結果において、戦争はそのように作用した。全世界にわたって戦争がひきおこした青年たちの生命の破壊と、非常に大きな規模での多分古代にも近代にもくらべるもののないほどの戦争に必要なすべての物資の浪費とは、さまざまの生産物にたいする需要をつくりだした。それは英国の製造業者の過度に稼動した産業が、彼らが発明し、活動させえたすべての機械の助けによって、辛うじて供給しうるほどのものであった。」

「しかし平和がついにやってきた。そして大英国は、成人の最大限の力における、もっとも勤勉な一億の人問の労働をこえると、十分いいうるほどの、たえまなく活動している新しい力を保有していることがみいだされた。」「かくてわが国は、戦争の終結にあたって、あたかもわが国の人口が、現実に十五倍ないし二十倍に増加したのとおなじ効果を発揮するところの、生産力をもつにいたったのである。そしてこの生産力は、主として最近の二十五年問につくりだされたものである。戦時中に大英国によってなしとげられた。富と政治的影響力とにおける急速な進歩は、したがってもはや驚くにあたらない。原因はまったくその結果に適応していたのである。」

「しかしながら、いまやあらたな状況が生じた。労働生産物にたいする戦時需要はやみ、それらにたいする市場はもはやみいだされなくなった。そして世界の収入は、そのように大きな〔生産〕力が実際に生産するところのものを、購買するには不十分となった。すなわち、需要の減少が生じたのである。それゆえ、供給の源泉を縮小することが必要になると、ただちに機械力が人問労働よりずっと安いことがあきらかとなった。その結果機械力はひきつづき働かされたが、人問労働は〔機械に〕とって代られた。そして人間労働は、いまや普通の安楽さで個人が生存するのに絶対に必要なよりも、はるかに少い価格でえられるようになった。」

以上が、一八一五-一七年恐慌の原因にかんするオーウェンの分析である。

オーウェンは、恐慌の原因を、無制限に拡大する生産と制限された消費ー とくに労働者階級の狭溢な消費限界によって規定されたーとの矛盾においてとらえている。

(『オーウェン主義の成立ー一八一五年恐慌とロバート・オーウェンー』)



「南天 NANTEN」



まちが日本軍に包囲されて七十九日目

日本軍憲兵が殺された



男「見せろ」

少女「いや」

男「俺はお前のためを思って」

〔ガチャ〕〔ガラ〕

男「こんなもん持ってたら一発で非常検問にひっかかるぞ」

男「川にでも捨てちまえ」



はるひ「おばさまの言いつけなのか」

少女「おばさまは水に近づいているわ」

男「水?」

少女「水しかのまないし吐いてばかり」

男「それより自分のことを」

男「あの工具で何をやってるんだ

やばいことか?」

〔パン〕

少女「言いたくない」

男「それじゃ奴らのいい口実だ」



今日か明日かこのまちは

七十九日目とは充分すぎる長さだ



男「このままいつか駄目になる」

少女「そう」

男「いったいどうする気だ

考えよう」

少女「聞いてみたら」

男「人ごとじゃないだろ」

少女「かえる」

男「待てよっ」



迫りくるものに対して

私たちがなす術は

あまりにも ない



男「手伝えることなら言ってくれよ 俺は お前のことを」

少女「ないわ」

男「おばさんの面倒とか」

少女「ほっといて」



少女「ただいま おばさま」

おばさま「お前か」

少女「良くなった?」

〔ゴホゴホゴホ〕

少女「まだ吐くの」

〔ヂャーッ〕

おばさま「およし! おばさんて年じゃないよ」

おばさま「わたしゃこれでも昔はこの村一番の」

少女「はいはい」

〔じゃっ〕

少女「水みたいよ おばさま」

おばさま「ねえさんて言って」

おばさま「ドンホセはどうだい」

少女「駄目」

少女「目玉の部品がないと動かないわ」

おばさま「あれさえ動けばねえ」

おばさま「日本軍なんか一度に」

少女「無理よ」

少女「たくさんいるのよ」

少女「日本軍」

少女「……」

少女「怒ったの」

おばさま「…………」



少女「ごめん下さい」

男「やあ」

男「店の親父はもう居ないぜ」

少女「あら 困った」

少女「もっと大きい目玉はないかしら」

少女「50センチくらいの」

男「見たことない」

男「何につかうの? 協力しよう」

少女「おばさまは日本軍が蹴散らせるって言ってるわ」

少女「ドンホセ」

男「見せてみろよ それ」

少女「だって部品がないのよ」

男「ほっといてもしようがないだろ」

少女「そうね」

少女「地下室なの」

男「ふーん」

少女「この地下室で何代も前から造ってたみたい」

少女「肺も心臓もあるけど目がないの」

男「なるほど」

少女「どう?」

男「手におえん それにこれでも日本軍相手には役に立たんよ」

男「ねえ 逃げようよ」

男「まちは日に日に静かになってる」

少女「逃げられないから包囲なのよ」

男「いや 逃げよう」



〔ゴホゴホ〕

〔Z…〕



少女「洗濯しなくちゃ」

〔ばちゃばちゃ〕





まちは静かになる





END

(黒田硫黄「南天」『大王』1999)



南天

日本軍に包囲された町を舞台とした不条理短編漫画。



正式名称

南天

ふりがな

なんてん

作者

黒田 硫黄

ジャンル

不条理・シュール



概要・あらすじ

日本軍に包囲されること79日目の町。病気持ちのおばさまを看病する少女が、ここから抜け出ることの無謀さを知りながらも人造人間ドンホセの部品を探す。作者・黒田硫黄が学生時代に書いた作品だが、デビュー作『蚊』と共に掲載された。短編集『大王』に収録。



登場人物・キャラクター

少女

病気に伏せるおばさまの世話をしながら、人造人間ドンホセの部品を探している。

おばさま

病に臥せており、水ばかり飲んでいる女性。人造人間ドンホセの完成に希望を持っている。

ドンホセ

『南天』に登場する人造人間。カイゼル髭を生やした巨大な中年男性のような姿をしている。地下室に隠されている。

https://mangapedia.com/%E5%8D%97%E5%A4%A9-h4al4qxe4()

二項対立のない「反」、「止揚」のない「矛盾」

『老子』「後編・六九章」では、「道」について、「之に学して道と曰ふ。強ひて之が名を為して大と曰ふ。大を逝と曰ふ。逝を遠と曰ふ。遠を反と曰ふ」と述べている。三国の学者王弼は、 「大を逝と曰ふ」という言葉に対して、「逝は、行くことなり。一大体を守らぬのみ。 周行して至らぬ処無し。故に「逝」 なり」と註した。また、「逝を遠と曰ふ。遠を反と曰ふ」に対して、「遠とは、極なり。周行して窮極せぬ所なし。一逝に偏らぬなり。 故に「遠」なり」と王弼は註した。王弼の上の解釈から見れば、「逝」=「遠」は、「反」の展開される過程であり、「反」自体の運動である。そして「反」は直線的な運動ではなく「周行」であるからこそ、「一逝に偏らぬなり」と言っているのである。二者択一的に一方的なものではないと理解できる。

王弼の解釈から想起させられるのは、哲学者張鐘元がハイデッガーの「言葉の本質」というエッセイにおける「道」の解釈に対する言及である。ハイデッガーは、「道」という言葉は人間の思虚深い心を語る始元的言葉であり、老子の詩的思惟のキーワードであるこの「道」を道(way) と解釈した。このことに対して、張鐘元は、「道(way、 weg)」という言葉は表面的には「二つの場所を結びつける長さのように」考えがちであるため、西洋思想で意味する「道」という言葉で「道」ということを名づけるには、軽率で不適当であると指摘した。ここで張鐘元のハイデッガー理解の可否を論ずる余裕はない。ただし少し指摘しておくなら、「道」とは、運動してやまないものであるが、同時に、「ある「一方」に傾かずに逝ってしまうことはない」(不偏於一逝)という通り、「周行して窮極せぬ所」がないものなのである。即ちある無中心的な運動状態を常に求めようとするものだということだ。この「周行」の性質が、ハイデッガーのwayという訳とすれ違っていることは明らかであろう。

老子が「反は道の動なり」「反者、道之動」、『老子』「二十五章」)といっているが、ここの 「反」とは、不可欠の関係性としての「否定」または「差異性」と「返る」(往復循環する、周行 する)こと、という特徴を有しているのである。この老子の言葉に対して、王

弼は「老子注」において「高は下を以って基とし、貴は賤を以って本とし、有は無を以って用とす。此れはその反なり」と注を付けた。道の真譜は「反」であると老子はここで言い切っているが、この「反」 を王

弼は、「高」と「低」、 「貴」と「賤」、「有」と「無」などの二項間の構成原理として理解している。これは二分法と無縁の世界である。ここで注意しなければならないのは、ここの構成原理とは、二項のどちらかを中心とすることではなく、逆にその間の運動的境界線を指していることが一番重要な点である。

銭鍾書は、王弼のこの注について「註語は皆膚略(ふりゃく)であり、未だ徼眇(きょうみょう)を窺えず(林:徼眇=微妙で微細なところ)とその不足を感じながら、「反」には「正反の反、違反」という意味と、『漢書・文帝紀』に対する顔師古の注である「反、還なり」とある通り、もうひとつの意味として、「往反(返)、回反(返)」があると指摘した。このような解釈は老子に関す る斉藤晌の訳注にも見られる。斉藤

晌は「反」を「かえってくる」「反抗する」という二つの意味に解釈し、「道は「大」の一種となると、限定されて「逝·遠·反」の範疇に求められる。 ニーチェの「永遠循環」(die ewige Wiederkehr)を連想させる」と指摘した。

近代中国においては弁証法という言葉をいうと殆どヘーゲルの弁証法を連想 させられるように、「矛盾」という言葉も基本的にこのようなヘーゲル的弁証法、またはヘーゲル的弁証法から脱胎したマルクスの唯物論的弁証法の文脈においてのみ流通した(後略)。実際ヘーゲルの「弁証法」の最初の中国語訳は、「矛盾法」であった。

(『矛盾という概念ー近代中国と近代日本の文脈においてー』)



レーニンはいっている。「ある対象を正しく認識するためには、われわれはそのあらゆる側面、あらゆる連関と『媒介』(ヘーゲル哲学の用語で、或ることが他のことによって条件づけられていること。例えば、結果は原因によって媒介されている。普通の用法のように仲立ちされていることにかぎられない。)を理解し、研究しなければならない。われわれはこのことを完全には達成しえないであろうが、全面性の要求は、われわれの誤りと硬化をふせぐであろう」われわれはこのレーニンのことばを銘記しなければならない。

(毛沢東「矛盾論」1937、『実践論・矛盾論』岩波文庫、52p)

例えば、自由競争時代の資本主義は発展して帝国主義となるが、そのときにも、プロレタリア階級とブルジョア階級という根本的に矛盾する二つの階級のもつ性格、およびこの社会の資本主義的本質は、けっして変化しない。しかし、そのとき、二つの階級の矛盾が激化し、独占資本と非独占資本のあいだの矛盾が発生し、植民地所有国と植民地との矛盾が激化し、各資本主義国のあいだの矛盾、すなわち各国の発展の不均衡の状態によってひきおこされる矛盾がとくに尖鋭にあらわれてきたので、資本主義の特殊な段階、帝国主義の段階が形成されたのである。

(同、p.58)

エンゲルスは「運動そのものが矛盾である」と言っている。レーニンが対立面の統一の法則に対して下した定義によると、「自然界(精神と社会の両者を含めて)のすべての現象と過程における矛盾した、排斥しあう、対立した諸傾向を認めること(発見すること)」である。こうした見解は正しいだろうか。正しい。すべての事物の中に含まれている矛盾した側面の相互依存と相互闘争とは、すべての事物の生命を決定し、すべての事物の発展を推進する。どのような事物も矛盾を含まないものはなく、矛盾がなければ世界はない。

矛盾している事物は、一定の条件によって、同一性を持っており、したがって、一つの統一体のなかに共存することができるし、また相互に反対の側面に転化してゆくことができる。これもまた矛盾の特殊性と相対性である。しかし、矛盾の闘争は絶えることがなく、それらが共存しているときでも、あるいは相互に転化しているときでも、闘争が存在しており、とくに相互転化のときには、闘争がいっそうはっきりとあらわれる。

(http://www.smn.co.jp/takano/Mujunron.html)



内なる矛盾の併呑、これがジジェクによる毛沢東への視線のようである。鄧小平を経て現代の中国に至り、「・・・その制限なき市場支配に制約を加える場合にだけ、資本主義が完全なる繁栄を誇ることができるといった竹箆返し」についても、みずからへの回帰として提示されている。デヴィッド・ハーヴェイが『新自由主義』において、現代のネオリベ国家は中国であると言ったとき、非常に違和感を覚えたものであったが、ここにみられる視線は同質のものである。

(https://blog.goo.ne.jp/sightsong/e/ae443da5db71804a1744da39ffc44575)



毛沢東という名は、その労働が歴史的発展の背後に隠れて見えない「実体」を提供している第三世界における無数の名もなき労働者の政治的動員を、代理的に表現しているのである。それは、レヴィナスといった「他者」の詩人がそうした名もなき人びとの動員を「黄禍」として斥けようとも、否定し得ない事実である。レヴィナスは、一九六〇年に書かれた「中ソ論争と弁証法」という議論の余地なくもっとも奇妙なテクストで、中ソ論争に次のような評註を加えている。

まさしく黄禍だ! ただしこの黄禍は人種的ではなく、精神的である。価値の劣等性ではなく、根源的な異質性が、問題なのだ。聞き慣れた抑揚の声あるいは屈曲がまったく聞こえてこないアジアの過去、月や火星のごとき過去の厚みの全体によって異質であるような根源的異質性が。

この発言は、創始者としての「西欧」という意思表示を支えるギリシアにおける画期的跳躍を擁護し、前-哲学的で神話的な「アジア的」世界〔観〕を超剋するだけでなく、息を吹き返した「アジア的」脅威に対抗することが、現代における西欧思想の主要な任務であるといった、三〇年代のハイデガーの主張に一貫していた立場を想起させはしないだろうか?というのも、ハイデガーにあっては、〈西欧〉にとってもっとも強大な敵対者が「神話的なもの一般、とりわけアジア的なもの」とされているからである。毛沢東の共産主義運動が動員し、政治化したもの、それがまさにこのアジア的な「根源的 異質性」に他ならない、と。

(『ロベスピエール/毛沢東 革命とテロル』p.9-10)



中国憲法では、国家の本質は労働者階級が指導し、労農同盟を基礎とする人民民主独裁の国家にある(第1条)。人民民主独裁という政権の組織形態は、人民代表大会制度であり、すべての権力(主権) は人民に属しているものの、それを具体的に行使するのは国家権力機関、すなわち、全国人民代表大会および地方各級人民代表大会である(第2 条)。ここで中央と地方の国家機構の職権区分は、中央の統一的指導の下で、地方の自主性と積極性を十分に発揮させることになっているが、それは中華人民共和国の国家機構が形式的には「下から」の権力を汲み上げた「民主集中制」を実行していることになっているからである(第3条)。いいかえれば、中国の主権原理は、ルソーの人民主権論を源泉とし、パリコミューンから1793年フランス憲法を経てソ連共産党の民主集中制に基づくソヴィエト制度へと受け継がれ、さらに中国の人民代表大会制度へと連なっていることになる。しかも、中国は司法、行政、立法が独立しているモンテスキューの三権分立をとらず、行政が司法を立法府に従属させた 「議行合一」という政治体制をとっていることにその大きな特徴がある。

(『現代中国の主権論ー一帯一路構想の示唆するもの』)



世界でいちばん大きな問題はなにか。飯を食う問題がいちばん大きい。どんな力がいちばん強いか。民衆の連合した力がいちばん強い。なにを恐れてはならないか。天を恐れるな、幽霊を恐れるな、死人を恐れるな、官僚を恐れるな、軍閥を恐れるな、資本家を恐れるな。

(「『湘江評論』創刊宣言」1919/7/14『毛沢東初期詩文集 中国はどこへ行くのか』岩波現代文庫、p.58)

民衆の連合した力 これはのちに「民衆の大連合」ままにおいて「強権」に抵抗するものとして提起されている、コミューンのことである。(略)

毛沢東はバクーニンの「連合主義」もうけついで「民衆の連合した力」を説いているわけである。

(同、訳註(2)より、p.63-64)



「俺が中国人だと言いたいんなら、思い出させてやるよ

お前のTimberlandを見てみろ、多分『メイド・イン・チャイナ』って書いてあるだろ?」

(https://playatuner.com/2017/01/mcjin-is-back/)



「ラジオでLLクールJの曲を聴いた時はビビったね。何これ?って感じ。すぐにレコード屋に探しに行ったよ。 それからNaughy By Nature、Nas、Notorious B.I.G、 Kriss Kross なんかを聴いてるうちに、ライムを書き始めるようになったんだ。その日から自分の趣味が生活に変わっていったね。」

「自分がアジア人であることは、逆に自分の武器なんだって気付いたんだ。アジア人である事を攻撃してくる奴には、それを逆手にとって反撃すればいいのさ。」

「とにかく何処でも誰でもかまわずバトルしてたね。公園だろうと、ショッピングモールだろうと、ストリートだろうと。一度ミスター・チークス(Lost Boyz)を見かけてさ、サインもらいに行く振りして近づいて、彼にバトルを吹っかけたんだ。俺の圧勝だったよ。」

「その300人の中で、アジア人は俺一人だったね。周りは皆黒人かチカーノ。でも俺からしてみれば見慣れた光景だったよ。」

「俺は自分がアジア系アメリカ人最初のラッパーだとは思わない。アンダーグラウンドには才能あるアジア系ラッパーが沢山いるよ。彼等にドアを開く事が俺の役目だと思うんだ。」

(http://bobbybrown.blog14.fc2.com/blog-entry-2.html)



If You Feel My Love by

MC Jin(歐陽靖、欧阳靖)

(https://genius.com/Blaxy-girls-if-you-feel-my-love-chaow-mix-lyrics)

(中文の元ネタは京劇《鍘美案》)



近前看其墻上写著

秦香蓮年三十二歳

那状告当朝駙馬郎

欺君王瞞皇上

那悔婚男児招東床



壁に書かれていることをよく見ろよ

秦香蓮の年の32歳

告発

皇帝を欺く

結婚を後悔した男が東床に移る



東床坦腹(とうしょうたんぷく)

自身の娘の婿のこと。「床」は寝台の御床。「坦腹」は腹を出して仰向けで堂々と寝ること。

中国の王羲之は、婿選びの使者が来たときに、東の御床で腹を出して横になったまま食事をしていたが、その変人ぶりから選ばれたという故事から。

「東床」とも「坦床」とも略す言葉。

「東牀坦腹」とも書く。

(出典:『世説新語』「雅量」)



今から1000年前の宋の時代、陳世美という若者は科挙試験トップの称号である「状元」を手にし、皇帝の娘の婿に選ばれました。しかし、実は陳世美は故郷ですでに結婚して息子が二人いたのです。自分の貧しい出身を隠そうとした陳世美は、殺し屋に妻の秦香蓮と息子を殺すように命じました。結局、公正無私な宰相・包拯によって、陳世美は死刑になりました。この物語をモチーフにした京劇の演目「秦香蓮」は今でも多くの人々に親しまれています。

「鍘美案」は京劇「秦香蓮」という演目の中の一幕です。宰相・包拯が陳世美を殺そうとするところに、陳世美の妻である皇帝の娘と皇后がやってきます。包拯が官職と自分の命をかけて、陳世美を殺そうとする場面を描きました。

(http://japanese.cri.cn/20170623/a46120f6-d87e-405d-882b-f6eebfcbfc22.html)



中国のHIPHOPは中国有嘻哈の影響で凄い盛り上がりを見せています。

番組の累計PVは30億を超えており

ラッパーの出演するギャラや出演前と後では20倍以上変わることもあるようです。

https://imachu.com/2017/09/16/post-1738/

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