「すべての時代は続くものを夢見る」(6/10)

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合衆国第40代大統領Ronald Reaganは、在任中の演説でJohn Winthropの説教をしばしば引用したが、中でも有名なのが「光り輝く丘の上の町」(shining city upon a hill)という表現を用いて、自らが成し遂げた“強いアメリカ”の復権を謳い、その輝かしい未来を祝福した退任演説(“Farewell Address to the Nation”)であろう。「丘の上の町」(a City on a Hill)は、アメリカ上陸を目前にしたWinthropの演説(“A Model of Christian Charity”)に登場し、「アメリカ=神の祝福に満たされた世界の模範となる町」という極めて自己肯定的な神話的な言説を形成してきた。Reaganの演説はその言説に沿ったもので、彼の自身に満ち溢れた態度とシンプルで楽天的な気質、延いては彼の治世の空気を何よりも雄弁に物語って多くの人々の記憶に刻まれることとなった。

(http://als-j.org/contents_811.m.html)



まず考察の入口として、アメリカ合衆国の前史、いわゆる植民地時代の歴史を少しお浚いしてみよう。既知のように、合衆国は、独立戦争(1776-83)を経て、1783年のパリ条約によって正式にイギリスから独立を果たした。最初に合衆国を構成した州は、大西洋沿岸に連なっていた13のイギリス植民地だった。そして、中でも、現在のマサチューセッツ州の原型であったマサチューセッツ湾植民地は、北米大陸北東部、すなわちニューイングランドにあるイギリス植民地の中心として、肝要な位置を占めていた。もっとも、ニューイングランドへのイギリス人の入植の結果できた最初の植民地は、プリマス植民地と呼ばれる、農業を基盤とする小さな共同体だった。その担い手は、1620年に、かの有名なメイフラワー号に乗ってやってきた、例のピューリタンの巡礼父祖だった。そして、この巡礼父祖の指導者がウィリアム・ブラッドフォード(1590-1657)だった。1620年当時のイギリスには、宗教改革の流れを継承し、英国国教会をより純粋なキリスト教会に変えようと運動していたグループがいた。そのグループがピューリタンと綽名されていたのだが、彼らが主張するキリスト教改革派思想、いわゆるピューリタニズムは、非常に斬新で過激なものだった。その過激さから、ピューリタンはイギリスでの国家的宗教弾圧の対象になってしまったわけである。従って、イギリス国内に留まるためには、ピューリタンは、信条であるピューリタニズムを放棄することを余儀なくされ、放棄しない場合は徹底的な迫害が彼らを待っていた。この危機的状況の中で、イギリス国内での改革運動を諦め、国外に新たな活路を見いだそうとする者たちがピューリタンの中から現われるようになった。そして、巡礼父祖も、そうした国外移住を決意したピューリタンの一グループだったわけである。他方、ブラッドフォードを指導者とする巡礼父祖の移住に遅れること10年。一説には500人とも600人とも言われている別のピューリタンのグループが、アーベラ号を先頭に他3隻の船に乗ってイギリスのヤーマス港を出港する。彼らが目指した場所は現在のマサチューセッツ州の州都ボストンで、そこに自らの理想に基づくキリスト教会と自治共同体を打ち立てようと目論んでいたのだった。出港後、約3ヶ月にわたる大西洋の航海を経て、1630年6月12日、彼らは記念すべき第一歩をボストン近郊に印すことになる。この一団の主導者で、大移住を指揮した人物が、ジョン・ウィンスロップだった。そして、このウィンスロップこそ、ロナルド・レーガン元大統領が「別れの演説」で引き合いに出したジョン・ウィンスロップその人なのだ。

ウィンスロップが率いるピューリタンは、ボストン近郊に上陸すると、直ちにマサチューセッツ湾植民地の政府を組織する。そして、ウィンスロップは、この植民地の初代総督に選ばれることになるのである。彼は、以後も総督に12回、副総督に3回選出され、その影響力は、後継の植民地総督のモデルとして仰ぎ見られるほど、絶大なものだった。その好例を提供している人物に、植民地時代のニューイングランドにおける代表的神学者、コットン・マザー(1664-1728)がいる。マザーは、『アメリカにおけるキリストの大いなる御業』(1702)と題する著書、別名『ニューイングランド教会史』としても知られているその大著の中で、誰もが記憶すべき偉大な人物としてウィンスロップを取り上げ、彼、の政治家としての功績を讚えている。その際に、マザーは、「ネヘマイアス・アメリカヌス」(“Nehemias Americanus”) というラテン語の称号をウィンスロップに与えている。この称号は、ウィンスロップの政治家としての真価に関するマザーの認識の表明でもある。

ラテン語の「ネヘマイアス・アメリカヌス」とは、英語に言い換えればアメリカン・ネヘミヤ(American Nehemiah)という意味で、ここでのネヘミヤとは、旧約聖書はネヘミヤ記(The Book of Nehemiah)の主人公である、ハカリヤの子ネヘミヤ(Nehemiah)を指している。ネヘミヤ記によれば、ネヘミヤは優れた政治的、軍事的指導者で、周囲の敵の妨害を乗り越えてエルサレムの城壁を修復したとされている。このことを勘案するならば、マザーがウィンスロップを「ネヘマイアス・アメリカヌス」と呼ぶ意図は明らかである。つまり、マザーは、ウィンスロップを、ニューイングランドにエルサレムの城壁のような堅牢な砦を新たに築いた、ネヘミヤさながらの偉大な政治家だと評価しているのである。マザーのこの評価を証拠立てるかのように、ウィンスロップは、マサチューセッツ湾植民地の総督系譜学の源として、現代に至るまでその揺るぎない地位を占めてきたのである。そして、そのウィンスロップが、1630年6月12日のボストン近郊への上陸を目前に、ピューリタンの同朋に向けて行なった演説が「キリスト教徒の慈愛のひな型」であり、レーガンが引き合いに出したフレーズ、「丘の上の町」の引用元なのである。そこで、この「丘の上の町」が、「キリスト教徒の慈愛のひな型」ではどのようなコンテキストにおいて語られ、どんな意味合いを象徴する言葉として用いられているのか、詳しく検討してみることにする。

ウィンスロップの説明では、人間は、神の業により、富める者あるいは強い者と、貧しい者あるいは弱い者という二つの範疇に分けて創造されているという。この人間の類型化は、富める者と貧しい者にそれぞれ義務を負わせ、強い者と弱い者におのおのの役割を与えるための、神の作為として捉えられている。つまり、人間の義務と役割は決して恣意的なものではなく、神の摂理を前提にして定義されるということである。神の摂理とは、あらゆるものを超えた絶対的権威であり、ピューリタンの認識論における唯一の規範なのである。ウィンスロップは、この認識論に基づいて、人間の義務と役割を続けて説明していく。

ウィンスロップの主張には、人間の固有性は、その存在の直接性ではなく媒介性において定義され、認識されるべきものだとする大前提がある。そして、ウィンスロップは、人間の固有性を、公共性へと収斂する枠組みの中に肯定的に位置づけていく。そのレトリックはこうだ。

公共性という脈絡において人間個々の固有性が定義される時、富める者や強い者は貧しい者や弱い者を労り、貧しい者や弱い者は富める者や強い者に従順になる。また、悔い改めて神の恩恵に与っている者、すなわち回心を経た者には、愛と慈悲、平静、克己心が募っていき、回心を知らない者は、信仰と堅忍不抜、恭順といった精神に目覚めるようになる。そして、誰もが慈しみの絆で固く結ばれるようになるという。ウィンスロップは、神が企図した道筋を分かり易く説いているのである。このように、人間の側から見れば不平等であっても、それが神の業であればこそ、不平等に不当性が問われることはそもそもない。だから、富める者が富める者であり続けるために財を築き、貧しい者が富める者の施しに甘んじ続けることも、また、強い者が弱い者を労り、弱い者が強い者につき従うことも、神の道具としての人間に神が命じた掟と理解されるのだ。ここに、神の摂理のパラドックスがある。ウィンスロップは、神から与えられる掟をさらに逆説的に敷衍している。

この説明に拠れば、富める者と貧しい者、あるいは強い者と弱い者を繋ぐ絆は、「公正と憐れみ」(“JUSTICE and MERCY”)の精神であるとされている。そして、この「公正と憐れみ」の精神をモットーに規律正しく生きることこそ、ピューリタンが築こうとしている自治共同体に安寧秩序を与えるものであり、それが神への賛美と人間の幸福に至る道だと明示されている。

「丘の上の町」(“a Citty upon a Hill”)は、実はウィンスロップが作り出した造語ではない。そもそも、それは、新約聖書のマタイによる福音書第5章第14節から引用されたものである。この聖句は、イエスが弟子たちと群衆に向かって語った、あの有名な山上の説教(the Sermon of the Mount)の一節である。その意味するところは、この山上に集った者たちこそ、この世における道標であるということである。そして、ウィンスロップは、マタイによる福音書に記された「丘の上の町」を聞き手に連想させ、同じこの世における道標というコンテキストに聞き手を誘った上で、マサチューセッツ湾植民地こそキリスト教を基盤とする自治共同体のモデル、あらゆる人々の目が注がれる「丘の上の町」とならなければならないと結んだわけである。この「丘の上の町」は、壮麗なイメージを聞き手に抱かせる、実に魅惑的なフレーズである。そうであれば、「丘の上の町」が預言的な響きを帯びてくるのも当然で、それこそがウィンスロップの企みなのである。その証拠に、上陸後、大西洋の航海さながらニューイングランドの荒野を彷徨い歩いていくピューリタンにとって、「丘の上の町」は、アイデンティティと使命を絶えず彼らに想起させる標語として、以後も着実に機能していくことになるのだ。そして、長い時を隔てた現代でも、例えばレーガンの「別れの演説」に見られる「光り輝く丘の上の町」のように、その象徴的役割を相変わらず担っている。

現代アメリカ人の多くは、不正な国家を前に、アメリカ合衆国は正義を代表する存在であると無条件に前提し、正義を体現するアメリカの究極的勝利が神の摂理によって予定されていることを信じて止まない。その確信に深く潜むのは、ピューリタニズムの伝統的な世界観や人間観をアメリカ神話の源泉としてしまう、無意識のナショナル・コンセンサスである。

(『アメリカ神話の水脈―ピューリタンからネオコンへ』)



wee shall finde that the God of Israell is among us, when tenn of us shall be able to resist a thousand of our enemies, when hee shall make us a prayse and glory, that men shall say of succeeding plantacions: the lord make it like that of New England: for wee must Consider that wee shall be as a Citty upon a Hill, the eies of all people are uppon us.

私たち10名が1000名の敵に対抗するとき、また神が私たちを誉れと栄光のものとし、後に人々がこれから建設される植民地について「主がニューイングランド(新しき英国)の植民地のようにつくられた」と言うようになるとき、イスラエルの神が私たちの間におられることを知るであろう。そのために我々は、全ての人々の目が注がれる「丘の上の町」とならなければならない。

(https://history.hanover.edu/texts/winthmod.html)

http://ocean-love.seesaa.net/article/186804475.html()



「ああ、まずアパルトヘイトをやめさせないといけない。それから、核兵器競争に歯止めをかけ、テロと世界規模の飢餓を終わらせる。国防力の強化安定をはかり、中米における共産主義拡大を阻止し、中東和平の決着にむけて努力し、アメリカの海外軍事関与を控えさす。さて、これは国内の諸問題を軽視するものではない。こっちのほう がとは言わないか、同じくらいに重要だ。長期的な老人介護の質を高め、負担を減らす。エイズの蔓延を抑え、治療法を求める。有毒廃棄物による環境汚染を一掃し、初等および中等教育を充実させ、犯罪と違法な麻薬への取り締まりを厳しくする。さらには、社会の中間層が確実に大学教育を受けられるようにして、高年齢市民へは社会保障を守ってやる。そしてまた、天然資源と未開発地域の保存、政治活動委員会の影響力削減、といったところだね」

「ところが、経済的には、わが国は混乱したままだ。インフレの率を下げないといけないし、 赤字減らしも必要だ。失業者には職業訓練と仕事口が提供されねばなるまい。もちろん、輸入 品が不当に流れ込むから、現在ある国内の仕事を保護するのは当然だね。アメリカは新しいテクノロジーに関してリーダー的存在になるべきだ。同時に、経済成長と産業の拡大を促し、か つ連邦所得税には予防線を張り、低い利率を維持する。一方では小企業が発展する機会を増し、合併および大企業乗っ取りを抑制する」

「だが、社会のニーズも無視できないね。福祉の仕組みに悪口を言う人がいるが、あれはやめさせないと。ホームレスには食と住の備えをして、人種差別に反対し、公民権の拡張を支持する。女性の問題については平等を支持するが、中絶に関する法律は改正すべきだね。生きようとする権利を保護し、なおも女性による選択の自由を維持しておきたい。非合法移民の流入は 抑制する。伝統的な道徳観に立ち返るとともに、テレビや映画、大衆音楽などにおける性の映像的提示を食い止める。まあ、なんといっても大事なのは、社会をつつむ思いやり意識を広げ ること、青少年の物質主義を抑えることだね」

(「四月の馬鹿たち」『アメリカン・サイコ』(上)、B・E・エリス、角川文庫(1991)、p.25, 26, 27)



「回すのはユダヤ独楽だ」私は落ち着いている。「大燭台ではない。ドライデルを回す」

「なんだよ、ベイトマン、なんならバーへ行って、フレディに揚げさせてやろうか。ジャガイモのパンケーキか何か」プレストンは本気で臨戦態勢だ。「ユダヤの…芋ケーキ」

「いらん、反ユダヤで舞いあがるな」

「そうだ、冷静な意見だ。」ブライスが乗り出してきて、私の背をぼんと叩く。 「な、純情青年」

「ああ、おまえの説でいうと、イギリスの見習い企業金融アナリストに、尻の変態をやらせた純情青年だよ」

(「ハリーズ」アメリカン・サイコ』(上)、B・E・エリス、角川文庫(1991)、p.61~62)



「ほら」彼はポケットに手をいれ、記事のコピーをよこす。「おまえが間違ってる証拠に持ってきた。読んでみろ」

「何だ、これ」私は、 たたんだコピーを広げる。

「おまえがヒーローと崇めてるドナルド・トランプの記事さ」マクダーモットは、にたりと笑う。

「らしいな」いやな予感がする。「こんなのを見落したとは、へんだな」

「で……」マクダーモットは記事をざっと眺めていき、一番下の段落に、告発するような指をあてる。わざわざ赤インクで目立たせてある。「ドナルド・トランプの意見だと、マンハッタンで最高のビザを食わせる店はどこだと書いてある?」

「ちょっと、読ませろよ」私は彼の手を払いのけ、溜め息をつく。「おまえの読み違いもありうる。 一ひどい写真だな」

「こら、ベイトマン。赤丸のところだ」

私はくそいまいましい記事を読むふりをするが、ひどく腹が立ってくるので、記事をマクダーモットに返し、むしゃくしゃしながら言う。「だから何だ?何だってんだ。おまえとしては何が言いたいんだ」

「パステルズのピザを、いまはどう思う」やつは気持ちよさそうに聞く。

「そうだな」私は言葉に慎重になり、「もう一回行って、ピザの食べ直しをしないと…」と、噛みしめた歯の間から言っている。「だから、つまり、こないだのピザは、 たまたま……」

「バリバリだった?」マクダーモットが先取りする。

「ああ」私は肩をすくめ 「バリバリ」 「はっは」マクダーモットの顔が笑う。完勝した顔。

「あのな、もしパステルズのビザを、 ドナルドがいいと言うならー」私がしゃべりだす。負けたセリフを、言いたくて言うのではない。溜め息がでる。ほとんど聞きとれないくらいに、「おれも、いいことにする」

マクダーモットは、うれしそうに、けらけら笑う。こいつの勝ちなのだ。

(「ビジネス・ミーティング」『アメリカン・サイコ』(上)、B・E・エリス、角川文庫(1991)、p.185~186)



……自然と大地、生命と水があるところに砂漠の風景が果てしなく広がっていて、クレーターのようでもあり、あまりにも理性と光と霊気をかいていたので、いかなる意識レベルにおいても精神は把握しきれず、近づけば、精神は不安がって後ずさりした。そんな幻影が、はっきり本物の迫力をもって私には見えたので、純粋きわまる光景は、ほとんど抽象のようでさえあった。これなら私に理解できるのだった。そのように私は生きて、それをめぐって行動し、可知なるものに触れてきた。その地勢をめぐり私の現実は回った。人間が良いものだとか、 変わっていけるものだとかは、けっして、思ったことがないし、人からの愛や優しさを受け取って喜ぶような、感情や表情や素振りがあっても、それで世界が良くなっていくとも、 思ったことがない。肯定的なものは何もなく、「寛容の精神」という言葉は何にもあてはまらない決まり文句であり、たちの悪い冗談でしかなかった。セックスは数値計算だ。個性など、もはや問題にならない。知性にどんな意義があるのか。理性とは何ぞや。欲望ー意味なし。知力は救いにならない。正義は死んだ。恐怖、反訴、潔白、同情、有罪、浪費、失敗、悲痛、というものを、そういう感情を、いまどき感ずる者はいない。反省は無益、世界は無意味。邪悪のみが世界に永続する。神に命はない。愛は信用できない。表面、表面、表面というだけが、意味を見出せるすべて……これが、私が見た文明の姿だ。ばかでかく、ぎざぎざに角ばって…

(「一九八〇年代の終わり」『アメリカン・サイコ』(下)、B・E・エリス、角川文庫、p.297)



……ある抽象としての、パトリック・ベイトマンという人物像はあるのだが、現実の私などはなく、幻影だけの存在であり、たしかに私は、冷たく見つめる目の色を隠すこともあるし、そっちから私の手を握れば、握りかえす肉の感触があるだろうし、似たりよったりのライフスタイルだと思うかもしれないが、それでも私は、そこにいない、のである。いかなるレベルで考えても、私の言うことは理屈になりにくいだろう。私そのものが作り物だ。異常な産物だ。どんな条件にも動かない人間だ。私の人格は、走り書きのような未完成に終わっている。冷酷非情なところは、根が深く、執拗だ。私の良心、憐憫、希望は、かりに存在したのだとしても、とっくの昔に(たぶんハーヴァードで)消え失せた。越えるべき障壁は、ない。私の中にあって、狂気と錯乱、悪逆と非道に通ずるもの、および、いままでの私が引き起こした殺傷行為と、それへの徹底した無感動を、私はすっかり乗り越えている。ただし、それでも、一つだけ荒涼とした真実にしがみついている。すなわち、安全な者はいない、何も取り返しがつかない。しかも、私に責任はない。どんな人間の行動モデルも、それぞれに妥当性をつけられるものだ。 邪悪とは、存在にあるのか、行為にあるのか。私には、つねに鋭い痛みがある。もはや私は、誰のためにも世界は良くならないと思っている。 私の痛みが、他人に振りかかっていけばいいと思うくらいだ。誰も逃がしたくない。だが、たとえ、それだけのことを認めたとしても そして、数えきれないほど何度も、ほとんど何かを行なうその都度、認めているがーそして、こういう真実とまともに出くわしたとしても、なんらカタルシスはない。私についての認識が深くなりはしない。私の語りの中から、なんら新しい理解は引き出せない。こんな話を語る理由が、そもそもなかったのだ。こういう告白をしたところで、もともと意味はなくて……

(同、p.300)



そして、スーダンの南部砂漠地帯では、むんむんする熱波の中で気温があがり、何千という数を重ねる男と女と子供が、広大なブッシュ地域のあちこちを彷徨い歩き、食べ物を求め血眼になっている。飢餓の苦しみを舐めつくし、痩せ衰えた死体を点々と残して、彼らは雑草や木の葉を食い……スイレンの葉を食い、倒れそうな足を村から村へと運んで、だんだんと死んでいくのを免れない。悲惨な砂漠に、うっすらと夜が明けて、砂の粒が宙を飛び、黒い月のような顔をした子供が一人、砂の地面に横たわって、喉をかきむしり、円錐形に舞いあがる土埃が、独楽がまわるように大地を飛びかって、太陽は見えなくなり、子供は砂まみれで、ほとんど息絶え、瞬きもせず、感謝していて(ひとが何かに感謝するという世界を、一瞬でも考えてみるがいい)ぞろぞろと行き過ぎる憔悴しきった民は何らの関心もむけず、ただ目がくらんで、苦しんで(いやー一人は関心をむけ、子供の苦痛を見て、ある秘密をかかえたように、笑顔になり)、子供は、皮膚の割れた唇を、声もなく開けては閉じて、どこかにスクールバスがいて、また別のどこかに、上のほうに、空中に、霊魂が上昇していき、ドアが開いて、霊は「なぜ?」と聞くー死者の家、無限状態として、それは虚空に浮かび、時間はよたよたと過ぎて、愛と悲しみが子供の中を駆け抜ける……

(同、p.305)



「ビデオテープを返さないと」と言うのは、 たぶん私のようだ。すでに誰かがミノルタの移動電話で車を呼んでいて、私はたいして聞いてもいなくて、目で追っているのはマーカス・ハルバスタムに瓜二つな男が勘定を払っているところだが、すると誰かが脈絡もなしに、「なぜだ?」とだけ言うから、私としては、自分が冷血で、神経が太くて、するべきことをする人間であるという誇りはあるけれども、このときはピンとくるものがあって、なるほどと思い、「なぜだ?」に対し、条件反射的に、だしぬけに、理由もなく答えていて、ただ口が開き、出てくる言葉は、まわりの馬鹿どもへの要約として、「うむ、たしかに、そうしないよりは、そうするべきだったと思うけれども、おれは二十七にもなってやがる し、こういうのが、世紀末における、えー、ニューヨークの、というか、どこのでも、バーなりクラブでの人生のありようなのであって、こういうふうに人間は、また、おれは、行動するわけで、これこそが、パトリックであることの意味なんじゃないかと、まあ、それで、うん……と言うと、ひとつ溜め息が聞かれて、 肩がすくめられて、また溜め息があって、ハリーズの店内で、赤いビロードのカーテンがかかったドアのうち、ある一ヵ所の上に出ている表示は、カーテンに合わせた色の文字で、

「ここからは出られません」

(「ハリーズで」同、p.339~340)



エリスは『ローリング・ストーン』誌とのインタビューの中で、自分がベイトマンとは別物だと断わったうえ、もし作者が作品中に出ているとしたら、それは八〇年代に対する見方においてのみであると述べた。消費行動と物欲に彩られた醜悪な八〇年代というエリス自身の感覚を、狂人ベイトマンの行動において表わしたかったというわけだ。また、ものごとの表面しか書かなかったのは、時代そのものが表面でしか成り立っていないという認識に基づいている、 と『ニューヨーク・タイムズ』に答えた。

(「訳者あとがき」同、p.343)



八〇年代へのシンボルだという作者の言い分に付け加えて、ひとつ訳者の意見を述べるならば、『アメリカン・サイコ』は、アメリカが過去から引きずってきた精神の病をも表わしている。いわゆる「アメリカの夢」に基づく悲劇である。

まったく無統制に見えるベイトマンの行動に、ひとつだけ原理があるとするなら、それは他人より優越していたい願望だろう。そして優位性が確保されるとき、彼は安心していられるらしい。それを脅かす者がいると、きわめて乱暴に抹殺をはかる。(略)

彼が浮浪者を攻撃するのは、自分のほうが階級として上であることを確認する儀式である。

また、ナイーブに尻尾を振っている秘書のジーンには、彼は心地よさそうに振る舞い、攻撃を控えている。弟が自分を越える力を見せると、彼は慌てふためく。彼が英雄として崇めるのは、不動産王ドナルド・トランプだ。

このような優越志向は、同じ階級の仲間同士にも存在する。どこのレストランやクラブに顔がきくか、服装のブランドにどれだけ通じているか、どんなステレオを持っているか、どんな名刺を作ったか…。日焼けサロンやジムに通うのも、肉体をブランド化して競っているかのようだ。ブランドの話をしながら彼らがとる行動パターン――誰が誰を見る、話しかける、無視するetc.ーからして、 すでに力関係のさぐりあいだ。

(「訳者あとがき」同、p.344~345)



Q(Robert Grunenberg):

世界的な消費者文化を、どう考えますか? ファスト フード、ファスト ファッション、ファスト ミュージック、ファスト イメージ。世界は企業が作るファスト プロダクトで溢れています。消費者の嗜好に応えているし、手軽だからどんどん消費される。反対に、複雑さ、品質、洗練はなくなりつつある。そういう手軽で陳腐な商品は、私たちの文化を鈍化させると思いますか?

A(Bret Easton Ellis):

おそらく近い将来、3つの企業が全てを所有して、商品として何を作るか、僕たちにどう行動させるか、というルールが支配するようになる。そんな世界では難しいことだね。例えばフェイスブック。あれは多くの若者が参加した、人生で初めての企業だよ。企業としてのフェイスブックがユーザーに依頼したのは、性的な投稿をしないこと、他のユーザーに対して親切であること、何でも「いいね!」すること。いいね、いいね、いいね。それだけでみんな去勢された時計じかけのオレンジになった。そこで自分の声を届ける唯一の方法は、フェイスブックという企業のルールを従順に守ることだし、フェイスブックが製造する人間は、今君が言ったとおりだ。企業が牛耳る世界ではそういうことが起こる。

https://www.ssense.com/ja-jp/editorial/culture-ja/bret-easton-ellis-is-less-than-impressed?lang=ja()



「実存主義か」ー「でも、アメリカ流の冷たい実存主義、ジャンキーたちの実存主義よ。あいつらといっしょにいるようになって一年くらいになっていたわね。みんながハイになるたびに、私にもそれがうつるの」

(『地下街の人びと』(1958)新潮文庫、p.51)

わたしはきみの夢の街に憑く。目に見えず、風の中の茨の炎のようにやむことなく。ーセント・ジョン・パーセ『アナバシス』

(『夢の書ーわが教育』(1995)河出書房新社、p.5)



わたし自身の幼い子供時代を思い出す。「大きくなったら、この口の中のいやな味を止めてやる。なんとか方法を見つけてやる。ぼくは世界をめぐるんだ。そしてこの鼻水も。ぼくは世界をめぐってやる」

(『夢の書ーわが教育』(1995)河出書房新社、p.222)



昨晩夢あの紙地平。ヘロインが見た空疎な四月。悲しみって何?即座に見るネコカレンダー……空っぽ午後。エマートンは拳銃自殺、わたしは使ったこともない精神から「なぜ?」削除、ほこりで厚くベタベタ。惑星地球は死にかけている。頭上の光が古い冗談のように散乱。この老俳優がいてさ、ね?それがぼくでさ、ね?本物パーマ、白黒。こいつは是非聞いてよ。この老俳優がいてさ、ね?そもそもあんただれ?だれか自殺した人。昔の知り合い。細かいことは知らない。フランクリン通りのロフト、睡眠薬。

古いインデックスカードをめくる。梱包枠の内なる母。彼女はガンだ。凍って?ソルトレーク川でチェックされるはず。

変化がある……すべて正しくなおせるだろうか?

(『夢の書ーわが教育』(1995)河出書房新社、p.223)

孤高の天才作家の謎に包まれた生涯に迫る

<ストーリー>

1939年のニューヨーク。20歳のサリンジャーは、作家を志してコロンビア大学に編入。華やかな社交界でセレブのウーナと恋に落ちる一方で、会心の短編の雑誌掲載も決定。ところが太平洋戦争の勃発で掲載はキャンセルとなり、招集を受けて戦地に送られる。

<解説>

アメリカ文学史上屈指の傑作『ライ麦畑でつかまえて』と、謎めいた隠遁生活で知られる作家J.D.サリンジャーの若き日を描いた伝記映画。自らの作風を見つけようともがく下積み時代から、絶頂期に文壇から姿を消した理由まで、天才作家の秘密に迫る。主演は『マッドマックス 怒りのデス・ロード』のニュークス役で知られるニコラス・ホルト。



[監督][脚本]ダニー・ストロング[製作]ブルース・コーエン/モリー・スミス[出演]ニコラス・ホルト/ケヴィン・スペイシー/ゾーイ・ドゥイッチ/ホープ・デイヴィス/サラ・ポールソン

[配給] ファントム・フィルム

[制作年] 2017年

[制作国] 米

[上映時間] 106分



[公式サイト] http://rebelintherye-movie.com/

(https://www.at-s.com/sp/movies/article/contents/602967.html)

雑誌「ニューヨーカー」をめぐる作家たちのアネクドーツ(逸話)—アーウィン・ショーが言ったニューヨーカーの編集部の悪口とか、サリンジャーの「ライ麦畑」が2次大戦の終結まで掲載されずに保留になったままだったというエピソードは面白い。

https://note.com/itsukitsunechika/n/n9ff142b1a36b

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