カウンターカルチャー発生の起源は1950年代のアメリカ社会にあった。第2次世界大戦中に消費が抑制され、個人貯蓄が増加していたことを背景に、戦後のアメリカでは消費支出が爆発的に伸張し、生活水準が大きく向上した。このことによりアメリカ社会全体で人々の中産階級化が進んだ。混雑した都市中心部を離れて、台所、寝室、浴室、リビングルーム、芝生の庭を備えた郊外の住宅に移住し、冷蔵庫、料理レンジ、洗濯機、テレビなどの電化製品や2台の自動車を持つという生活が標準化したことがその典型である。そうした経済的繁栄の中で、アメリカ社会全体で現状肯定感が強まった。その一方で、文学と芸術の世界においては中産階級的価値観に反対するビート (ビートニク)と呼ばれる人々の運動が顕著になった。ビート世代のバイブル的作品 となった『吠える』を著したアレン・ギンズバーグや、アメリカ各地を放浪し、アメリカ文明の画一的生活に反逆したジャック・ケルアック(略)などの前衛的な詩人や作家が、ビートの代表である。(略)また、当時のアメリカの若者の間では、中産階級的世界への反抗を描いた映画やロックンロール音楽が流行し、商業主義と結合しながらではあったが、支配的な価値観を拒否する若者文化が形成された。
1960年代前半期にベトナム戦争が深刻化した。これをきっかけに、1960年代から1970年代にかけて、アメリカでは反戦運動が起こった。これは、1960年代初頭に始まった黒人たちによる公民権運動と合流しながら、過激な学生運動やストライキへとつながっていった。
その中心的担い手となったのは、いわゆるメインカルチャーに基づく既成観念を持つ人たちにとっては風変わりに見える、アメリカなど先進諸国の若者たちであった。彼らの異議申し立ては、ベトナム戦争や人種差別への抗議、形骸化した民主主義の糾弾といった政治的なものから、セックスや女性の解放、ライフスタイルの変革といっ たものまで、多様であった。(略)
これらの異議申し立ての運動は、大きく2つに分けられる。1つはニューレフトである。これは当時の若い知識人や学生の政治的ラディカリズムを象徴するものである。そして、彼らの中の文化的ラディカリズムの潮流を象徴するもう1つの運動がカウンターカルチャーであった。(略)
アメリカでは1968年7月にヘイトアシュベリーで暴動が発生し、引き続いて全米各地でヒッピーの凶暴化による事件が相次いだ。(略)ヒッピーを支えていたのが他ならぬ高度に発達した資本主義社会そのものであったことも挙げられる。 アメリカのヒッピーの大多数は中産階級の出身ではあったが、1970年代までに100万人が家出人となり、コミューンにいた300万人も政府の福祉政策に助けられていた。しかし、1973年の石油危機や1975年のベトナム戦争終結から起こった政府の財政赤字によって、カウンターカルチャーはほぼ息の根を止められてしまった。(略)
1970年代以降、カウンターカルチャーはメインカルチャーの商業主義に取り込まれてファッション化、風俗化が進み、対抗性を持つ文化としての存在は極めて希薄なものになった。しかし、それでもメインカルチャーを批判的に捉える思想は消失することなく、カウンターカルチャーはサブカルチャーの一部として再編成され、文化的な性質変化を遂げてきた。
(『「共生」の価値観ーカウンターカルチャー的共同体の目指す生き方ー』)
Sympathy for the Devil by The Rolling Stones (1968)
Please allow me to introduce myself
自己紹介させてください
I'm a man of wealth and taste
私はこの通り資産ももっておりますし
趣味も悪くはありません
I've been around for a long, long year
自分の仕事を第一線で長年続けてきました
Stole many a man's soul to waste
人間の魂なんて
もう数えきれないくらい
奪ってダメにしましたよ
And I was 'round when Jesus Christ
Had his moment of doubt and pain
磔にされたキリストが神を疑って
ひどく苦しんだときもそこにいました
Made damn sure that Pilate
私が提督ピラトをそそのかして
Washed his hands and sealed his fate
自分には関係ないからと無関心を決め込ませて
キリストが処刑されるよう差し向けたのです
Pleased to meet you
お目にかかれて光栄です
Hope you guess my name
私の名前はお察しでしょう
But what's puzzling you
Is the nature of my game
けれども、私の仕事の内容が
一体どういうものなのかわからずお困りなんですね
I stuck around St. Petersburg
当時サンクト・ペテルブルグで
When I saw it was a time for a change
変革の時が訪れて
Killed the czar and his ministers
時の皇帝ニコライや大臣たちが次々と処刑されるのを見ていましたが
Anastasia screamed in vain
王女のアナスタシアはただ泣き叫ぶだけでした
I rode a tank
あるときは私は戦車に乗って戦い
Held a general's rank
「元帥」と呼ばれていました
When the blitzkrieg raged
電撃戦が起こり
And the bodies stank
死体からは悪臭が漂っていました
Pleased to meet you
お目にかかれて光栄です
Hope you guess my name, oh yeah
私の名前はお察しでしょうが
Ah, what's puzzling you
Is the nature of my game, oh yeah
(Woo woo, woo woo)
私の仕事の内容がどういうものなのかわからずお困りなんですね
I watched with glee
大喜びで見ていました
While your kings and queens
Fought for ten decades
あなた方の王や女王が
100年もの長きにわたって
For the gods they made
どちらの神が正しいのかを
巡ってお互い延々と
争い続けていらっしゃるのを
(Woo woo, woo woo)
I shouted out,
私は大声で叫びました
Who killed the Kennedys?
「ケネディ一族を
殺したのは誰なんだ?」と。
When after all
It was you and me
結局のところ
それはあなたであり私だったのです
(Who who, who who)
(一体誰なんだ?)
Let me please introduce myself
自己紹介させてください
I'm a man of wealth and taste
私はこの通り資産ももっておりますし
趣味も悪くはありません
And I laid traps for troubadours
Who get killed before they reached Bombay
インドのボンベイを目指して旅する方々がそこに辿り着く前に
命を落としてしまうよう罠にはめたのも私です
(Woo woo, who who)
(誰なんだ?)
Pleased to meet you
お目にかかれて光栄です
Hope you guessed my name, oh yeah
私の名前はお察しでしょう
(Who who)
(誰なんだ?)
But what's puzzling you
Is the nature of my game, oh yeah, get down, baby
けれども、私の仕事の内容が
一体どういうものなのかわからずお困りなんですね
(Who who, who who)
(一体誰なんだ?)
Pleased to meet you
お目にかかれて光栄です
Hope you guessed my name, oh yeah
私の名前はお察しでしょう
But what's confusing you
Is just the nature of my game
けれども、私の仕事の内容が
一体どういうものなのか
わからず戸惑っているんですね
(Woo woo, who who)
(誰なんだ?)
Just as every cop is a criminal
And all the sinners saints
As heads is tails
警官はみんな犯罪者で
罪人はみんな聖人
ウロボロスのように頭と尾っぽが
つながっているのです
Just call me Lucifer
私のことはルシファーと呼んでください
'Cause I'm in need of some restraint
そうしないと抑えがきかず大変なことになりかねません
(Who who, who who)
(誰なんだ?)
So if you meet me
ですからあなたが私と付き合うつもりなら
Have some courtesy
Have some sympathy, and some taste
礼儀を弁えて
思いやりを持ち、趣味のよさを忘れないでください
(Woo woo)
Use all your well-learned politesse
敬意を払い、礼を尽くしてくださらないと
Or I'll lay your soul to waste, mm yeah
あなたの魂を痛めつけてしまいますよ
(Woo woo, woo woo)
(誰なんだ?)
Pleased to meet you
お会いできて光栄です
Hope you guessed my name, mm yeah
私の名前はお察しでしょう
(Who who)
(誰なんだ?)
But what's puzzling you
Is the nature of my game, mm mean it, get down
けれども、私の仕事の内容が
どういうものなのかわからず
お困りなんですね
(Woo woo, woo woo)
(一体誰なんだ?)
(http://oyogetaiyakukun.blogspot.com/2015/07/sympathy-for-devil-rolling-stones.html?m=1)
「悪魔を憐れむ歌」という不思議なタイトルになっているこの歌は、キースとの共作詞となっているが、ミックがそのほとんどを書き、ミハイル・ブルガーコフの『巨匠とマルガリータ』に影響を受けて作詞されたといわれている。
スターリンの大粛清時代のソヴィエトの1930年代末に執筆された長編小説『巨匠とマルガリータ』は、ソ連当局によって体制批判として受け止められ、生前は発禁処分され、出版されたのは、全体の12%が変更や削除され、
ブルガーコフの死後26年も経った1966年だった。
まず、エピグラフに、
「 …それで結局お前は何者なのだ?
―私は絶えず悪を欲し、絶えず善を成し遂げる、あの力の一部です。」と、ゲーテの『ファウスト』の一節を引用して始まる。
スターリン時代のモスクワに、ヴォラントという名の悪魔が現れ、公園でキリストは実在しないというような会話をしていた評論家と詩人に近づき、自分はイエス・キリストがローマ総督のピラトの裁判を受けたその場にいたと言い、その時のことを語りだす。
一方では、過去のエルサレム、ピラトのイエスの裁判から死刑が物語られ、
他方では、モスクワに現れた悪魔ヴォラントが、スターリンの支配下にある人々、芸術家や劇場などを混乱に陥れる。これらが交互に語られる。
そして、悪魔ヴォラントが、語り、聞かせていたピラトとイエスの話は、実は「巨匠」が書いていた小説の内容だったのだ。
そう、この物語全体は、時空がねじれ、メビウスの帯のように繋がっているのだ。
――モスクワの方では、悪魔によって精神錯乱に陥ってしまった詩人が、
精神病院で「巨匠」という人物に出会う。
巨匠は、誰にも認められない小説を書き続けていたが、マルガリータという人妻と出会い、恋に落ちたのだという。
マルガリータは彼を励まし「巨匠」と呼んで尊敬するが、彼らは、すれ違い別れ別れとなった。
「巨匠」は失望し原稿を暖炉で燃やしてしまい、病院に送られていたのだ。
マルガリータは「巨匠」を忘れられず、もう一度会いたいと願い、悪魔の提案で、悪魔の舞踏会女主人をつとめるべく、体中に魔法のクリームを塗り、生まれたままの姿で夜空を飛ぶのだ。そして、めくるめく舞踏会の女主人を勤め上げ、悪魔によって、彼女のひとつの願い事を叶えられる。
そこに病院服の愛する巨匠が現れ二人は再会を果たす。
悪魔は、巨匠に、原稿を読ませてほしいと頼むが、すでに、燃やしてしまった後だった。
にもかかわらず、悪魔は「原稿は決して燃えないのです」と言い、その原稿の束を復元させる。
イエスの弟子がその悪魔の前に登場し、巨匠の救済を求めると、悪魔ヴォランドは「どうしてお前たちが彼を光のほうに連れて行かない?」と問う。
イエスの弟子は、「彼は光を得ず、安らぎを得た」と答える。
結局、巨匠は悪魔によって救われ、ピラトもイエスによって赦される。
ピラトの物語は巨匠の弟子に受け渡され、すべては火で清められ、巨匠とマルガリータは新たに旅立つのだった。
『Sympathy for the Devil』、
邦題「悪魔を憐れむ歌」
悪魔が、何度も「私の名前はなんだ?」と、問い迫るが、それは…
ゲーテの『ファウスト』の一節、
「…それで結局お前は何者なのだ?
―私は絶えず悪を欲し、絶えず善を成し遂げる、あの力の一部です。」
ここに答えがある。
(https://gamp.ameblo.jp/et-eo/entry-11506307407.html)
1960年1月7日の朝、リー・ハーベイ・オズワルドはモスクワから汽車に乗って西に向かった。この日の夜、彼が到着したのは白ロシア・ソビエト社会主義共和国のミンスクだった。持ち物は着替えと日記、ドストエフスキーの小説「白痴」などほんのわずかだった(「白痴」は彼の20歳の誕生日にKGBがくれたものだ)。彼は喜びにあふれていた。ミンスクで新しい人生を切り開いて、母親、テキサス、海兵隊という過去から逃れるつもりだった。オズワルドは母親と兄のロバートに手紙を送り、自分のことは忘れてくれと言った。オズワルドは「二度とあなたがたと連絡を取りたいと思わない」と書き、「私は新しい人生を始めている。古い人生はいらない」と記述した。
ソ連滞在6日目にオズワルドに帰国を命じられた。落ち込んだオズワルドはベルリンホテルに戻り、日記にこう記した。「ショックだ」「受け入れてもらうのに2年間待ったのに。私の一番大事な夢が砕け散った」。オズワルドは水を張った浴槽の中で手首を切った。彼はKGBに発見され、ボトキンスカヤ病院に運ばれた。
KGBは問題を抱えることになった。数週間前にフルシチョフが初の訪米から帰国し、米国とソ連が「平和的に共存」(フルシチョフ)できるかもしれないとの期待が生まれていた。モスクワで元海兵隊員が自殺を図るというのはいかにもタイミングが悪かった。
https://jp.wsj.com/articles/SB10001424052702303941704579120860671636526
“I make the poem of evil also—I commemorate that part also; I am myself just as much evil as good, and my nation is—And I say there is in fact no evil.”
「私は悪の詩を作る、その一面も讃える。私自身が善であると同時に邪悪な面もある、また実際、我が国家にも私にも悪というものは存在しない」