念のために前置きをしておくと、これは自虐ネタでなければ、特定の誰かを指して批判したり詰ったりする文章でもない。
ただ、我が身を振り返ったときに「こういう見方もできる」と気づいたので、こうして文章にすることでそれを客観化し、あわよくば他者からもどう映るのか意見・感想などを伺ってみたい、と思った。
背景
私は昨年2023年の11月頃から、長らく連絡を取っていなかったかつての友人知人に連絡を取って直に会う、という活動を行っている。
中には最長で22年ぶり、という人もいた。
それだけ離れていても、例えば出身高校のクラスメートだったりすると、割と当時のように普通に会話できるものだ。
この活動がきっかけで昔のクラスメートでLINEグループを作ったりもした。いま現在、そこでのやりとりは下火になっているが、一応細いつながりを維持していると言えよう。
かつてのクラスメートだけでなく、故郷の家族、かつての恩師、かつての同僚、部活仲間、お世話になった人……と、この数ヶ月で様々な人に会った。
この記事のタイトルには「友達」という語を用いたが、そこは相手との関係性によって適当に置き換えても問題ない。これは以降の文章についても、同様。
さて、そんな活動をしていて、毎回首尾よく再会できるということもない。
連絡がつかなかったり、ついてもなんとなく流れてしまうこともある。ひょっとしたら、相手方によく思われていないということもあるのかもしれない。
が、概ねちゃんと直に会って話すところまで漕ぎつけている。
「また会おう」は、別れの際の常套句だ。
この活動を始めて8ヶ月ほどだが、中には2回以上会った人もいる。とはいえ、多くは1回きりになっている。
物理的に離れているケースもあるし、これまでのウン十年の人生で縁があった人の数はそれなりに多いので、無理からぬ話だとは思う。
それは「友達」なのか?
前置きが長くなったが、何年も会ってなかったやつが急に友達面してきたら、イラッとするのでは、というのが素朴な疑問であり、タイトルに込めた意図である。
一方で、上に書いたような活動をしてきて、そこには全然悪感情はないのである。それで悪感情を覚えるようなら、わざわざそんな活動はしていないだろう。
「まさかのときの友こそ真の友」ということわざがある。
ウン十年も会ってなければ、その間に結婚したり子供ができてたり、その他いろいろ人生の岐路を経験していたりする。
「まさかのとき」は逃しまくっている。
また、私が子供の頃、学校教育の課程では「楽しいときだけ、つらいことを共有できるような友達をつくれ」とか「上辺だけの友達ではなく、本音で話せる友達をつくれ」みたいなことを言われていたように思う。
この数ヶ月で会った人にはぶっちゃけた話をしたこともあるが、急にそんな深い話をできることもなく、やや表面的なやりとりになったことも多いかな。
結論(?)
極端に言えば、何年も会ってなかった人というのは割と「どうでもいい人」なのだ。だって、その人なしで何年も生活してきたのだから。
ので、急に「友達面」するのは間違っていると思うし、別にそれをする気はない。
ただ、(昔のよしみで)ひょっとしたらふとした拍子に深いところまで話ができるようになる可能性はあるかもしれない。
そんな漠然とした期待のような思いもあるかもしれない。
それに、たとえ上辺だけのやりとりで終わったとしても、自分にとってマイナスになることはないと思う。