たぶん中学の古典の授業(もしかしたら高校の古文かも?)だったと思うけど、ある日の授業(正確に言うとその授業で扱われた文章の内容)が、思春期真っ只中の田舎の普通の学生だった僕の心にぶっ刺さった感覚だけは覚えていた。それが誰の何という作品の一節だったかもいつのまにか記憶から抜け落ちていたけど、
「出来ないうちは(恥ずかしいし)隠れてこそこそ一人で練習して、ある程度出来るようになってから人前で披露しようなんてことはだめで、下手なうちから人前に出て、上手い人に混じって、ボロカス言われながらでも、失敗しながらでも、それを続けることが、上手になる道なんだぜ」
みたいな大雑把で曖昧な解釈だけはなんとなく覚えていて、人生の節目節目に思い出したりしていた。
中高生時代の僕は、(たぶんこれはその当時の同年代の男子学生のごく一般的な性格の1パターンだったと思うけど)とにかく人前で恥をかきたくない人間だったし、失敗したくない人間だった。ただ、その性格のせいで、自分がやりたいことをやれなかったり、自分の思っていることをちゃんと伝えられなかったり、なんというかとても窮屈な思いをしているという自覚もあった。
そんな思春期によくある悩みを抱えた僕の心に、その古典だか古文だかの教科書に書かれた一節がグサッグサッと刺さった。
だからといって、人間そんなに急に変われる訳もなく、その日から急に大胆な男に、自ら積極的に恥をかきにいくかっこいい男になんかなれなかったけど、でも、その僕の心にグサッと刺さった何かは、その後の僕の価値基準や指針の一つというか、心のなかにある「点」の一つには確かになっていた気がする。
つい最近、ふとしたきっかけで、その思春期の僕の心にぶっ刺さった一節が、吉田兼好の「徒然草」 第百五十段「能をつかんとする人」だったことがわかった(わかったって表現も変だけど、思い出したのではなく、僕の記憶にあった曖昧な解釈と偶然触れた徒然草のこの文章がマッチして、そこから記憶が立ち上がって来た感じなので)
原文
能をつかんとする人、「よくせざらんほどは、なまじひに人に知られじ。うちうちよく習ひ得てさし出でたらんこそ、いと心にくからめ」と常に言ふめれど、かく言ふ人、一芸も習ひ得ることなし。いまだ堅固(けんご)かたほなるより、上手の中にまじりて、毀(そし)り笑はるるにも恥ぢず、つれなく過ぎて嗜む人、天性その骨(こつ)なけれども、道になづまず、みだりにせずして年を送れば、堪能(かんのう)の嗜まざるよりは、終(つい)に上手の位にいたり、徳たけ、人に許されて、双(ならび)なき名を得る事なり。
天下のものの上手といへども、始めは不堪(ふかん)の聞えもあり、無下の瑕瑾(かきん)もありき。されども、その人、道の掟正しく、これを重くして放埓(ほうらつ)せざれば、世の博士にて、万人(ばんにん)の師となる事、諸道かはるべからず。
口語訳
芸能を身につけようとする人は、「うまくないうちは、うかつに人に知られないようにしよう。内々でよく練習して上手くなってから人前に出たら、たいそう奥ゆかしいだろう」と常に言うようだが、このように言う人は、一芸も身に付くことは無い。
いまだ全く不完全なころから、上手い人の中に交じって、けなされ笑われるにも恥じず、平然と押し通して稽古する人が、天性の才能は無くても、その道に停滞せず、いい加減にしないで年を送れば、才能があっても稽古をしない者よりは、最終的には名人の境地に到り、長所も伸び、人に認められて、ならびなき名を得る事である。
天下のものの上手といっても、始めはヘタクソの評判もあり、ひどい欠点もあった。しかし、その人がその道の規則・規律を正しく、これを大切にしていい加減にしなかったので、いつしか世間から認められる権威となって、万人の師となる事は、どんな道でも変わるはずはない。
下記から引用
齢40を超えて、未だに恥をかくことが怖くなるときは沢山あるけど、少なくともあの悶々としていた思春期の自分よりはいくぶんかマシになっている自負はある。だからこれからも、この心に刺さった青い棘を大切に、かける恥は全力でかいていく(と言える人間でありたい)