本当にわがままだと思う。誰かにとってはどうでも良く、しょうもないようなことなのに、私が嫌だと思ったことは重大で、とにかくどこかに吐き出したい。それだけじゃ足らず、吐き出したからには誰かが見ているかもしれないと思いたい。
本当に本当にわがままな感情だ。
そういう時、SNSがなかった時代はどうしていたんだろう。吐き出さないことが美徳だったんだろうか。堪えて堪えて、泣いてもスッキリしなくて、今だったら病名のつくようなことも、弱さや甘えだと捉えられていたんだろうか。たくましくもなるだろうけど、代償も大きかっただだろうな。
小説にできれば良かったのかな。音楽や絵に落とし込めれば良かったのかな。そういうことができるだけで少し救われる何かがあるんだろうか。辛さや怒りや寂しさがエネルギーになって、それが誰かに伝わることで救われる何か。あるだろうな。それ以外の弊害も大きそうだけど。
どう生きるかなんて、昔からそんなに選べなかったんじゃないかと思う。辛くて辛くて、苦しくて苦しくて仕方がないからこれしかなかった人たちもたくさんいるんじゃないかと思う。
幸せって何か、幸せって自分で決めるもの。言葉にするのはすごく簡単だなと思う。だけど、幸せってそんなに簡単に言葉にできるものなんだろうか。言葉にできた方がいいかもしれないけど、今この瞬間、ちゃんと過ぎていくことを感じるだけじゃダメなんだろうか。何でもかんでも論理的に擦り合わせないといけないんだろうか。擦り合わせることが相手に何かを求めることにならないのか。
人は孤独。人は複雑。分かって欲しい気持ちと、分かるわけない気持ちが混在している。吐き出す時にはきっと責任もあるんだろうけど、ここは多少無責任に、少しの倫理観を持ち合わせながら吐き出せる場所だったらいいなと思う。いつだって究極はお互い様。分かろうとなんてしなくていいから、ただここにあるってことだけを受け入れてほしい。