私こそが主人公と言えるなら

ぴょん
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あなたの世界にとって、あなたは主人公だろうか?

私は違うかもしれない。私の世界にとって、私は脇役のお手伝いキャラだ。常に二番手以下だ。縁の下の力持ちだ。表に立つのが向かない人間過ぎて、自分でも失笑だ。

最近、ちょっとばかし野心をたぎらせるべきかと、自分のこれからを想像してあーでもないこーでもないと、進むべき道というのを模索しているのだが、ふらりと立ち聞いた現場の声とやらに完全に打ちのめされてしまった。

なぜ、みんなそんなにギラギラしているんだろう?ギラギラできるんだろう?「喰らいついて離さないぞ」という前のめりな姿勢に、私は完全にびびっている。そして思った、私はこの人たちと同じラインで闘えない非戦闘員だと。

彼らは自分で道無き道を切り拓く能力、いや、自信がある人達なのだ。自信とは自分を信じることだ。私には無いものだ。

いつから私は自信を無くしたんだろう。

赤子の頃はだれしも自己肯定感の塊だと思う。少し大きくなって、個性が出始めると言えども、幼児の頃も私は随分前向きで怖いもの知らずな子どもであった。小学生の中頃くらいから、周りをよく観察できるようになり、人の言葉の意味や身の回りの現実を知り、怯えるようになったと思う。

中学生の頃にはすでに随分と人間嫌いであった。小学校の時に、いじめっ子がいたからである。コソコソ陰口を言い、遊びのように順番にターゲットを決めていじめる女子グループ。学年に、たった10人しか居ない女子の中でロシアンルーレットである。

出席番号順で概ね回っていたそれは、出席番号が最後の私になって以降、2年間変わらず据え置きだった。クソである。

お陰様で私は地元が嫌いだし、なんやかんや2年も嫌がらせをされれば心も閉じると言う話だ。

ちなみに一度だけ、決死の覚悟で担任に相談したが、「お前の気のせいでは?」という見当違いの慰めを受け、「なんでも知っていて、みんなに優しく、時に厳しく、困っていれば助けてくれる、頼りになる大人!」という子どもゆえの神格化していた教師像は一瞬で失せた。文字通り失望である。「ああ、この人は仕事で『教師』をやっていて、お給料のために働いてるんだ。私たち子どもが大切だからこの仕事を選んだ訳じゃないんだ。」と一生懸命私に取り繕う担任の顔を他人事のように見ながら思ったのはなかなかに鮮明な記憶だ。

中学校はさすがに人数が多いので自分だけが何かされたという記憶はないが、低俗で野蛮な同級生というのは辟易するほど居たものである。思えば無関心に徹して心の平穏を保つ術はこの頃習得したと思う。

この頃は家庭でもモヤモヤとする事が多く、自己肯定感がどんどん下がっていった。ざっくりと言うなら、むしろざっくりとしか言いたくないが、「新興宗教」と「金」と「田舎の因習」である。

あれ?私本当はてんとう虫かなんかなのに間違って人間に生まれてきてしまったのでは?と思っていたほどには心が病んでいた。

しかし重大なことは、「病んでいる自覚がなかった」ことである。生まれ育った環境故に、それが常識、それが当たり前。それを疑い嫌忌する自分は、異端児であり、親を否定する歪んだ存在のようにすら感じていたのだ。

「過去も未来も全部消えてなくなりたい」とは、中高生時代に随分と浮かんだ言葉である。

そんな子ども時代であるから、まともな自己肯定感など育ったおらず、基本的には人の顔色を伺い事なきを過ごす…という、いわゆる諦めた大人になった。

そんな人間に自己肯定感なんかあるわけないし、自信の欠けらも無い。

野心をいだける人間は、心が元気だと思う。自分の力を信じている。そういう想いを持っている。だから、私はそういう人間のギラギラした部分を目の当たりにすると無意識に恐怖するんだろう。

ああ、変わりたい。

変えたい。

「変わる」と決めることが大事と言うが、人間無理なものは無理だというのも書き留めておきたい。

生まれて初めて接客業をした時、新しい自分になったような気がした。毎日輝いて楽しかったし、充実していたのだが、何故か仕事から帰ると必ず数分〜数十分、気絶するように眠っていた。それを人に話した時、「いやそれただの気絶だし、仕事合ってないから身体も心も疲弊してるって身体からのサインですよ?」と言われてめちゃくちゃショックだった。

今は違う仕事をしているが、帰宅して気絶するように寝ることは一切ないので、やっぱりあれは身体からのサインだったのだろう。他にやりようなかったんか、サイン。

怖気付いて震えている場合ではないので、何かしら行動はして行こうと思う。脇役から1歩ずつ。

@pyon
豆腐メンタルで生きる人。モヤモヤの吐露や、オラクルカードやスピ系のワークのメモ帳として使っていきます。