ミスカトニアンはいたずら好きだ。時として人倫を失いかける時もある。
が、救われてほしいと思う心は本物なのだ。
「お早う、迷える求道者よ。」
『4時44分から5時55分までの77分、図書館の魔女は対価と引き換えにあらゆる答えを授ける。』
だれかのせいで百選からも溢れがちな七不思議のひとつ。もちろん正体はこの黒鹿毛だ。
「……ホープさん……ですよね?」
「えと、どこかでお見掛け……」
「……いえ。お気になさらず。あなたの"魂"を見抜くことが、時として肝要なこともあるからね。気にしないでおくれ。」
……びっくりしたぁ、たいてい、こういうのは何としても未勝利を抜けたいとか、そういうしょーもない(けど、気持ちはわかる)話に尽きるのだから。
「お願いって……一つだけ……?」
「私が厭きるまで、としようか。」
「其の足の震え。命とは言わずとも、痛みを覚悟してのことだろう?」
「もとはと言えば、思いつめた者の話だけではなく、延滞本や汚損本を周囲に知られずに相談するための時間でもある。」
「わかりまし…た。」
「ふふ、正体など疾うに見抜いているだろうに、律儀だな。」
「ええ、魔女さん、ですから。」
宜しい、と笑い、ハーブティーにはちみつを垂らし入れて差し出す。
* * *
「⸺なるほど。仮装をすべきか、しないべきか。」
「はい。それも、パートナーが楽しめるものを、と。」
「左様。怪の者に扮する人が、怪の者より生者らしく笑むのだから、邪気が払われるのだ。」
黒いヴェールの内側の笑顔は歪み歪んでいた。そんなに重い話があるか。それをこんな遊びみたいな七不思議を大真面目に信じて突っ込んでくる奴があるか。
勿体ぶりながら、すがるように相棒の本を取り出す。答えなんかあるはずがない。ただそこには、ナガソネモロハは腕を失っているという、当たり前のことが記されている。
「生涯の相手に、なぜ相談をしない」
「モロハさんに、プレッシャーをかけたくないということと……」
「彼女を、喜ばせたいと。」
ほんの少し笑い。顔も色づいた。
ラブクラフトには、恋愛小説など存在しない。本当に困るのだ。先刻バカを破滅に突き落としたが、そういう具合に、自分でけじめをつけられるタイプの人間でないと遊び甲斐がない。
だからこそ、沈黙はずっと続いた。
……来訪者のほうがいたたまれなくなって、ファッション誌やらを見せてくれた。
たぶん、必死にLANEでイズミさんとMiNoにスタ爆をしているのもバレているべきなのだが、本当に鬱々と考え込んでいるあたり、とにかく何かの方針を示さないと埒が明かなそうである。
「先ず、キミ一人が仮装するのでは、佳い結果をもたらさないことはわかるだろう。」
「そうですよね、余計に彼女を困らせてしまう。」
「魔女の心遣いで"仮装するまで出られない図書館"を貸し出すこともやぶさかではない」
「それは……」
「そういいつつ、咲っているではないか。白より紅のほうが似合う所帯と言えど、鮮やかだな。」
「一年、二年、そういうところだからね。」
「新婚さん、だね。」
「はい……」
幸せになれ、幸せになれ。そうは願えども、本気で誰かの幸せを願うことなんて、いつぶりだか。
「……わかった。見繕おう。召せとは言わぬ。ただ……」
だから……
「……初めましてだけど、ミスカちゃん、応援してるから。」
ほっ、と、笑ってくれたところで、ボクの歪んだ心にできる、最大限の提案をしようか。
「あくまで、見繕い、工房で仕立てるとしたらの話だが。」
パタリ、とお守りの魔導書を閉じて、身を乗り出す。
「代償は、『片腕』といこうじゃないか。」
せめての権威付けのためにと、ガラスのティーカップでヴェールを持ち上げ、にやりと笑って見せた。
前夜祭というものがある。まあ何せ、教員陣にしろ、監督陣にしろ、生徒会役員などにしろ忙しくてたまらないんで、こう言う場所を作ってるんだろう。
何より、浮かれているファンたちの熱気に包まれてなお、「ありのまま」でいられることなど難しい。人々を自分たちの走りへ、人生へ、迎え入れてこそのトレセン生だとしても。
第一体育館の一角は早くも百鬼夜行だ。人前に出すものでもなかろうと思う人だっているし、あるいは舞い上がって「着られてしまっている」「憑かれてしまっている」生徒もいる。
正直、かったるいことこの上ない。
だって、他の子は群れなきゃ悪魔になれない。友達に流されて、その時の思うままに。こっちはそういうものじゃないんだ。
集会の終わり、他愛ない立ち話の一団を背筋を伸ばした足音だけでかき分ける。
突き当りの体育倉庫をノックすると、「おはいりなさい」の声がする。
図書委員の一団がお出ましする。首魁はいつも通り丈がまったく合っていない真っ黒なローブに包まれていた。
一人の図書委員が指示書とにらめっこしながらせっせとタキシードにアイロンをかけていた。
袖や裾はボロボロで擦れた痕が重なったような形で白く脱色している。アイロンで脱色させては、はさみで裂いて生地を解く。ダメージ加工、という奴だろうか。
スチールラックで即席の鏡台が作られていて、そばには耳の大きな芦毛がタブレットをにらみながらせわしなくメークアップの準備をしていた。
「え、あ、その、任せる、とは言いましたけども……」
こんなに多くの人を動員させてなんだかこそばゆい気分になったところで、腕に細い魔女の指の感触が伝わる。
黙ったまま羊皮紙を渡される。
「え、なんで」という言葉が口をついた。
正直、タキシードまでは想像してたけども、なんというか、ここまで「オシャレ」というか、「入り込む」ものだとは思わず。
「御覧、貴女の貌。」
ローブの中のおぼろげな指が、鏡台を指す。
「其のアクアマリンとトルマリンが凛々しい故。」
「気づいていないだろうが、キミは修羅だ。責める積りもないが。」
「決して周りに醒めた思いをしているわけではないし、寧ろその瞳に柔らかい灯を入れて、ころころと笑うのに。」
「こと彼女のいない場所ではあまりにも静かになり過ぎる。緑の絨毯の只中に立つ時よりも緊張しておろう。」
それを、愛が故に誰も不思議に思っていないのだという。モロハちゃんもまた。
「聞き流してもらって結構だが、彼女に対しても大層に喪失だろうよ。」
「……その……なんというか、遠回りというか、カケヒキしたことなさそうだからさ。ボクはヨクわかんないケドね……」
「さて、Have a seat.」
ガラスのキャンドルスタンドが光をともされて輝くと、ジワリと森の中のような匂いが広がる。すがすがしい、潤った空気そのもののようなにおい。
「Close your eyes、なじむまで少し目が染みるから。」
少しずつ頭がすっきりしてくる。
そうか、確かにそうだ。「ずっと守る」って言ってたのは、私だからね。
目を閉ざすと、アロマそのものに集中することしかできなくなる。
50年、100年と凝り固まった木々の擦れるにおい。それがだんだんと濃くなっていく。本棚の隙間の中に閉じ込められたような、記憶そのものに甘くもたれかかってくるにおい。
手の中に、何かを握りしめさせられる。
そっと何かを囁かれる。どういう言葉か考えることもできないくらいで、一瞬顔が赤くなってしまった気がする。
でも、この魔法はいつかの魔法、私の言葉。誰の言葉でもなく、きっと私が思わず反芻してしまった言葉。
「⸺リボン、ですか」と、誰に向けてでもなくつぶやく言葉は、確かにマホガニーに顔を突っ伏した時の香りのような重い声で発せられていた。
紫の霧が晴れてくる。集会が終わってずいぶん時間が経つし、雑談しながら、ゆるりゆるりと教室に戻る人影が遠のいていくから。
そうでない人でも、ポツポツと衝立の向こうから、赤い吸血鬼に青い魔女がそろそろと出てくる。
漠然とついていこうとすると、群れへの漠然とした視線を遮るように、一層目立つ緑の袖口とともにカートンが突き出してきた。
思わずぎょっとしたが、その箱はわかりやすいほどレトロで、そしてほほえましい文字が書いてあった。ココアシガレット。
「肺が命のマラソン選手が紫煙なんて持ち運びませんわよ。19ですしね。」
なんだか安い同情だなと思いつつも、せめての寄り添いなのかなと思い、ラムネ菓子をつまむ。
「ホープライトコードという女を探しているのよね。」
取り出したスマートフォンには、『まってて』の4文字。
そういうあなたは、と聞き返すと、更衣室の順番待ちだと言いながら、バリバリとスティックを砕いていた。
「気負わなくていいわ。あのドチビ無茶するわとは思っていたけれども、それは全く同感だから。」
やっぱり、あの子の手引きなんだね。何とも言えず、単に不満げに息を漏らす。
「いいんだけどさ。」
ホープちゃんはどう思ってるのさ。
ペンよりもずっと小さく頼りないそれをくるりと回して"火元"を扉の向こうに向ける。
「ある意味で貴女が決めることでしょう。」
その言葉は、過分に熱い。"路地裏"や"雑草"の名前をとっていたとしても、いくら私とこの人が同じような星だとしても、それが対極であるように。
それでも容赦なく、この人は"大丈夫、まずあなたが認めてあげないと"と言う。
……あのさぁ、こんなので気が紛れると思わないでよ。
指の間でコロコロ回していたラムネを、親指と人差し指の間にもう一度滑らす。
口にくわえて、「私だってやらないわよ」と言いながら力を込めていると、重い鉄の扉が開く。
あの子と会える……。
緊張のあまり私は思わずラムネを噛み砕きそうになった。頭を下げて、目を伏せて、ギリギリ合わせた視線の先で、赤髪の騎士は顔を赤くして口を押えていた。
……いや、それ以上に、【見られる】。
「ほ、ほんとにホープちゃんに話してないの?!」
「お、落ち着いてください……!せっかくのサプライズが台無しですよ!」
土壇場で更衣室でバタつくナガソネモロハは、なんとかかんとかイズミスカイゲートになだめられていた。
「いいんだけどさ。」
ミスカトニアンの答えはシンプルだった。
『どうせパートナーも同じようなことを思っているんだろうよ』という、本当に占いみたいな直感にすべてを委ねることだった。
楽しませることが主眼じゃないにしろ、彼女もまた、割り切れないなりにはどこかに動こうとするものだから。
案の定、彼女の目の前で調べ物でもしたんだろうか、バレていたし、挙句同じ方法で相談に来た。
強引かもしれないが、『魔女に弄ばれる覚悟をしている癖に、踏ん切りがつかないものね』と言ったのが、悪くはないパンチラインだったらしい。
「白、かぁ。」
フリルの先にほんのり透くような青と黄色の差し色、首元の宝石のきらめき、名前もわからない首元のひらひら。
2キロくらいあるけど大丈夫かな、という声も聞こえなくなるくらいに私はマネキンに思わずひとめぼれしそうだった。
白バラの香り、というものはないのかもしれないけれど、なんだかそういう香りが一瞬したように思えて、気がそれたからかもしれない。
よく見てみれば、ブラウスにスカートという簡単な構造なのに、それは宙に浮いたみたいに自由で、煙のような、幽霊のような、でもそうは言い表したくないほどにかわいらしく。いや、そういう言葉も安っぽくて。
完全には白じゃない。アシンメトリーに盛られたフリルが流れる先、向かい合って左側に視線を流すとうっすらと黒が濃くなる。刺繍は銀色でうっすらと主張して、ただ見つめていると目が回りそうで。
……私が着る。
アシンメトリー。
着ただけで溶けていきそうな、でも、確かに存在感がある美しさ。
不整合《アシンメトリー》。
……そうであることをこそ楽しんでいた私は、きれいだと月並みな感想を覚えて。
だからこそ、私が着る。私が着ないと完成しない、とすらこのマネキンが言外に語っていることに気が付いて、思わず体を震わせた。
なんで、なんでこんなに。
散々焚き付けてきた白いローブを引っぺがそうとするが、その子も小さく首を左右に振って、もう一人のほうに目線を向けるように促してきた。
「かっこいいのが、一番自由だけど」
「自由って、一番かわいいですから。」
はぁ。
「知った口しちゃってさ。」
観念して、鏡台に寄りかかるのをやめて、姿見の前に現れ、今まで感じていても、意識していなかった問いを聞こうとする。
しかし、知ったことか。という簡潔な回答がフードをあげたミスカトニアンから帰ってくる。
「それくらい見たことあるに決まってるでしょ。寧ろ見たことあるからこそ気に障るかもしれないけど、だから"服屋さん"にお手伝いに来てもらってるの。」
とんでもないイタズラに巻き込まれていることを知らせる、ジャスミンの清々しくも心の奥底をくすぐってくる匂いに包まれながら、頭を回す。
"これも"着るのか。あの子の前で。
私のようで、私じゃない。そうとしか言い表せない香り。
自由になる、私じゃない私になって、私として自由になる。私としてホープちゃんに。
わからないような、わかるような。わからなくてはいけないのだけど、どこかでしっくりこない。
でもまあ。
「いいんだけどさ」ともう一度だけつぶやいて、マネキンに手をかけた。
⸺ああ、そんなに傷だらけになっちゃって。
ああ、そんなに儚くなってしまって⸺
一目見て、見られていることにも気が付いて。
⸺私は、思わず斜にあしらわれた蝶と花のファシネーターを抑えた。
私は思わず深青の模造レイピアを強く握った⸺
私がそばにいないと⸺
⸺私が
私が守らないと⸺
⸺わた
「あっ」
…………
我に返った時、妖精たちは体育倉庫の中で演劇のゲネプロを。
私たちは、コーヒーともシナモンともバニラともつかない、閉じ込められているけれども、それすら忘れさせてくれるとってもとっても心地の良い、物語のページとページの間にある甘い匂いの中。
……ついでに、どうしようもなく舌に残る、安っぽいココア、いや、パチュリの残り香と、「ムスク」としか言い表しようのないものに包まれていた。
「あなたの腕になる代わり⸺」
「⸺あなたの腕をもらい受けます」
そのリボンは、疑いようもなく赤かったのでした。