救いようのないダサさを、愛していく。

Qtaro
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誰でも気軽に情報発信でき、かつそれに触れられる今の時代。

程度の差はあれ何をするにも周りの目ってどうしても気になっちゃいますよね〜。

そもそもこの状況というのは、良くも悪くもインターネットが物理的な位置やら距離を破壊してくれたからこそ(たぶん)今こうしてあるわけですが。

破壊され、距離が近づいたことで得たものも多くあれば、逆に失ったものもたぶん沢山。それはきっと想像も付かないところにも、多々影響はあるのだろうなと。

「インターネットがない時代に戻りたい...!」とかそういう話をしたいわけでは全くありません。(というか無理、絶対嫌)

ただ思うこととして

歴史的にも60年程度。人類の大半においてはたかだか数年〜30年程度の経験値しかない「インターネット当たり前世界の超初心者住人」たちによって成り立っているのが今この世界であるという事実。この事はもしかすると僕らはもっと意識しても良いところなのかもしれないなーと。最近そんなことをよく思います。

きっと西暦25xx年くらいの人たちから見たら今僕らが何気なくやっている事というのは、火を見つけ、船やら武器やら、何かしらを発明してはなんやかんや争っていたかつての歴史を知る今この時代を生きる僕らが感じるそれのように、とてつもなく滑稽なことをしているのかもしれませんね。

ゲラゲラ笑うひよこのイラスト

そんな今の時代を生きるインターネッツThe初心者な僕らにとって、日常の大半を占めるであろう特にオチもない、映えもしない時間というのはどうしても軽視されがちです。

でもそれは僕らの過ごす日常を、各々の人生を豊かにしていくためにはおそらくは多くの場合絶やしてはいけない時間のはずなんですよね。

特に何かに挑戦したり、事を成すためには。絶対に。

こういう話になると自分は決まって元メジャーリーガーであり50歳を超えた今もアスリートとして活躍し続けるイチローさんの「遠回りすることが一番の近道(意訳)」という言葉を思い出すのですが、あれは自分の解釈としては

「誰もがサクッと楽に成果を出せる都合の良い攻略法なんてないから(あったとしてもろくなことないから)、結局とにかく愚直に、淡々とやり続けるのが一番手っ取り早いよ!」

ということなのかなと勝手に思っています。

そしてそういう時間というのは大抵の場合、当の本人の感情はさておき、周囲から見れば99.99999999%面白くも、映えもしない時間なんですよね。

誰から反応があるわけでもない。その上自分自身頭を抱える時間も多い。そういう時間の使い方がおそらく現代人は相当苦手になっている〜〜

\だからこそそれができる人は強いんだ〜〜っ!!!/

...

......

.........

みたいな展開は良くありそうですが、そういう「できる人は成功を掴み取れる理論」的な筋肉な話はぼくはあまり好きではなくて。

そうではなくそういう地味でパッとしない自分の状況を何らかの成果が得られるまで愚直に続けていくためには、そんな自分を、自分が

きっと、自分自身が信じてあげるしかないんだろうなーと思うんです。

ハートを射抜かれたひよこのイラスト

誰かから褒められる訳でもない。成功する保証もない。お金になるかも分からない。今やってること全てが無駄になるかもしれない。ぬぐぐ...くるしい...。

でもそこにちっさな自分の分身の妖精さん(=自分)が背後からふよふよふよ〜〜〜〜☆と現れて肩越しに

「やってみたいんだろ?作ってみたいんだろ??」

「じゃあやってやろうぜ!おまえの人生だろ!」

みたいな自作自演。(急にファンタジ〜)

まぁよっぽどこっちの方が根性論(謎理論?)かもしれないですが。笑

ただ

あれもこれも手に入れたはずなのになんだか不安が消えない...。

いつまで経っても満たされない...。

そんな人がやたらと多い今の世の中を見ていると、やっぱりそれは自分の中から生まれてくる欲求に対する行動ではない「自分のようで自分ではない何か」を周りの目に合わせて作り出そうとする。そういうことに現代人は時間を多く費やし過ぎてしまっているんじゃないかなーと。そんな風に思うんです。

鼻くそをほじくって寝転がるひよこのイラスト

もちろん仕事にしろ何にしろ、周りを全く気にしないで活動するというのはそれは無茶な話で。ただ、必要としてくれる人のための自分を用意するというのは「自身を切り売りするようなものだ」という意識は、今の時代において結構な危機感と共に持ち合わせても良いのではないのかなと。

その時間が楽しい楽しくないとかは関係なく、需要があるから...と自分の時間を埋めつくしてしまうとどれだけ今数字が着いてきたとしても、いずれ身も心も枯渇していってしまうんだろうなと思います。

要は自身を作り上げる(地味な)時間も、作り上げた自分や成果物を楽しんでもらう(映える)時間もどっちも必要という話ですが。これはバランス...というよりは個人的にはベクトルと位置エネルギーの関係の感覚に近いのです…が、話が逸れるので、一旦それはさておき。

エンジニア然り、デザイナー然り。ミュージシャン、スポーツ選手、俳優、アイドル、YouTuber、etc...。職種違えどこれは共通していることなのではないかなと思います。

分かりやすい意識のポイントを一つ挙げるならやはり「数字」との付き合い方ですかね。

数字の大きさも、それを求めることももちろん大事です。

でも、それと同等かそれ以上に、数字の意味を捉えようとする力も今を生きる僕らには必要なのではないかなーと。

ハートマークを作って記念撮影をしようと思ったものの気持ちの一方通行が起きたひよこのイラスト

誰かから見た時の自分のような何かを保つために時間と意識を費やしがちな時代かなと思います。

だからこそ、別に人に見せるほどでもない、特にオチがあるわけでもない、結果に結びつくのかも分からない。そんな "今はまだ" 救いようのないダサい自分を、あるいは人知れず愚直に挑み続ける自分を

目先の見返りを求めるでもなく、ただ寄り添い

少なくとも自分だけは信じてあげることが大事なんじゃないかなーと。

そんなことをふと思う年末です。

2023年もまもなく終わりですね。もう一踏ん張りしていきましょう〜〜

\おわり/

あったかいスープを飲んで温まるひよこ

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※みたいな話を誰に見せるわけでもないところにいつも書いては満足してるのでたまには公開してみました。年末ぅ〜

※メタ的ですが、こういう話を「みんなに」どうやって共有すべきなんだろうというのも考えると面白いですよね。とりあえず人気(ひとけ)的にちょうど良さそうなここ(しずみー)にしてみました。

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\ぴよたそにゅーす!/

シブタクさんが今年も作ってくれました。年末年始にどぞ〜🎍🍊

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