こちらのツイートを見て、主題とは違うのだけれど、自分の小学校中学年~高学年の頃の振る舞いを思い出していた。
小学3年生から6年生まで、私の一人称は「俺」だった。
自分の中ではよくいう「俺女」というジャンルではないと思っているのだが、周りから見たら同じかもしれない。
小学3年生、私ははじめて、仲良しグループの発生と同時に生まれた排斥を目にした。休み時間を一緒になって過ごすくらい仲の良いはずのグループが、内部の子の陰口を言っている。のんきに生きてきたから、はじめて陰口を聞いたときはとてもショックで、なんというか、「女の子のグループに所属したくない」と強く思ったんだよな。
当時は男児向けホビーコンテンツとドッジボールが大好きだったので、そもそも男子の友人は多かったのだけれど、私は「男子の仲間に入れてほしい」の思いで「俺」を使い始めた。
「俺は~」ってどきどきしながら試しに言ってみたら、男子の一人に「俺?」と聞き返された。「うん、俺」と答えたら、それ以上は特に言及されなかった。新学年になるたびに「俺は俺だし」くらいのことは言っていた気がする。でもなんか、からかわれたことはほとんどなくて、優しい人達だったな、と思う。女子は特に何も言われたことなかった。わからん、裏では何か言われてたのかもしれないけど、私が感知することはなかった。
一人称作戦が功を奏したのか、そのまま女子の仲良しグループに取り込まれる必要なく小学校6年生まで生きていけた。「気の合う人たち」はいたけど、中高になってからの振る舞いと比較すると、断然「所属する」という感覚のない生活だった。この話題はこの子、あの話題はあの子、みたいな感じで、休み時間は消しピンをしたりドッジボールをしたりした。6年生のときは、おしゃべりは女子の友人と楽しむことが多かったかな。
陰口やからかいもとても嫌いで、なにか言われたとしても「そうかなあ~??」「何が?」だけ返していた(特にからかいは論理がないため、これが効くんだな)。甲斐がないから私にそんな話をしにくるな、という作戦だったのだろうと思う。ただ、口喧嘩の強い友人と口喧嘩しまくって泣きながら帰ったことは何度もある。言いたいことは直接言え、言えないなら言うな、の精神だった。正しいけど若い。
私が女子のギャングエイジに迎合せずとも教室内での地位を維持できたのは、当時はきっちり自覚していなかった(しようとしていなかった)けれど、スクールカーストが高かったからではないか……という気がしている。明確な所属がなくとも攻撃されないし身の心配をせずともいい場所に私がいられただけなんだろうな、という。
まあ、このメンタリティで全く新しいコミュニティの中学校に突入したら、ギャングエイジを生き抜いてきた人たちばっかりで見事に孤立しましたとさ♪ というオチです。すごい、様子見とか、するんだ、みんな……になっていた(するだろ)。本当に嫌な日々だった……。
実際、仲良くしてくれる友人たちがしっかりいるというのはとても心強かった。そういうことだよね。
やっぱ自分が空気を支配するしか方法ってないかも? 職場運営でも活用するか。でももう性根がカスだから人に機嫌取らせちゃいそ~涙涙 やめましょう。
ちなみに、自分を「俺」と呼んでいた頃、家で友達とよく遊んでいたから、家の中でも「俺」と発しなければいけないことがあった。なるべく家にいる親にバレないように、もにゃもにゃ「おれ」と発音していた。その後に親と喋るのはなんだか気まずかった。親は一度も「俺」について訊いてきたことはなかった。
成人して、訊いてみたことがある。「私、小学生の頃『俺』って言ってたよね」と。「そうだっけ?」だけ返ってきた。私の親はそういう人である。私のTwitterを見ても、私の小説を読んでも知らんふりをする人。そんな一面もありつつ、コントロールしてくるところももちろんあるのだが、一度も問い詰められなかったことで自分で始末をつけられたことがいくつもあるのは本当だ。
もしかしたらこの記事も見ているかもしれないけれど。うっかり他の家族に言ったりしなければわかることはないから、別にいいです。