飲酒自語りシリーズ!(ないだろ)
本日飲んでるのはこちら。
スパークリングじゃない澪って感じ。日本酒よりもカクテルの飲みやすさに近い。でも澪より安いので嬉しいです。澪がはじめての日本酒だったのでありがたい限りなのですが、たけえのでね。
久々に蒸留酒じゃない酒を飲んだ。ふふ、日本酒もまだありますよ。
このへんのはなしを読んで、「リケと魔法舎」を思い出したよね。言葉にすると揃ってしまう。という話。
情けないけれど、私は心の中にあるものをどんどん忘れていってしまうから、言葉に残しておくのが大好きだよ。
その言葉を選んだときのひらめきや恍惚すら思い出せる。恥ずかしいなあと思いながらも。
いや、忘れてしまうから、だけではないな。自分の感性をいちど外部ストレージに保存するような感覚に近い。そうすれば、もう一度追体験できる。
私にとっての言葉、ものごとを追体験するためのジェットコースターのレールのようなものかもしれない。
10代の頃は結構物語を書いていたのだけれど、もう自分の外にジェットコースターを組み立てる馬力がない(「やりたい」をブーストさせる授業のような拘束時間もないし)。
だから自分の脳内のジェットコースターのレールなら出力できるということで、こういうエッセイめいた(めいてるだけ)ものなら今も書けるのかも。だからこれも、「いつか枯渇する」と感じるんだろうな。
「言葉にすると、自分の中にあった無形のものが語義に揃えられてしまう」という観点、それこそまほやくで触れるまであまり考えたことがなくて、でもオズやミスラがそういう在り方をしているから、確かにそういう部分もあるなあと納得した。実際にそのように生きている人たちがいるから。ふたりとも、必要なときには言葉にしてくれるけれど、「きっと彼らの中ではちょっと違う形をしているんだろうな」と感じることが少なくない。特にミスラはそうだな。
そもそもが、私はずっと言葉を探している。多分幼い頃からずっと。
日記とかは面倒で続けられた試しがないけれど、動いた心の動線を言葉にできたとき、私は花を咲かせられたような気持ちになる。
これは、たとえばソシャゲの感想ひとつにしたってそう。昔よりオタクとして元気にやってるのは、いつの間にか「感想」がジャンル化したからなんだろうな。これがなかったらもうオタクできてなかったかも、と思うと同時に、同じような人間がたくさんいたんだな、と知るきっかけでもあった。
言葉にできるから、経時的に自分の考えや感性の変化を知ることもできる。未定義の心もあってよいが、残念ながら現代の人間社会では「限定的に、意図的にそう運用する」のが限界なのだと思う。でも、その領域を大事に守ることも必要なんだろうなとも思う。私は言語優位すぎてぱっと例示ができないが……。それとは別の話として言葉の公開範囲の話もあるけれど。私は露出狂をしがちだが、脳内だけでの言語化が適切なことも多くある。いつか醸成されて別の形で出てきてくれたりするから。まあでも、文字にしないと忘れるから、ローカルで置いておくのが現実的だったりするけれど。視認しないほうがいいこともあるよね。
うーん 話がまとまらないな いつもか。
でも、私は私の言葉だけは額縁に入れるようにして大事にしておけるから、慰めみたいなものなのかも。
単純に、私は私を肯定したくて言葉を練りだしてるだけなのかもな。