『ラストマイル』を観た(ネタバレ感想)

さと
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公開:2024/9/4

『ラストマイル』を観た。ネタバレ感想。適切なタイトルが思いつかなかった。

ずっと嫌だった。私も確かに、画面の向こうで描かれる社会の一員であったから。

フィクションを見ているにもかかわらず、普段働きながら考えている脳みそを使って観賞していた。

結局『アンナチュラル』は観ずに公開日がきてしまったのだが、観てなくても全然大丈夫だった。むしろ直前に観て別作品のテイストに引っ張られずに済んだ良さもあるかもしれない。彼らが、名も出ない派遣社員と同じように名前を出さず「あの世界で働くひとりたち」であることが、作品にとってよいものだったな、と感じる。『MIU404』は観ていたからこそ、私が受け取る感触の違いが感じられて嬉しかったな。あれだけ大きな物語があった人たちが何食わぬ顔で働いている姿がある、というのは、ある意味現実に生きる人たちのようで。ただ、一人の所長、一人の捜査官だった。あの世界で「生きている」んだな、と感じられて嬉しかった。「描かれない」は「無い」ことと同義ではない。


ワーってなってることをうっすらジャンル分けして放出しているので乱雑ですが、感じたことをまとめたい。

加害者と被害者がいるのだとしたら

わかりやすい構図としては、今作ではラストマイルを担う人たち(ラストマイラーとする)が社会構造の被害者(被搾取者)であり、そのデリファスや羊急行の上層部やそのシステムが加害者である、という作りだった。今回は「ラストマイル」の話なのでピッキングしてる派遣さんについては深く触れられなかったが、こういう線引きをするなら被害者なのだと思う。

あとはもう一つ、物流システムを享受している消費者が、加害者。

主人公らが加害者側にいる、珍しい構成だなと思った。これって皆誰に感情移入しているんだろう。私は、概ね全員にしたんですけど………………。現場労働してるし、Amazon利用者なので……。

親子の宅配業者のシーン、基本的にずっとつらかった。作中で一番立場が弱い人で、私たちの生活の中にいる人で、でもそのつらさを想像するとそれだけでつらいから、考えから遠ざけている人だから……。

HINOMOTO、中小企業だけど社員が自社を誇れるくらいにはいい企業だったんだろうなと伺えるところがまた悲しい。休憩1時間きっちり取れるのって、取らせる側が非常に重要だし、取り続けて休憩の権利を守り続けることが大事なので。誰かが崩した途端に全部がぶっ壊れるんだよね、アレ。外資や大手に買い叩かれて潰されてる業界構造と同じで。HINOMOTOは守り続けたが故に結局潰れたんだというのが切ない。現代ではありふれた話なのだろうが。

裁かれない罪、罪悪感と良心

私の考えに「社会に出るということは、人を殺しうるということ」というものがあるのですが、まさにこれを思いながら観ていた。うっすらと誰かを殺しながら社会のごく一部の構成員となっている自覚がある。目の前で人を刺し殺せば刑法に照らされることとなるが、1万人で一人を押しつぶせば罪にはならない。そんなことを考えながら、日々働いている。

というのも、私の働いている業界がそもそも人の生死に近しい場所だから、でもある。ただ決して職場で脱法行為が跋扈しているから考えているわけでなく、私の脳の構造上の問題だと思われる。

仕事に就いてしばらくは日々の業務ひとつひとつが怖くてしょうがなかったんだけど、段々と麻痺してくるんだよね。私が負っているリスクや責任って変わらないはずなのに、逆に覚悟が決まってくるというか。事故を起こした時の覚悟をある程度することで、不安でぐらつく心の重しとしている。良くないですけど。これって心の防御機構なんですよ。私の心に有効な防御方法はこれでして。作中で「配達される商品に爆弾が含まれてる"かも"」という焦り、かなり「渡した薬間違えてるかも」の私が重なってはちゃめちゃ嫌だった。

『ラストマイル』に出てくる人、みんなしんどかったけれど、最も末端の品物に触る仕事をしているラストマイラーのしんどさと、そうでない仕事をしている人たちのしんどさは別として描かれていたと思う。

善悪の話をするなら、出てきたnotラストマイラーたちって、みんな"うっすら悪い"人たちだった(程度は人による)。でもそもそも、社会にいる人ってみんなうっすら悪いですよ。悪くならずに済んでるのだとしたら、代わりに誰かに自分の分の悪さを被ってもらっているか、マジで気づいていないかだけです。

だから、うっすらとした罪悪感がある。本当は負うべきものが重くても、"うっすら"に留めていることも罪ではあるのだが。でもそれすら見て見ぬふりをする。直視したら心が耐えられないから。今回の爆弾は決して無差別なのではなく、「お前らも山崎佑を追い詰めた加害者である」という復讐だと思うので、まあ、そういうことです。みんなうっすら悪い。うっすら気づいているけど、今日も見ないふりをする。

デリファスも羊急行も現場がある企業だと思うんだけど、こういうとこでの働き方って、大体は「現場で頑張っていこうな! 偉くなって俺達が変えていこうな!」というところから始まるわけじゃないですか。出世して、ある時現場から離れるわけじゃないですか。で、現場と同じマインドでいたらおかしくなるわけじゃないですか。どこかで、はじめは同僚・仲間だった人たちを人と思わなくなるタイミングがくる。人間も売上と同じ数字。人件費。稼働率。なぜなら、そうしなければ自分の心を守れないから。それをしない人間は、鬱になり消えるから。心の防御機構です。

搾取被搾取の構造やらを見て見ぬふりして、システムと会社を肥やし、人は摩耗していく。でも他人だから気にしなくていいはずだ。放っておいても人は今日も死んでいるんだから。自分が直接手を下したわけじゃない。運が悪かった。自衛すべき。心の防御機構です。

それでも、救いがあるとしたら、歴代の社員が山崎佑のロッカーの文字を残し続けたこと、五十嵐が天井を仰ぎ目を覆ったこと、エレナの言葉にサラが目を泳がせたこと。ラストマイラーと同様に、彼らが人間であるということ。心を守らなければ自分が殺される中で生きてきた人たちであるということ。その中で繋ぐ良心があることを描いてくれたこと。ここは野木さんの脚本だなあ、と思う。人間の良心を信じている、信じていいといつも強く描いてくれる。

だから、エレナが八木に会いに行きストライキを起こさせ、申入書を入れ知恵し、最後には自分の手で親子に顧客の商品を届けにいった、「ラストマイル」に踏み入る結末だったのが、なんというか、主人公的であった。

そう、八木はかなり重要人物だったな~と思うのが、唯一「中間管理職」だったんだよね。上と下に挟まれている人だった。他の「上」の人は下を見ていないだったから。中間管理職って下のこと人間として接してるから苦しいんだな、と理解した。そこから進化すると羊急行役員や五十嵐以上の面々のような感じになります。

八木が中間管理職でいてくれたから、うっかり社長に怒鳴っちゃったから、どうせクビだからと自暴自棄になったから、この人も「ラストマイル」側に立ってエレナと共にストライキを決行したんだよな、と思うと、かなりいてくれてよかった人。本当にありがとう。

  

山崎と筧

このふたりの曲だったね。そりゃ予告見ながら聴いてもしっくりこないわけだ。

 

「佑」と、「助く」と名付けた子が、職場で飛び降りた悲しみ、計り知れない。キャラクターとして、「task」と掛けられているだろうことも、苦しい。

山崎が飛び込んでも止まらなかった、2.7m/sで流れるベルトコンベアを止めたシーン、どうにもならない思いが込み上がった。止まったベルトコンベアの上で寝転がる梨本の姿は、山崎への哀悼に見えた。

先に観たミステリー・サスペンス好きの母は「動機が弱かった」と言っていて、私は「無敵の人系統か?」と予測を立てていたのだけど、流石にそれだと見る側が疲弊してしまうし、エンタメとして物語のカタルシスがなさすぎるのでないよな。そりゃないか、と思いながら観ていた。

母が言っていたのは「動機に対して起こしていることが大きすぎる・執念深すぎる」ということなのだと思うけれど、現代は一人の悪意で実現できてしまう悲劇の規模が大きくなってしまった、と思っているので、私は規模感については違和を感じなかった。むしろ、「たった一人で壊せてしまうものなんだ」、という無力感は、現実のテロ事件等で感じるものに近かった。

執念深さについても、私は、筧の中にある気持ちを推し量ることは他人にはできないと思っているから、特に違和感はなかった。そこまでしてしまう人もいるよな~無差別だって存在しているんだから。親子で思想が違うの面白かった。

ただ飛び降りたんじゃなくて「ベルトコンベアを止めたくて」が出てきたとき、朦朧とする意識の中で動き始めるベルトコンベアを見た時、やるせなくて。

12の社訓を破壊したくて12の爆弾だったのだろうなあ。爆弾の規模については、なるべく死者を出さない破壊力で作っていたのかなあ、という気がする。1人目をガスでブーストして自分で死なせることで、続く爆弾も同様の破壊力と類推させる作戦。12か条の1つ目、「信頼を掴む」なんだ……。

ということで筧は焼身自殺と言って差し支えない。「私に罪があるなら贖います」「私のせいじゃなかったら世界は贖ってくれるんですか?」の人だからなあ。自分がこれから起こすこと、そして山崎に間に合わなかったこと、に対する贖いだったんだろうけど、想像の域を出ない。もう亡くなってしまっているので。彼女の意思を知る手がかりをUDIメンバーが見つけてくれていて、『アンナチュラル』ってそういう話なのだなあ、と思うなどした。

偽の広告も、デリファスが内部で情報統制しててもネット民が見つけ出せるように作ってたんだなあ。用意周到で、内部の暗闇を良く知っている人だ。

 

メディカルの話

ちょっとだけメディカルの話。

予告を見た時、うっすらとコロナのときの「感染防御か経済か」という天秤を思い出していたのだが、全然違った~と思いながら観てたらFAX出てきて笑った。コロナ時の医療業界オマージュありがとうございます(やめな)。

現実世界では基本的には専門卸に発注していると思うが、AmazonのようなECサイトがあればそちらの方がコストカットになるのは明白で、取り扱いがあるなら移行する施設もあるだろうと想像できる。その上でまあ、出てきた医療施設に関しては「消耗品は数日でなくなるような在庫にしておくな」と思いましたが。もちろんデリファスのみに依存してるわけがないから他の卸に逆ざやになろうが納品してもらうこともできるだろうし……個人的ツッコミポイントではありました。だからこそ、エレナの「他の選択肢を考えるのが面倒くさいお客様のために」が刺さるね。今回描写されている件については消費者側の怠慢の意味合いもあるのかな? という風に読み取っておこうかな。

とはいいつつ、薬がない現実はマジですが。でもこれもみんながうっすらと見て見ぬふりした産業構造のおかしさからきてるんで、同じような話かもしれない。どこもボロボロだね!

「このままじゃ患者さん死んじゃうよ!」と周りのみんながわかってるであろうことを特に解決策や指示なく声高に言うの、ストレス感がリアルでした。(何の話だ)

 

ラストマイルに生きるあなたへ花束を

基本的に加害者の心で観ていたのでずっとしんどかったんだけど、最後の最後、ストーリーの一番のカタルシスが、最大の「間に合った!」が、ラストマイルを担う人たちに任せられたのが、本当によかった。

多分だけど、エレナなら間に合ってないんですよ。

「間に合った」のは、ラストマイルを生きる人たちが、ラストマイルにいたから。人を人だと思って生きているからだったと思うんだよなあ。うまく言えないんだけど。

自分の心を守るために人を人と思わず、人が死んでも止まらないベルトコンベアの稼働率を見ている人には、間に合わせられなかったのではないか。(重ねますが、そうすることを強いられてきた人たちではある。そうしなければ自分が潰される。その上流にあるのは消費者の欲望である、という前提も理解しています)

『アンナチュラル』が「間に合わなかった物語」、『MIU404』が「間に合った物語」と形容されているのを見たことありますが、『ラストマイル』は両方を併せ持つ作品ですね。山崎佑には間に合わなかったが、親子の誕生日祝いには間に合った。なんで両方あるんだというと、人がたくさんいるから。間に合わない人も、間に合った人も、いっぱいいるから。今回形式上の主人公はエレナだけど、タイトルは『ラストマイル』ですからね。佐野さんたちこそ主人公なのだろう。

ドラム式洗濯乾燥機、よかった。自社製品に命預けられる気概、かっこよすぎる。ここにシナリオの花があったの、本当に、よかった……。野木さんの脚本の「そうであってくれよ」であった。ぶっ壊れた社会の圧力を逃がせない場所で生きる人たちに、この作品一番の歓びがあってよかったです。もちろん、危険の末だったので良いことじゃないんだけど、メタとして言っちゃうと宅配ボックスの解錠番号404で「間に合わない」ワケがないからなあ!!!!!! 野木さんからの花束でした。 

テロ行為(暴力)をきっかけに社会システムが変わるのってかなり危うい題材なので、これに関する後日談を気持ちよくしちゃ絶対いけないから、一番のカタルシスはここに持ってこられたのだなあ、と思うなど。配送料の改定などは「ストライキの結果」を挟んでおり、直接テロによるものではない(観てる人間の感情的にもそう受け取れる)ように作られているのも感じました。

   


いわゆる「現場がぎゃふんと言わせる」系のスカッとジャパンエピソードに落ち着かない誠実が好きでした。そんなのは、消費者の脳が喜ぶだけのファンタジーなので。消費者をうっすら加害者と定義しているこの作品でそれをやるのはあまりに不誠実だろうから。

でも。一方通行の、自分の下流を人と見なさない構造の中で、この事件を通して「一瞬人を見る目に戻る瞬間」が確かにあって。先に言及した五十嵐やサラの動揺もそうだし、ドライバー不足に対して役員もドライバー業務やりますのときもそうだし、配送センターで荷物が爆発したときの「お前(荷物)安全だって言っただろうが!!」のあとの「ごめんなさい!」とかも。冷徹なシステムに合わせて動かさないようにしていた心が、大きく温度を上げる瞬間。

この瞬間があっても大きく変わるものはないけれど、でもゆっくりとシステムが血と温度を抜いて今に至ったように、また血を通わせることもきっとできる、動かしているのは人間なのだから、という主張だと思うんだよね。

この、汚泥の中にわずかにちらつく砂金のような希望の見せ方が、野木脚本だなあ……と思いました。

私も弱くて、書いてて言葉にしたくない/できない部分も多くて。作る側も自分のことを棚に上げてる部分だってあると思うけど、それでも、この作品を作ったのだから。加害者である私も、私たちも、最低限少し変わりましょう。

一万人が一人をうっすらと殺せるように、一万人で一人をうっすらと救えることも、同様にあるのだと思う。殺すのが罪の問われないのと同じように、救っても称賛されないけれど。

@quale
私のクオリア