愚痴を吐くのはいきなり人にちんちん見せるようなもんだぞ!みたいな話を見て爆笑しました。見たくもないものをいきなり見せられても、みたいな例えなのだと思うのですが何か刺さりました。わかりやすい下ネタ好きなのよね...基本オモコロチャンネルばっかり見てます。
何となく愚痴について考えるきっかけになったので少し種類を分けるところから始めて各々にどう思うか整理してみます。分け方が結構ありそうで「内容の深刻度」「言う場所」「言われる人との関係値」などの軸がありそうです。
内容の深刻度
笑えない愚痴というか、気をつかうレベルの愚痴だと見ていてこっちまで辛くなってくる、みたいなのはありますよね。この軸は愚痴を受け止める側の負担の大きさと言い換えてもいいかもしれないです。深刻すぎると安易に返答出来なかったり、笑えなかったり、そもそも相手を傷つけてしまうかもしれません。逆に深刻でない場合はどんまいくらいでいいでしょうし、何なら笑って許されるというか笑いを取るために発言しているかもしれません。
言う場所
これは主に対面なのかSNS越しか、対面でも会社なのか飲み屋なのかみたいなところですね。対面とインターネットの差でいうと、感覚的なところになりますが「愚痴を伝えている実感の有無」に大きな差がある気がします。特定の人に愚痴を言う際は相手のコンテキストや状態を考慮して「言うべきか」の判断が自然と挟まる気がしますが、SNSやこういったブログでの愚痴は「相手が愚痴を受け止められる状態か」をあまり考慮せずに発信している気がします。
対面における各場所については、場所毎の相応しい振る舞いや愚痴が許容されそうな雰囲気か、みたいなところになるのでしょうか。許されそうな場所の上位として酒の席や心療内科、カウンセリングの場などでしょうか。逆にダメそうな場所はいくらでも思い浮かびますね、面接とかめでたい雰囲気の時とか。
言われる人との関係値
これは愚痴を言われる人、見せられる人と仲がいいかとか信頼関係を築けているか、というところです。何となくここが核心なのかなぁと思っています。対面や非対面を問わず仲が良ければ愚痴はそこまで問題にならない気がします。会社というビジネスの場であっても、友人関係に近い同僚であれば愚痴を言い合っても許されることはよくあると思います。
書きながら気づいたこと
お金を払って愚痴を聞いてもらう、みたいな形態のビジネスがある気がしたので、分ける軸として「お金払っているか」もありかもしれません。負担をかける分をお金で帳消しに出来たり、お金が介在することで生まれる責任によって許容されるケースがありそうですね。
他にも対面は場所と人がセットですね。これも非対面との大きな違いかもしれません。たまに歩きながら虚空に向かって愚痴言いまくってる人を見かける気がしますが稀ですよね。
何となく見えてきた結論として、問題は愚痴のブロードキャスト的な行為かもしれません。SNSでもブログでも、不特定多数の人の見える場所で愚痴を言うと関係値や相手の状態を無視して愚痴を見せられる。そういったところで問題に発展しやすいのかもしれませんね。
愚痴と向き合う
ストレス社会において愚痴というか発散は大事だと思いますし、愚痴を受け止めてもらえると問題が希釈される感覚があるのですよね。問題が薄まって心が楽になる感じがします。これ自体は非常に有効だと思っていますが一方で相手の中に自分の愚痴が薄〜く溶けていくわけですが、こちらの問題を考える必要があります。仲が良ければ受け止められるかもしれませんが、見知らぬ人から急に濁らされたら不快かもしれません。SNSは愚痴を言う場所として非常に手軽ですが、不用意に相手にストレスを与えてしまうことにもなるので限られた人に話すのがいいのかもしれません。言える人がいない場合が難しいのですが、最近はAIが愚痴聞きとして有能な気がします。(めちゃくちゃ使ってます)
整理してみたらSNSで愚痴言わない方がいい、という普通な結論に辿り着きました。一応自分なりの根拠がまとまったので良しとします。見てる人は少ない気もしますが人を傷つけない優しい人になれるようにネット上の見える場所での愚痴は控えたいと思います。あとは頼んだぞGPTくん。
明日から4連休!ボーダーランズとラタタンを消化しつつ、明日はウェスアンダーソンの新作を見てきます。楽しみ〜。